テリー・ファンクという男?~1977年全日本プロレス、伝説の死闘と不屈の魂を振り返るテリー・ファンク、ブッチャー&シーク戦、1977年、兄弟愛
1977年、全日本プロレス5周年記念大会、ザ・ファンクスvsブッチャー&シーク戦。血まみれの死闘、テリー・ファンクの不屈の魂が観客を熱狂させた!兄弟愛、衝撃的な展開、そして奇跡のカムバック…少年をプロレスファンにした伝説の一戦を振り返る。プロレス界に刻まれたテリーの足跡。
💡 1977年、全日本プロレスの世界オープンタッグ選手権でのテリー・ファンクの激闘と、その影響力について解説します。
💡 テリー・ファンクのプロレスラーとしての歩み、人気獲得の背景、引退とその後の活躍について紹介します。
💡 テリー・ファンクに影響を受けた人々、彼の死を悼む声、そして彼が残したレガシーについてまとめます。
それでは、テリー・ファンクというプロレスラーの魅力と、その伝説的な試合について、深く掘り下げていきましょう。
伝説の始まり:1977年の激闘
テリーの兄弟愛が感動を呼んだ、あの伝説のプロレス試合とは?
ファンクス対ブッチャー&シーク戦。
衝撃的なフォーク攻撃とテリーの流血は、プロレスの過激さを象徴し、多くの観客を熱狂させました。
公開日:2018/07/23

✅ 1977年に行われた全日本プロレスの世界オープンタッグ選手権最終戦、ザ・ファンクスvsブッチャー&シーク戦は、ブッチャーのフォーク攻撃によるテリーの流血で観客を熱狂させ、プロレスの面白さを決定づけた。
✅ 試合は、凶器攻撃とレフェリーの不注意、テリーの負傷からの復活劇という展開で勧善懲悪のプロレスの原点を描いている。
✅ この試合は、ファンクスの兄弟愛と、外国人同士の対決という点で、当時のプロレスの魅力と、テリーファンクの人気を確立した試合であった。
さらに読む ⇒年生まれ男のロマン出典/画像元: https://www.roman-blog.com/pro_wrestling/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B9vs%E3%83%96%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%80%9C1977-12-15-%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%83%A8試合の展開、テリーの不屈の精神、そしてファンクスの兄弟愛が、多くの人々の心を掴んだのだと思います。
1977年12月15日、蔵前国技館。
全日本プロレス5周年記念大会で行われた世界オープンタッグ選手権最終戦、ザ・ファンクス(テリー・ファンク、ドリー・ファンク・ジュニア)対ブッチャー&シーク戦は、プロレス史に残る伝説的な試合として語り継がれることとなる。
幼い筆者はこの試合を観戦し、その衝撃とドラマに魅了され、プロレスファンとなる。
試合は、ブッチャーがフォークを凶器としてテリーの腕をメッタ刺しにするという衝撃的な展開で、レフェリーの不可解なジャッジも相まって、観客は怒りと興奮のるつぼと化した。
負傷退場したテリーは、後に包帯姿で奇跡のカムバックを果たし、最終的にはファンクスの反則勝ちという劇的な結末を迎えた。
この試合は、従来の勧善懲悪というプロレスの枠組みを超え、テリーの兄弟愛と、それまでの伏線が功を奏し、ファンの心を掴むことに成功した。
いやあ、本当に良い時代でしたね。テリー・ファンクの試合は、今でも鮮明に覚えていますよ。あの熱狂がまた味わいたいものです。
テリー・ファンクという男
テリー・ファンクを一躍スターにした試合は?
1977年のブッチャー&シーク戦。
テリー・ファンクは、まさにプロレス界のアイドル的存在でしたね。
引退が早かったのは残念ですが、その人気は凄まじかったです。

✅ テリー・ファンクは、ブッチャーにフォークで腕をメッタ刺しにされるも、不屈の精神で試合に復帰し、兄弟愛を見せてファンを感動させた。
✅ この試合でのテリーの人気は爆発的に高まり、アイドル的な人気を得て、若い女性ファンも急増し、テリー親衛隊も結成された。
✅ しかし、テリーは人気絶頂の最中、膝の怪我を理由に引退を発表。これは全日本プロレスが新日本プロレスに対抗するための戦略的な側面もあった。
さらに読む ⇒ナンバー出典/画像元: https://number.bunshun.jp/articles/-/850869?page=2テリー・ファンクは、単なる強さだけでなく、人間性も魅力的なレスラーでした。
彼の生き様は、多くの人々に影響を与えたでしょう。
テリー・ファンクは、1970年に初来日し、当初は実兄ドリー・ファンク・ジュニアの影に隠れていたものの、1971年にインターナショナルタッグ王座を獲得し頭角を現す。
1972年の全日本プロレス旗揚げにも参加し、エース外国人レスラーとして活躍。
1977年のブッチャー&シーク組との死闘では、その不屈の闘志と兄弟愛を見せ、一躍アイドル的人気を獲得し、「テリー親衛隊」なるファンも現れた。
必殺技はローリング・クレイドルだが、スピニング・トーホールドも印象的だった。
この試合は、全日本プロレスの年末興行を大成功に導き、テリー・ファンクの人気を決定づけただけでなく、多くのプロレスラーに影響を与えた。
テリー・ファンクのスピニング・トーホールド、かっこよかったですよね!私も当時、よく真似していましたよ。懐かしいなあ。
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1983年のプロレス激動期!テリー・ファンクの勇姿を筆者の熱い眼差しで振り返る。伝説の試合、影響、そして今も変わらぬヒーロー像がここに。