イタコとは?恐山大祭から見える日本の文化と現状(イタコ、口寄せ、恐山?)イタコ文化と現状、写真展とクラウドファンディング
青森・恐山で開催される恐山大祭。イタコが死者の霊を呼び、言葉を伝える神秘的な儀式。東京から大湊駅へ、そして恐山へ向かう旅路。イタコと亡き母との対話…消滅の危機にあるイタコの伝統を守るため、写真集出版や写真展が開催。現代に残るイタコの姿を通して、死者との対話、日本人の霊魂観、そして伝統の継承について考える。

💡 イタコは、死者の霊を呼び出し、故人の言葉を伝える巫女のことです。
💡 恐山大祭では、イタコによる口寄せが行われ、多くの人々が訪れます。
💡 イタコの数は減少し、伝統の継承が危ぶまれています。
本日は、青森県を中心に活動するイタコについてご紹介いたします。
イタコの歴史、口寄せの技術、そして現状について、様々な角度から見ていきましょう。
恐山への旅路とイタコとの出会い
恐山大祭での筆者の目的は?
イタコによる亡き母との対話。
イタコと出会う旅路、そして恐山大祭の様子について見ていきましょう。
恐山への旅は、イタコ文化に触れるための第一歩となります。
公開日:2016/12/14

✅ 青森県むつ市にある恐山で、夏の一大イベント「恐山大祭」が開催され、多くの人々が訪れます。
✅ 大祭では、僧侶による儀式や、死者の霊を呼び故人と対話できるイタコの口寄せが行われます。
✅ 大祭期間中は青森中のイタコが恐山に集結し、イタコの口寄せは普段は行われていないため、非常に貴重な機会となっています。
さらに読む ⇒「colocal コロカル」ローカルを学ぶ・暮らす・旅する出典/画像元: https://colocal.jp/news/22131.html恐山大祭では、イタコによる口寄せが行われ、多くの参拝者が訪れます。
筆者は亡き母との対話を願い、イタコに口寄せを依頼しました。
その様子を詳しく見ていきましょう。
筆者は、青森県下北半島の霊場である恐山で開催される恐山大祭に参加するため、東京から大湊駅を目指しました。
新幹線、鈍行列車、バスを乗り継ぎ、一泊二日の旅を経て、レンタカーで恐山へ。
恐山大祭ではイタコによる口寄せが有名ですが、筆者が訪れた2日目は比較的空いており、スムーズにイタコのいるテントへ入ることができました。
そこで、亡き母との対話を願う筆者は、イタコに口寄せを依頼し、母の命日などを伝え、祈りの始まりを静かに見守りました。
いやあ、最近はこういう霊的な話に触れる機会も減ってしまってね。昔はもっと身近だったもんだよ。写真でも見ながら、ゆっくり話を聞きたいもんだね。
イタコの歴史と役割
イタコって何?東北の盲目の巫女の役割は?
死者や祖霊の言葉を伝える、盲目の巫女。
イタコの歴史と役割について見ていきましょう。
イタコの起源や、日本人の死生観との関係性、そして社会における役割について、深く掘り下げていきます。
公開日:2023/03/26

✅ 日本人は無宗教と思われがちだが、実際は自然崇拝と先祖供養を基盤とし、お盆の習慣や「いただきます」という言葉に見られるように、信仰心が深く根付いている。
✅ イタコは、死者の霊を呼び出す「口寄せ」を通して、霊肉二元論に基づく死生観を表現し、山中他界観といった独自の文化を形成している。
✅ イタコは修行によって技術を習得し、地域の精神的な支えとして、弱者を救済する役割も担ってきた。その背景には、視覚障碍者の職能としての側面があった。
さらに読む ⇒nippon.com出典/画像元: https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02228/イタコは、視覚障碍者の職能として発展し、地域の精神的な支えとなってきました。
その歴史的背景には、弱者を救済する側面もあったのです。
イタコは、主に東北地方で活動する盲目の巫女であり、降霊術や霊視によって死者や祖霊の言葉を人々に伝える役割を担ってきました。
その起源は諸説ありますが、古くから口寄せ、加持祈祷、卜占などを行い、地域の相談役としても重要な役割を果たしていました。
江戸時代中期には、視覚障害を持つ女性達を支援するために生まれ、弱者救済システムとしての側面も持ち合わせていました。
南部地方では、口寄せなどの技法を持つ太祖婆を始祖とし、山伏修験の鳥林坊とその妻が高舘婆が盲目の女性たちを組織し、イタコの巫技を伝承。
地域の寺社が師匠イタコに鑑札を与え管理することで、イタコは増えていきました。
イタコが社会において重要な役割を果たしていたことがよく分かりますね。無宗教と思われがちな日本ですが、実は信仰心が深く根付いているというのも興味深いです。
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死者の魂を呼び出すイタコの口寄せ。最後のイタコ、松田広子の姿を追う。写真集&写真展で伝統の記録と継承を目指す、その魂の言葉とは。