ザ・デストロイヤーとは?白覆面と4の字固めで日本を熱狂させた男の功績とは?プロレス界のレジェンド、ザ・デストロイヤー。
白覆面の魔王、ザ・デストロイヤー。力道山との伝説の一戦、足4の字固め、そして日本愛。昭和プロレスを彩った最強覆面レスラーの波乱万丈な生涯を振り返る。スタン・ハンセンを育て、日本のプロレス界に貢献した彼の偉大なる足跡を辿る。
💡 ザ・デストロイヤーは白覆面と足4の字固めを得意とし、日本プロレス界に大きな影響を与えた。
💡 力道山、馬場、猪木らとの名勝負でプロレスブームを牽引し、バラエティ番組でも活躍した。
💡 親日家としても知られ、晩年まで日本との深い繋がりを持ち、その功績は今も語り継がれている。
それでは、彼の波乱万丈なプロレス人生を紐解いていきましょう。
まずは、その華々しいデビューについてです。
覆面レスラーの黎明期とデストロイヤーの登場
デストロイヤー、白覆面の成功秘話は?
夫人のマスク改造と世界王座獲得!
覆面レスラーの草創期を支え、その人気を不動のものとしたデストロイヤーの登場。

✅ プロレスラーのザ・デストロイヤー氏が88歳で死去。
✅ 日本プロレスブームを牽引し、力道山、馬場、猪木らと死闘を繰り広げ、足4の字固めを日本で初めて披露した。
✅ 親日家としても知られ、2017年には旭日双光章を受章した。
さらに読む ⇒デイリースポーツ出典/画像元: https://www.daily.co.jp/ring/2019/03/08/0012127262.shtml覆面と4の字固めは、彼の代名詞。
覆面を改良して呼吸と視界の問題を解決したエピソードは興味深いですね。
昭和プロレス黎明期には、Mr.アトミックのような覆面レスラーがいましたが、その実力と人気で一線を画したのはザ・デストロイヤーでした。
1962年、デストロイヤーは覆面レスラーとしてWWAヘビー級王座を獲得し、一躍スターダムへと駆け上がります。
彼の白覆面は、当初は粗悪なものでしたが、夫人がガードルを改造して作ったマスクによって視界と呼吸の問題が解決され、代名詞となりました。
覆面を着用したことでファイトマネーが上昇し、世界王者となったことで人気は頂点に達しました。
いやあ、デストロイヤーといえば、やっぱり白覆面ですよね!あのマスク、子供の頃に真似したものです。
力道山との激闘と日本プロレス界への衝撃
デストロイヤーvs力道山戦、日本を熱狂させた理由は?
白覆面と名勝負、そして驚異の視聴率!
力道山との激闘、日本プロレス界に衝撃を与え、プロレス人気を不動のものとした。

✅ プロレスラーのデストロイヤーは、1993年に引退試合直前にジャイアント馬場と最後の戦いを終え、その後も馬場の全日本プロレスに参戦し、馬場との友情に基づき日本組としてタッグを組んだ。
✅ デストロイヤーは、バラエティ番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』に出演し、お笑いの才能も発揮し人気を博し、和田アキ子や徳光和夫アナウンサーとの交流があった。
✅ デストロイヤーは日本で多くの試合を行い、和田アキ子が追悼セレモニーで彼の好きな曲を歌い、その家族に語りかけた。
さらに読む ⇒ナンバー出典/画像元: https://number.bunshun.jp/articles/-/841513?page=3力道山との試合は、テレビ視聴率64%を記録したとは、まさに国民的イベントですね。
真珠湾攻撃への嫌悪感から親日家になったというエピソードも印象的です。
1963年5月、デストロイヤーは初来日を果たし、そのミステリアスな白覆面と足4の字固めで日本中を熱狂させました。
力道山とのインターナショナル王座戦は、日本テレビ史上最高の視聴率64%を記録し、日本プロレス史に残る名勝負として語り継がれています。
試合は、デストロイヤーの巧みな防御と力道山の空手技の応酬となり、最終的に力道山の勝利となりました。
この試合は、デストロイヤーが力道山にとって特別な存在であることを示し、プロレスファンを大いに魅了しました。
当初、デストロイヤーは真珠湾攻撃への嫌悪感から日本を嫌っていましたが、力道山との試合や日本人の温かさに触れ、考えを改め、親日家となりました。
力道山との試合は、まさに伝説ですよね。デストロイヤーが日本を嫌っていたというのは、初めて知りました。
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デストロイヤー、馬場・猪木との激闘!ハンセンを導き、覆面レスラー文化を築いた昭和プロレスの巨星。その偉大な足跡を振り返る。