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久里洋二とは?漫画、アニメーション、多才な表現で革新を起こした表現者の軌跡?久里洋二の多岐にわたる表現活動と、その時代背景

漫画、アニメ、デザイン…表現を縦横無尽に駆け抜けた久里洋二。風刺漫画で頭角を現し、日本アニメ黎明期を支え、国際的な評価を獲得。晩年まで創作意欲は衰えず、多様な表現で日本の文化に貢献した鬼才の軌跡を振り返る。

久里洋二とは?漫画、アニメーション、多才な表現で革新を起こした表現者の軌跡?久里洋二の多岐にわたる表現活動と、その時代背景

📘 この記事で分かる事!

💡 久里洋二は漫画家、アニメーション作家、イラストレーターとして多方面で活躍し、時代を先駆ける表現を追求しました。

💡 アニメーションの世界では、実験的な作品を制作し、日本のインディペンデント・アニメーションの発展に貢献しました。

💡 晩年には画業に専念し、国内外で展覧会を開催。88歳で漫画集を発表するなど、生涯現役で活動しました。

それでは、久里洋二氏の生い立ちや、漫画家としての活動について詳しく見ていきましょう。

漫画家の誕生

久里洋二、漫画からアニメへ!転換のきっかけは?

アトリエ設立と文芸春秋漫画賞受賞。

久里洋二氏の生い立ちから、漫画家としての活動、そしてアニメーションへの移行について解説していきます。

クリヨウジ(久里洋二)オーラル・ヒストリー–日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ
クリヨウジ(久里洋二)オーラル・ヒストリー–日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ

✅ 久里洋二氏へのインタビューで、1956年から1970年頃の活動について語られており、『音楽の友』への寄稿や『労働運動』での漫画掲載について触れられている。

✅ 1958年の「若い日本の会」への参加について、谷川俊太郎、武満徹、羽仁進らとの関わりが語られ、羽仁進とはアニメーション制作で関係があったこと、武満徹とは草月会館を通じて知り合ったことなどが明かされている。

✅ 「若い日本の会」への参加は、深く関わっていたわけではなく、周りの人々に誘われる形で参加したという。草月会館との関係の方が深く、石原慎太郎や浅利慶太を中心とした活動にはあまり関心がなかったと述べている。

さらに読む ⇒日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ–日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴは、美術の分野に携わってきた方々にインタヴューを行い、口述史料として収集・保存している団体で、年に美術史の研究者や学芸員によって設立されました。このサイトでは、そのインタヴューを書き起こした文章を公開しています。出典/画像元: https://oralarthistory.org/archives/interviews/kuri_yoji_01/

久里洋二氏の活動は、当時の文化的な繋がりの中で形成され、多岐にわたる才能を開花させていったことがわかります。

1928年、福井県で生まれた久里洋二は、京都市美術学校への進学を断念し、上京して文化学院などで学びました。

漫画家としてのキャリアをスタートさせ、横山泰三に師事。

共同通信社の画信部に所属し、時代風刺の一コマ漫画で活躍しました。

その才能は早くから開花し、二科展特選や文芸春秋漫画賞を受賞するなど、漫画家として頭角を現しました。

その後、アニメーションの世界へと足を踏み入れ、1958年にはアトリエ・久里実験漫画工房を設立。

自主制作した漫画集で文芸春秋漫画賞を受賞し、注目を集めました。

久里洋二さんの若い頃の活動、興味深いですね。時代を象徴するような方々との交流があったんですね。

アニメーションの革新と広がり

久里洋二は何を通じて日本アニメの黎明期を支えた?

「アニメーション三人の会」と映画祭の主催

久里洋二氏のアニメーション作品と、その周辺への影響について解説していきます。

久里洋二人間動物園
久里洋二人間動物園

✅ 久里洋二の画文集「人間動物園」は、絵画、イラスト、カット、コラージュ作品、立体作品、アニメーション、自伝・年譜などを収録した書籍である。

✅ 本書は、洋画家、アニメーション作家、イラストレーターである久里洋二の作品を網羅しており、ブラックユーモアやエロティックな表現を含む多岐にわたる作品を収録している。

✅ 内容は、自伝、長編ミステリー、童話、ショートショート、絵画、イラストレーション、立体作品、アニメーション、漫画など多岐にわたり、久里洋二の多才な才能を垣間見ることができる。

さらに読む ⇒é出典/画像元: http://brisees.com/shop/detail.php?code=BK101324

久里洋二氏の活動は、インディペンデントアニメーションの発展に大きく貢献し、国際的な評価も得ていることがわかります。

1960年代に入ると、久里洋二はアニメーション制作に本格的に取り組みました。

真鍋博、柳原良平らと「アニメーション三人の会」を結成し、草月アートセンターでアニメーション映画祭を主催しました。

手塚治虫、和田誠、宇野亜喜良、横尾忠則といった才能ある人々を巻き込み、日本アニメーション黎明期を支えました。

彼の作品は、国際的な評価を受け、代表作『人間動物園』は数々の映画祭で受賞しました。

1960年には、海外の個人作家の影響を受け、「アニメーション3人の会」を結成。

草月会館での上映活動を通じて、日本のインディペンデント・アニメーションの発展に貢献しました。

同時に、国際アニメーション映画祭の創設や「アニメーション」という言葉の普及など、世界的なアニメーション表現の多様化にも貢献しました。

テレビ創世記には「11PM」への出演や、NHK「みんなのうた」「ひょっこりひょうたん島」の映像制作、24時間テレビのロゴデザインも手掛けました。

手塚治虫さんや和田誠さんといった錚々たる顔ぶれを巻き込んでいたなんて、すごいですね。アニメーション黎明期を支えたって表現も納得です。

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国内外で活躍した漫画家・芸術家の生涯。88歳で漫画賞受賞、晩年まで創作を続けた。アニメ、デザイン、社会貢献…その偉業を凝縮。