テリー・ファンクの軌跡:昭和プロレスを熱狂させた男の栄光と伝説とは?テリー・ファンク:伝説のレスラー、その激闘の記録
プロレス界のレジェンド、テリー・ファンク! 1977年の伝説的な試合、ザ・ファンクス対ブッチャー&シーク戦を筆頭に、そのワイルドなファイトスタイルとドラマチックな展開で観客を熱狂させた。 日本での爆発的な人気、NWA世界ヘビー級王座獲得、そしてハルク・ホーガンとの抗争… プロレス史に残るテリー・ファンクの激闘を振り返る!
💡 1965年にデビューし、NWA世界ヘビー級王者に輝いた、テリー・ファンクの輝かしいキャリアを解説します。
💡 兄ドリーとのタッグ「ザ・ファンクス」、日本での活躍、そして伝説の試合を振り返ります。
💡 昭和プロレスを代表するレスラー、テリー・ファンクの試合を通して、プロレスの魅力に迫ります。
本日は、テリー・ファンクのプロレス人生を振り返ります。
まずは、彼の生い立ちとキャリアについて見ていきましょう。
伝説のレスラー、テリー・ファンクの輝かしいキャリア
テリー・ファンクの最大の功績は?
NWA世界ヘビー級王座獲得
テリー・ファンクは、1965年にプロレスラーデビュー後、様々な団体で活躍し、1975年にはNWA世界ヘビー級王座を獲得しました。

✅ テリー・ファンクは、1944年生まれのアメリカのプロレスラーで、1965年にプロレスラーデビューし、1970年に日本プロレスに初来日しました。
✅ 1971年にはドリー・ファンク・ジュニアとタッグを組みインタータッグ王座を奪取し、その後も全日本プロレス、WWF(現WWE)、WCW、ECWなどで活躍しました。
✅ 1975年には第51代NWA世界ヘビー級王者に輝き、2009年にはドリーと共にWWEの殿堂入りを果たしました。2014年12月に日本での最後の試合を行った後、認知症の治療を続けていたとされ、2023年1月24日に79歳で亡くなりました。
さらに読む ⇒ベースボール・マガジン社出典/画像元: https://www.bbm-japan.com/article/detail/44939テリー・ファンクの、華々しいキャリアがよく分かりますね。
晩年は、認知症の治療を受けながらも、プロレスファンに愛され、2023年に惜しくも亡くなりました。
テリー・ファンクは1944年6月30日生まれ、アメリカ合衆国のプロレスラーとして活躍しました。
兄のドリー・ファンク・ジュニアと共に、テキサス州アマリロでレスリングの英才教育を受け、1965年にプロレスラーデビューを果たしました。
1970年に日本プロレスに初来日し、1971年にはドリーとのタッグでBI砲(ジャイアント馬場&アントニオ猪木)を破ってインターナショナル・タッグ王座を獲得しました。
1972年から全日本プロレスのブッカー兼看板外国人選手となり、1975年にはジャック・ブリスコを破ってNWA世界ヘビー級王座を獲得しました。
兄のドリーとタッグを組んだ「ザ・ファンクス」としても活躍し、1977年の世界オープンタッグ選手権や1979年、1982年の世界最強タッグ決定リーグ戦で優勝を果たすなど、日本でも人気を博しました。
テリー・ファンクは、レッドネックのワイルドさを強調したラフファイトスタイルで知られ、日本では絶大なベビーフェイス人気を博し、アメリカではヒールとして活躍していました。
テリー・ファンクさんの偉大さがよく理解できました。昭和プロレスを語る上で、絶対に外せない存在ですよね。
伝説の試合:ザ・ファンクスvsブッチャー&シーク
伝説のフォーク攻撃!ザ・ファンクス兄弟はブッチャー&シークにどう勝利した?
レフェリー無視の反則勝ち
テリー・ファンクとブッチャー&シークの試合は、プロレス史に残る名勝負として語り継がれています。

✅ テリー・ファンクは全日本プロレスの「オープンタッグ」リーグ戦で、凶器を使った反則攻撃を受けても諦めずに戦い、兄を救う姿がファンの感動を呼び、人気を博した。
✅ テリー・ファンクはアイドル顔負けの人気を誇り、女性ファンも急増。全日本プロレスの看板シリーズである「世界最強タッグ決定リーグ戦」の成功に大きく貢献した。
✅ 80年10月に「3年後に引退」を発表したテリー・ファンクは、全日本プロレスが新日本の勢いに押され気味であったため、対抗策として人気の絶頂期に引退を発表した。
さらに読む ⇒ナンバー出典/画像元: https://number.bunshun.jp/articles/-/850869?page=2凶器攻撃と反則、そしてテリー・ファンクの不屈の精神は、まさにプロレスの醍醐味ですね。
観客を熱狂させた試合だったことがよく分かります。
1977年12月15日、蔵前国技館で行われた全日本プロレス世界オープンタッグ選手権最終戦。
ザ・ファンクス兄弟対ブッチャー&シークという、善玉ガイジン対最凶悪コンビの対決は、ブッチャーのフォークによる凶器攻撃で会場が騒然となる。
レフェリーのジョー樋口はブッチャーとシークの反則を見逃し、観客の怒りは頂点に達する。
テリーの腕がズタズタにされた後、奇跡のカムバックを果たしたテリーは、最後はシークがジョー樋口に一撃を加えたことでファンクスの反則勝ちとなり、試合は幕を閉じる。
この試合は、プロレスが持つエキサイティングでドラマティックな展開の見本と言える。
フォークを使った凶器攻撃は前代未聞であり、試合の展開は当時のプロレスファンだけでなく、現代のプロレスファンにも語り継がれる伝説となっている。
フォークでの攻撃は衝撃的でしたね。でも、あきらめないテリー・ファンクに感動しました。プロレスって、本当にドラマですよね。
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昭和プロレス史に残る名勝負!テリー・ファンクを中心に、ファンクス兄弟vsブッチャー&シークの激闘が繰り広げられた。友情、裏切り、そして不死鳥のようなテリーの復活劇に興奮必至!