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小山明子と大島渚:愛と介護を通して見つけた人生の輝きとは?17年間の介護生活と夫婦の絆、そして小山明子の現在

女優・小山明子さんが語る、映画監督・大島渚氏との17年間の介護生活。脳出血、うつ、そして女優復帰を諦めての介護。絶望から希望を見出し、夫婦の絆と「今を生きる」を胸に生きた軌跡。介護を通して得た教訓、終活の大切さ、そして最愛の人との愛と記憶を語る、勇気と感動の講演録。

小山明子と大島渚:愛と介護を通して見つけた人生の輝きとは?17年間の介護生活と夫婦の絆、そして小山明子の現在

📘 この記事で分かる事!

💡 大島渚監督の介護を通して、小山明子さんが見つけた人生の価値と、夫婦の深い愛情を描きます。

💡 介護生活の中で、小山明子さんがどのようにして自身の心と向き合い、女優としての活動を支えられたのか。

💡 晩年の大島渚監督との別れ、そしてそこから得られた「今を生きる」という教訓について解説します。

それでは、まず介護生活が始まる前の、大島渚監督と小山明子さんの出会いから紐解いていきましょう。

介護生活と心の変化

小山明子さんは夫の介護を通して何を学びましたか?

「今を生きる」

小山明子さんの介護生活と彼女を取り巻く環境について深く掘り下げていきます。

女優・小山明子さんが年の介護を経て「やっぱりパパ(大島渚)がいちばん」と語る理由「君ならできると尊重してくれた」

公開日:2023/10/22

女優・小山明子さんが年の介護を経て「やっぱりパパ(大島渚)がいちばん」と語る理由「君ならできると尊重してくれた」

✅ 小山明子さんは、夫である映画監督の大島渚さんの17年にわたる介護経験について語りました。

✅ 大島監督は世間では「バカヤロー」と激高するイメージがありましたが、小山明子さんは家庭では子煩悩な夫であり、優しい人だったと語っています。

✅ 小山明子さんは、大島監督から常に敬意と尊重を受け、自身の女優としての活動も支えられていたことを明かしています。また、大島監督は、小山明子さんが新しい仕事に挑戦する際に常に後押しをしてくれたことで、彼女は経済的な困窮を避け、現在も講演活動を続けています。

さらに読む ⇒みんなで考える、家族のこと、自分のこと介護ポストセブン出典/画像元: https://kaigo-postseven.com/135693

小山明子さんの言葉から、介護生活における心の変化と、それを乗り越える力強さを感じます。

女優の小山明子さんは、映画監督の大島渚さんの介護を17年間続けました。

大島さんが1996年に脳出血で倒れた後、小山さんはうつ状態に陥り、介護生活のスタートは苦しいものでした。

しかし、鏡に映る自身の姿を見て、夫を支えるために自分自身も大切にする決意をし、美容院に通ったり、プールやヨガ教室に通い始めました。

大島さんは1999年に映画監督として復帰した後も、2001年には十二腸潰瘍穿孔で緊急手術を受け、医師から「リハビリしても自分で歩くのは難しい」と宣告されました。

小山さんは、女優としての復帰をあきらめ、夫の介護に生きることを決意しました。

小山さんは、介護サービスを活用し、地域の人の支えも感じながら、大島氏と10年以上を過ごしました。

介護生活を支えてきたのは、大島氏への変わらぬ愛と夫婦の絆、そして「今を生きる」という教えでした。

小山さんの言葉は、介護の経験を通して得られた大きな勇気を会場に届けたとされています

素晴らしいですね。大島監督の意外な一面と、小山さんの女優としての活動を支えた関係性が印象的です。

映画からの学びと人生の選択

小山明子さんは映画から何を学び、人生にどう活かそうと思ったのでしょうか?

老いを迎え、人生の選択について考えるきっかけを得た

大島渚監督の最期と、小山明子さんの心の葛藤、そしてそこから得られた教訓について迫ります。

女優・小山明子、夫・大島渚さんを年に亡くし゛没イチ生活゛、コロナ禍にはうつ状態に陥るも「楽しく生きる」をモットーに「夫の゛ありがとう゛は魔法の言葉」(ページ目)
女優・小山明子、夫・大島渚さんを年に亡くし゛没イチ生活゛、コロナ禍にはうつ状態に陥るも「楽しく生きる」をモットーに「夫の゛ありがとう゛は魔法の言葉」(ページ目)

✅ 大島渚監督は2001年に十二指腸潰瘍穿孔を発症し、長期入院とリハビリにより体重が激減し、言葉も発せない状態になってしまった。

✅ 2013年に大島監督は亡くなるが、小山明子さんは医師が人工呼吸器を外した際に、監督が自発呼吸できるようになったことから、これが最後の別れだと感じ、監督に語りかけ、手を握り返してもらった。

✅ 小山さんは大島監督に「家に帰りたいか、おいしいものが食べたいか、飲みたいか」と尋ね、監督が「飲みたい」と答えたことから、自宅から江戸切子のグラスを持ってきて、お酒を飲ませてあげ、最期の良い別れができたと語っている。

さらに読む ⇒週刊女性出典/画像元: https://www.jprime.jp/articles/-/30230?page=2

最期の瞬間に、愛する人に何をしてあげられるのか。

小山さんの選択が心に響きます。

小山明子さんは、映画『ハッピーエンドの選び方』を鑑賞し、自身の経験と重ね合わせながら、老い、死、そして人生の選択について深く共感したことを語ります。

特に、夫である大島渚監督の介護生活を振り返り、介護をする側の心の葛藤や、予期せぬ出来事への対応の難しさ、そして後悔の念について率直な思いを吐露します。

また、うつ病を克服するきっかけとなった、見ず知らずの人からの言葉の力や、鏡に映る自分の姿を見て奮起した経験を通して、人生を前向きに生きることの大切さを訴えます。

小山さんは、自身の体験を踏まえ、人生の終末期について考える「終活」の重要性も訴え、自身の経験を通して得た教訓を共有することで、読者に人生の終盤をどのように過ごすべきか、考えさせます。

介護する側の心の葛藤や、人生の終末期について考えさせられる内容ですね。

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映画監督・大島渚と小山明子の愛の軌跡。激しい映画監督と、それを支えた妻。カンヌでの約束、家庭での優しさ…二人の深い愛情と、介護の日々を乗り越えた絆を描きます。