瀬戸内寂聴と瀬尾まなほ:出会いから最期、そして受け継がれる心(?)瀬戸内寂聴氏を支え、エッセイストとしても活躍する瀬尾まなほ
瀬戸内寂聴さんの秘書、瀬尾まなほさんが語る、師との10年間の軌跡。就職活動から始まり、99歳で逝去するまでの寂聴さんの日常、創作への情熱、そして深い愛情を秘めたエッセイ。コロナ禍での変化、遺言、最後の小説集…秘書として見つめた等身大の姿と、人生を変えた出会い。寂聴さんの言葉を胸に、未来へと歩む瀬尾さんの姿を通して、生きるヒントが見つかる。
瀬戸内寂聴さんとゆかりのあるお寺
寂聴さんとゆかりのあるお寺は?
4つあります。
瀬戸内寂聴さんとゆかりのあるお寺について説明します。
公開日:2021/11/12

✅ 作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが9日、心不全のため99歳で死去しました。
✅ 瀬戸内寂聴さんは、1950年に離婚後、小説家を目指し、55年に「痛い靴」でデビュー、57年には「女子大生・曲愛玲」で新潮社同人雑誌賞を受賞するなど、数々の作品を発表しました。
✅ 特に、57年に「花芯」で描いた女性の奔放な性をめぐり、゛子宮小説゛と話題になり、文芸誌から締め出されるなど、波乱に満ちた作家人生を送りました。
さらに読む ⇒ニュースサイト出典/画像元: https://mainichi.jp/articles/20211112/ddm/001/060/098000c寂聴さんが、様々な寺院と関わりを持っていたことが分かります。
それぞれの寺院での活動や、現在についてですね。
瀬戸内寂聴さんは、生涯を通して数々のお寺に関わってきました。
現在、寂聴さんとゆかりのあるお寺は、得度した中尊寺(岩手県平泉町)、自身が創設した寂庵(京都市嵯峨野)、住職を務めた天台寺(岩手県二戸市)、名誉住職を務めた禅光坊(滋賀県大津市)の4つです。
中尊寺は寂聴さんが得度した寺院であり、2024年の中尊寺における寂聴さんに関する法要の有無は確認できませんでした。
寂庵は寂聴さんが開いた寺院であり、2024年現在はイベントは開催されていませんが、関係者によって「法話の会」再開に向けた動きがあるようです。
天台寺は寂聴さんが18年間住職を務めた寺院であり、2024年10月には地元の小学生らとアジサイの植樹イベントが行われました。
また、天台寺には寂聴さんの墓があります。
禅光坊は寂聴さんが名誉住職を務めた寺院であり、建物や檀家はありません。
寂聴さんのように、色々な場所で活動していたんですね。中尊寺とか、行ってみたいなぁ。レトロな雰囲気も良さそう。
寂聴さんから学んだ「おもてなしの心」と社会貢献
寂庵での生活で瀬尾さんが最も学んだことは?
おもてなしの心
瀬尾まなほさんが、寂聴さんから学んだ「おもてなしの心」と社会貢献について説明します。

✅ 瀬尾まなほさんは、着物好きの母の影響を受けながらも、自身は洋服や洋菓子が好きで着物に抵抗を感じていた。しかし、子供の七五三では着物をおさえることを考えている。
✅ 瀬戸内寂聴さんは、出家前は着物をこよなく愛し、原稿料の大半を着物に費やしていた。出家後には全て手放したものの、作品には着物が頻繁に登場し、その描写から寂聴さんの深い着物への愛着を感じられる。
✅ 瀬尾まなほさんは、寂聴さんが着物を通して伝えようとした文化や美意識を理解し、現在もその思いを引き継ぎながら活動を続けている。
さらに読む ⇒京都きもの市場【日本最大級の着物通販サイト】出典/画像元: https://www.kimonoichiba.com/media/column/815/瀬尾さんが寂聴さんの「おもてなしの心」を受け継ぎ、社会貢献活動をしていることに、感銘を受けました。
寂庵での生活を通して、瀬尾さんは、寂聴さんから様々なことを学びました。
特に印象深かったのは、寂聴さんの誰に対しても平等な「おもてなしの心」です。
客人だけでなく、アシスタントに対しても、本を贈ることでその人の人生に良い影響を与えたいという思いやりを感じ、自身の浅はかさに気づかされました。
寂聴さんの「自分のことばかり考えていてはダメだよ」という言葉に影響を受け、瀬尾さんは「若草プロジェクト」という、貧困や虐待など様々な問題に苦しむ若い女性を支援する団体の理事を務めるようになりました。
若草プロジェクトを通して、瀬尾さんは自分とは異なる現実を知り、ショックを受けながらも、寂聴さんの後押しもあり、積極的に活動に取り組んでいます。
瀬尾さんにとって、寂聴さんは人生のコンパスであり、寂庵での10年間は、人生を変える貴重な経験となりました。
おもてなしの心かぁ。自分のことばかりじゃいけないってのは、よく分かる。寂聴さんのような生き方は、素晴らしいね。
瀬戸内寂聴さんの最期とその後
瀬戸内寂聴さんの最後の言葉は何だった?
「寂庵を保育園に」
瀬戸内寂聴さんの最期とその後について説明します。
公開日:2024/05/29

✅ 瀬戸内寂聴氏が遺した句集「定命」は、生前書きためていた花、旅、恋、孤独といった様々なテーマの句を収録しており、寂聴氏の「いのちの遺句集」となっています。
✅ 本書には、95歳の時に「俳句は無責任な愉しみだけを与えてくれるので今では無二の友になりました」と語っていたように、晩年の寂聴氏が意欲的に詠んだ句が166句収録されています。
✅ 「生きる」とはなにかという問いかけに触れることのできる、感動の166句を通して、寂聴氏の魂に触れることのできる「必読の書」となっています。
さらに読む ⇒小学館出典/画像元: https://www.shogakukan.co.jp/news/476369寂聴さんの遺作や、瀬尾さんとの関係性が深く描かれていますね。
また、今後の活動についても触れています。
瀬戸内寂聴さんは、2021年11月に99歳で亡くなりました。
最後の長篇エッセー『その日まで』では、自身の生涯を振り返り「充分、いや、十二分に私はこの世を生き通してきた」と綴っています。
10年以上秘書を務めた瀬尾まなほさんは、寂聴さんの素顔や思い出を語っています。
寂聴さんは亡くなる前日も笑っていたそうです。
瀬尾さんは寂聴さんの遺言について「寂庵を保育園にしたい」という夢があったことを明かしました。
寂聴さんは最後まで自分に見切りをつけず、99歳になっても自分の可能性を信じていました。
遺言が書けなかったのも、断筆しなかったのも、ある意味では優柔不断だったのかもしれません。
瀬戸内寂聴さんの最後の短篇小説集『命日六つの愛の物語』は、作者の人生経験が小説と溶け合い、深みと広がりを見せる作品集です。
秘書を務めた瀬尾まなほさんは、寂聴さんが自身の恋愛、家族、戦争、そして晩年の心境など、様々なテーマを作品に込めていく様を目の当たりにしてきました。
本書には、寂聴さんの半生が反映された物語だけでなく、生前の言葉や日常の一コマが随所に散りばめられています。
99歳まで現役作家として活動を続けた寂聴さんの強い意志と、作品を通して伝わる人生観は、読者に深い感動を与えてくれます。
瀬尾さんのエッセイは、寂聴さんの創作への情熱と、人生に対する深い洞察を、秘書としての視点から丁寧に描き出しています。
瀬戸内寂聴の命日である11月9日に寂庵が開門されること、瀬戸内寂聴の追悼会が12月9日に開催されることが発表されました。
寂庵だよりが休刊となり、購読者には庵主の新刊と手紙が送られる予定です。
瀬戸内寂聴は若草プロジェクトのシンポジウムの代表呼びかけ人を務めています。
また、テレビ番組『今夜くらべてみました』や三省堂書店池袋本店でのパネル展にも出演、または展示があります。
99歳まで現役で、しかも自分の可能性を信じていたなんて、すごいですね。瀬尾さんのエッセイも、読んでみたいです。
瀬戸内寂聴さんと瀬尾まなほさん。
年齢を超えた師弟愛と、その精神を受け継ぐ瀬尾さんの活動に感動しました。
💡 瀬戸内寂聴さんと瀬尾まなほさんの出会いから、秘書としての活躍、そしてエッセイストとしての活動を紹介しました。
💡 寂聴さんの「おもてなしの心」を受け継ぎ、社会貢献活動を行う瀬尾まなほさんの姿を追いました。
💡 寂聴さんの最期と、その後に続く瀬尾まなほさんの活動についてまとめました。