没後30年、名優・笠智衆の軌跡を辿る~家族、代表作、息子たち、そして今?笠智衆没後30年記念 企画展開催!代表作『東京物語』から『男はつらいよ』まで、その魅力を徹底解剖
名優・笠智衆。熊本生まれ、寺の息子から俳優へ。小津安二郎監督に見出され、『東京物語』で世界的評価を得る。寅さんシリーズの住職役も記憶に新しい。家族も映画界を支え、長男はプロデューサー、孫は俳優。その波乱万丈な人生と、映画への深い愛情を描く。
💡 没後30年を記念した企画展が開催され、貴重な資料を通して笠智衆の魅力を再発見できる。
💡 小津安二郎監督の代表作『東京物語』や『男はつらいよ』シリーズなど、代表作を紹介。
💡 息子たち(笠徹、笠兼三)の活躍や、家族との絆、現在放送予定のドキュメンタリードラマを紹介。
笠智衆さんの俳優としての生涯、家族、そして現在に至るまでの出来事を紐解いていきましょう。
笠智衆の生い立ちと俳優への道
笠智衆の生家は?
浄土真宗の寺
笠智衆の俳優人生を振り返る第一章です。
生い立ちから俳優になるまでの道のりを詳しく見ていきましょう。

✅ 玉名市出身の俳優、笠智衆の没後30年を記念した企画展が、玉名市立歴史博物館こころピアで開催されます。
✅ 展示資料には、笠智衆が出演した映画『父ありき』、『家族』、『男はつらいよ』などの関係資料や、テレビドラマ『幻の町』、『ながらえば』などの撮影台本、受賞品、直筆色紙など、貴重な品々が含まれます。
✅ 今回の企画展では、時代背景を踏まえながら、笠智衆の魅力を映画やテレビドラマを通して紹介することで、世代を超えて彼の魅力を再認識できる機会となっています。
さらに読む ⇒松竹シネマクラシックス出典/画像元: https://www.cinemaclassics.jp/news/2983/貴重な資料が展示される企画展、ぜひ足を運びたいですね。
時代背景を踏まえた上で、笠智衆さんの魅力を再認識できる、素晴らしい機会になるでしょう。
笠智衆は1904年5月13日に熊本県で生まれました。
実家は浄土真宗の寺で、父は住職でした。
幼少期は熊本で過ごし、玉水村立玉水尋常小学校、熊本県立玉名中学校を卒業しました。
その後、龍谷大学に進学しますが、大学にはほとんど行かず、中退して東洋大学文学部印度哲学倫理学科へ転学します。
東洋大学にもほとんど行かず、友人の紹介で松竹キネマ俳優研究所の募集に応募し、研究生一期生として合格しました。
しかし、研究生になった直後に父が亡くなり、寺を継ぐために故郷へ帰ります。
翌年には兄に寺を譲り、再び上京して松竹蒲田撮影所に復帰します。
いやあ、笠智衆さんの生い立ちは興味深いですね。お寺の息子さんだったとは。あの穏やかな人柄は、育ちから来ているのかもしれませんね。
俳優としての活躍と代表作
笠智衆はどんな役柄で有名?
老け役、住職役
笠智衆さんの俳優としての活躍に迫ります。
数々の名作、そして彼が見出した小津安二郎監督との出会いとは?。

✅ 『東京物語』は、小津安二郎監督の代表作であり、戦後の日本における家族生活の崩壊を描いた作品です。
✅ 地方から上京した老夫婦は、成人した子供たちに歓迎されますが、やがて厄介者扱いされ、戦死した息子の未亡人だけが親身になって面倒を見てくれます。
✅ 老夫婦は田舎に帰りますが、直後に妻が急死し、一人残された老人は静かに海を見つめます。孤独感、死生観といったテーマを繊細な映像で表現した作品です。
さらに読む ⇒ナタリーポップカルチャーのニュースサイト出典/画像元: https://natalie.mu/eiga/film/116106本当に心に残る作品ばかりですね。
『東京物語』は、何度見ても考えさせられます。
笠智衆さんのあの優しい眼差しが忘れられません。
松竹蒲田撮影所に復帰後、笠智衆は俳優の道に進みます。
老け役専門の俳優として活躍し、小津安二郎監督に見出され「大学よいとこ」で助演に抜擢されます。
その後も小津作品に欠かせない存在となり、『東京物語』など数々の名作に出演しました。
山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズでは柴又帝釈天の住職役を全シリーズにわたり演じ、寅さんをたしなめる存在として愛されました。
実は笠智衆さんの実家は浄土真宗系のお寺で、住職役はまさにハマリ役だったと言えます。
笠智衆は1993年3月16日に88歳で亡くなりました。
代表作は『東京物語』、『男はつらいよ』シリーズ、『宮本武蔵』などがあります。
『東京物語』、私も大好きです。家族のあり方を考えさせられますよね。笠智衆さんの代表作、改めて見返してみたくなりました。
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名優・笠智衆の家族に迫る! 妻との出会い、息子たちの活躍、そして孫の俳優デビューまで。映画界を支えた家族の絆を描く。