テリー・ファンクの軌跡:昭和プロレスを熱狂させた男の栄光と伝説とは?テリー・ファンク:伝説のレスラー、その激闘の記録
プロレス界のレジェンド、テリー・ファンク! 1977年の伝説的な試合、ザ・ファンクス対ブッチャー&シーク戦を筆頭に、そのワイルドなファイトスタイルとドラマチックな展開で観客を熱狂させた。 日本での爆発的な人気、NWA世界ヘビー級王座獲得、そしてハルク・ホーガンとの抗争… プロレス史に残るテリー・ファンクの激闘を振り返る!
昭和プロレスの金字塔:勧善懲悪のドラマと伝説の試合
昭和プロレスの名勝負、その魅力は?
勧善懲悪と選手の魅力
新日本と全日本の対立は、プロレス界を大きく揺るがす出来事だったんですね。
公開日:2022/09/14

✅ 1976年、アントニオ猪木率いる新日本プロレスが「アジア・リーグ戦開催」を宣言し、全日本プロレスと国際プロレスに挑発的な姿勢を見せました。これに対し、全日本プロレスは、かつて日本プロレスが所有していた「アジア・シングル&タッグ王座」を復活させ、猪木の意図を阻止しようとしました。
✅ 全日本プロレスは、アジア王座を復活させることで、新日本プロレスのアジア・リーグ戦の正当性を揺るがし、自らの団体がアジア最強であることをアピールしました。
✅ 両団体は、アジア王座を巡って、宣伝合戦を繰り広げ、当時のプロレス界を熱狂の渦に巻き込みました。この争いは、後の「オープン・タッグ選手権」という歴史的な試合の伏線となりました。
さらに読む ⇒年生まれ男のロマン出典/画像元: https://www.roman-blog.com/pro_wrestling/1977-%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%83%E3%82%B0%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9-%EF%BD%9E%EF%BD%A2%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B9vs%E3%83%96%E3%83%83%E3%83%81テリー・ファンクの試合は、まるで勧善懲悪のドラマのようですね。
昭和プロレスの魅力が詰まっていて、今見ても興奮します。
この試合は、プロレスが持つ『勧善懲悪』のストーリーを軸に、実力とキャラクターで観客を熱狂させた昭和プロレスの定番ともいえる試合であった。
また、善玉ガイジン対悪役コンビではなく、ガイジン同士の対決という点も画期的であった。
テリーの怪我とファンクス兄弟の絆は、観客の心を掴み、テリーは人気レスラーへと成長した。
この試合は、プロレスの面白さ、エキサイティングでドラマティックな展開、選手のキャラクターの魅力が詰まった、プロレス史に残る名勝負である。
プロレスって、やっぱりストーリーが面白いですよね。勧善懲悪とか、熱い展開は、今のエンタメにも通じるものがあると思います。
抗争の始まり:ザ・ファンクス vs ブッチャー&シーク
1977年の全日本プロレスで、ザ・ファンクスとブッチャー&シークの抗争で何が起きた?
乱闘勃発&テリー負傷
全日本プロレス5周年を記念した大会には、豪華な選手が集結したんですね。
公開日:2024/12/15

✅ 1977年12月に開催された「全日本プロレス創立5周年記念・世界オープン・タッグ選手権大会」は、全日本プロレスが過去に開催した「オープン選手権」の反省点を踏まえ、選手がタッグを組むことで短期間で全公式戦が消化できるように企画された。
✅ 大会には、ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田組(日本代表)を始め、ザ・ファンクス、アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク組、大木金太郎&キム・ドク組、ラッシャー木村&グレート草津組など、国際的なトップ選手がチームを組んで参加した。
✅ リーグ戦は、ファンクスがトップを走り、馬場&鶴田組は黒星発進から巻き返し、国際プロレスとのタッグ頂上対決を制するなど、熱戦が繰り広げられた。大会は、国際的なプロレスラーが集結し、全日本プロレスの5周年を盛大に祝うとともに、プロレス界全体を盛り上げる役割を果たした。
さらに読む ⇒伊賀プロレス通信時出典/画像元: https://igapro24.com/2020/10/21/ajpw2020-26/ザ・ファンクスとブッチャー&シークの抗争は、まさにプロレスの王道ですね。
血だるまになったテリー・ファンクの姿は、衝撃的だったでしょうね。
1977年の全日本プロレス『世界オープンタッグ選手権』は、ベビーフェースのザ・ファンクスと、ヒールチームのブッチャー&シークを中心とした抗争が展開されました。
ザ・ファンクスは、全日本プロレス旗揚げからの功労者で、馬場と鶴田以上の高い人気を誇っていました。
一方、ブッチャー&シークは、当代一の悪役レスラー同士の合体であり、その対立はプロレスの古典的な構図でした。
開幕戦の後楽園ホールでは、ファンクスとブッチャー&シークの乱闘が勃発。
テリー・ファンクは、ブッチャー&シークの凶器攻撃で血だるまになり、ロープで首を絞められたまま場外へ宙吊りにされました。
この事件は、後の展開への伏線となりました。
テリー・ファンクが血だるまになった試合は、今でも語り継がれる名勝負ですよね。当時の観客は、さぞ興奮したでしょう。
新たな挑戦と伝説の継承
テリー・ファンク、WWFでの活躍後、どんな活躍を見せた?
俳優活動、NWA王座戦での因縁
WWFでの活躍や、リック・フレアーとの因縁など、テリー・ファンクは引退後もプロレス界を賑わせたんですね。

✅ 「狂乱の貴公子」リック・フレアーと「南海の黒豹」リッキー・スティームボートのTシャツが販売されています。
✅ サイズはSから4XLまで、計7サイズ展開です。
✅ 受注生産のため、納期は注文後に確認が必要です。
さらに読む ⇒ショッピングアカウント連携でポイント毎日!ネット通販出典/画像元: https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds/ricflair-tshirt-4.htmlテリー・ファンクは、様々な団体で活躍し、プロレス界に大きな足跡を残しました。
まさに、レジェンドですね。
1983年に引退したテリー・ファンクは、翌1984年に復帰し、1985年にはWWFと契約。
ハルク・ホーガンやジャンクヤード・ドッグと抗争を展開するなど、新たな舞台で活躍を続けました。
その後、膝の負傷によりWWFを離脱し、俳優活動に入りました。
1989年にはNWA王座戦で勝者リック・フレアーに襲い掛かり、テーブル上でのパイルドライバーを決行し、フレアーとの因縁ドラマを生み出しました。
テリー・ファンクは、プロレス界に大きな足跡を残した伝説的なレスラーです。
テリー・ファンクの活躍は、本当に多岐にわたりますね。今でも、彼の名前を聞くと、プロレスの熱い時代を思い出します。
テリー・ファンクのプロレス人生は、まさに波乱万丈。
彼の試合は、今も多くの人々に感動を与え続けています。
💡 テリー・ファンクは、1965年にプロレスラーデビュー後、世界中で活躍し、多くのファンを魅了しました。
💡 兄のドリー・ファンク・ジュニアとのタッグチーム、ザ・ファンクスとしても、数々の名勝負を繰り広げました。
💡 ブッチャー&シークとの抗争、新日本との対立など、昭和プロレスの黄金期を支えました。