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テリー・ファンクの軌跡:昭和プロレスを熱狂させた男の栄光と伝説とは?テリー・ファンク:伝説のレスラー、その激闘の記録

プロレス界のレジェンド、テリー・ファンク! 1977年の伝説的な試合、ザ・ファンクス対ブッチャー&シーク戦を筆頭に、そのワイルドなファイトスタイルとドラマチックな展開で観客を熱狂させた。 日本での爆発的な人気、NWA世界ヘビー級王座獲得、そしてハルク・ホーガンとの抗争… プロレス史に残るテリー・ファンクの激闘を振り返る!

📘 この記事で分かる事!

💡 1965年にデビューし、NWA世界ヘビー級王者に輝いた、テリー・ファンクの輝かしいキャリアを解説します。

💡 兄ドリーとのタッグ「ザ・ファンクス」、日本での活躍、そして伝説の試合を振り返ります。

💡 昭和プロレスを代表するレスラー、テリー・ファンクの試合を通して、プロレスの魅力に迫ります。

本日は、テリー・ファンクのプロレス人生を振り返ります。

まずは、彼の生い立ちとキャリアについて見ていきましょう。

伝説のレスラー、テリー・ファンクの輝かしいキャリア

テリー・ファンクの最大の功績は?

NWA世界ヘビー級王座獲得

テリー・ファンクは、1965年にプロレスラーデビュー後、様々な団体で活躍し、1975年にはNWA世界ヘビー級王座を獲得しました。

テリー・ファンクは1944年6月30日生まれ、アメリカ合衆国のプロレスラーとして活躍しました。

兄のドリー・ファンク・ジュニアと共に、テキサス州アマリロでレスリングの英才教育を受け、1965年にプロレスラーデビューを果たしました。

1970年に日本プロレスに初来日し、1971年にはドリーとのタッグでBI砲(ジャイアント馬場&アントニオ猪木)を破ってインターナショナル・タッグ王座を獲得しました。

1972年から全日本プロレスのブッカー兼看板外国人選手となり、1975年にはジャック・ブリスコを破ってNWA世界ヘビー級王座を獲得しました。

兄のドリーとタッグを組んだ「ザ・ファンクス」としても活躍し、1977年の世界オープンタッグ選手権や1979年、1982年の世界最強タッグ決定リーグ戦で優勝を果たすなど、日本でも人気を博しました。

テリー・ファンクは、レッドネックのワイルドさを強調したラフファイトスタイルで知られ、日本では絶大なベビーフェイス人気を博し、アメリカではヒールとして活躍していました

伝説の試合:ザ・ファンクスvsブッチャー&シーク

伝説のフォーク攻撃!ザ・ファンクス兄弟はブッチャー&シークにどう勝利した?

レフェリー無視の反則勝ち

テリー・ファンクとブッチャー&シークの試合は、プロレス史に残る名勝負として語り継がれています。

1977年12月15日、蔵前国技館で行われた全日本プロレス世界オープンタッグ選手権最終戦。

ザ・ファンクス兄弟対ブッチャー&シークという、善玉ガイジン対最凶悪コンビの対決は、ブッチャーのフォークによる凶器攻撃で会場が騒然となる。

レフェリーのジョー樋口はブッチャーとシークの反則を見逃し、観客の怒りは頂点に達する。

テリーの腕がズタズタにされた後、奇跡のカムバックを果たしたテリーは、最後はシークがジョー樋口に一撃を加えたことでファンクスの反則勝ちとなり、試合は幕を閉じる。

この試合は、プロレスが持つエキサイティングでドラマティックな展開の見本と言える

フォークを使った凶器攻撃は前代未聞であり、試合の展開は当時のプロレスファンだけでなく、現代のプロレスファンにも語り継がれる伝説となっている。

昭和プロレスの金字塔:勧善懲悪のドラマと伝説の試合

昭和プロレスの名勝負、その魅力は?

勧善懲悪と選手の魅力

新日本と全日本の対立は、プロレス界を大きく揺るがす出来事だったんですね。

この試合は、プロレスが持つ『勧善懲悪』のストーリーを軸に、実力とキャラクターで観客を熱狂させた昭和プロレスの定番ともいえる試合であった

また、善玉ガイジン対悪役コンビではなく、ガイジン同士の対決という点も画期的であった。

テリーの怪我とファンクス兄弟の絆は、観客の心を掴み、テリーは人気レスラーへと成長した。

この試合は、プロレスの面白さ、エキサイティングでドラマティックな展開、選手のキャラクターの魅力が詰まった、プロレス史に残る名勝負である。

抗争の始まり:ザ・ファンクス vs ブッチャー&シーク

1977年の全日本プロレスで、ザ・ファンクスとブッチャー&シークの抗争で何が起きた?

乱闘勃発&テリー負傷

全日本プロレス5周年を記念した大会には、豪華な選手が集結したんですね。

1977年の全日本プロレス『世界オープンタッグ選手権』は、ベビーフェースのザ・ファンクスと、ヒールチームのブッチャー&シークを中心とした抗争が展開されました。

ザ・ファンクスは、全日本プロレス旗揚げからの功労者で、馬場と鶴田以上の高い人気を誇っていました。

一方、ブッチャー&シークは、当代一の悪役レスラー同士の合体であり、その対立はプロレスの古典的な構図でした。

開幕戦の後楽園ホールでは、ファンクスとブッチャー&シークの乱闘が勃発

テリー・ファンクは、ブッチャー&シークの凶器攻撃で血だるまになり、ロープで首を絞められたまま場外へ宙吊りにされました。

この事件は、後の展開への伏線となりました。

新たな挑戦と伝説の継承

テリー・ファンク、WWFでの活躍後、どんな活躍を見せた?

俳優活動、NWA王座戦での因縁

WWFでの活躍や、リック・フレアーとの因縁など、テリー・ファンクは引退後もプロレス界を賑わせたんですね。

1983年に引退したテリー・ファンクは、翌1984年に復帰し、1985年にはWWFと契約。

ハルク・ホーガンやジャンクヤード・ドッグと抗争を展開するなど、新たな舞台で活躍を続けました。

その後、膝の負傷によりWWFを離脱し、俳優活動に入りました

1989年にはNWA王座戦で勝者リック・フレアーに襲い掛かり、テーブル上でのパイルドライバーを決行し、フレアーとの因縁ドラマを生み出しました。

テリー・ファンクは、プロレス界に大きな足跡を残した伝説的なレスラーです。

テリー・ファンクのプロレス人生は、まさに波乱万丈。

彼の試合は、今も多くの人々に感動を与え続けています。

🚩 結論!

💡 テリー・ファンクは、1965年にプロレスラーデビュー後、世界中で活躍し、多くのファンを魅了しました。

💡 兄のドリー・ファンク・ジュニアとのタッグチーム、ザ・ファンクスとしても、数々の名勝負を繰り広げました。

💡 ブッチャー&シークとの抗争、新日本との対立など、昭和プロレスの黄金期を支えました。