乙羽信子、映画女優としての軌跡とは?~宝塚から映画界、新藤兼人との愛~?乙羽信子の輝かしい軌跡
宝塚歌劇団から映画界へ。乙羽信子は『裸の島』で世界を魅了した名女優。新藤兼人監督との出会い、晩年の『おしん』での熱演。激動の昭和を生き抜き、映画史に名を刻んだ。その鮮烈な人生と、代表作『裸の島』に込められた想いとは? 稀代の女優の波乱万丈な生涯を振り返る。
新藤兼人との結婚
乙羽信子と新藤兼人はいつ結婚した?
1978年1月
新藤兼人監督との結婚についてです。
公開日:2023/12/19

✅ 新藤兼人と乙羽信子の映画人生は、新藤の初監督映画「愛妻物語」での出会いから始まります。乙羽は新藤の映画「原爆の子」に出演するため、大映の反対を押し切り、新藤が設立した「近代映画協会」の同人になりました。
✅ 新藤と乙羽は、映画制作を通じて深く惹かれ合い、27年間の不倫を経て結婚に至ります。新藤は乙羽を「唯一の味方」と呼び、夫婦は互いに深く敬愛し合い、同志としての絆を育みました。
✅ 新藤と乙羽は、映画制作を人生の軸とし、互いの仕事に全力を注ぎました。二人は映画という共通の夢を追い求め、二人三脚で映画界を駆け上がりました。そして、映画という舞台で共に人生を全うしました。
さらに読む ⇒コモレバ昭和を楽しみ、今を遊ぶ¿出典/画像元: https://conex-eco.co.jp/special-feature/23755/27年間の不倫を経ての結婚というのは、現代では考えられないような、強い絆を感じますね。
乙羽信子と新藤兼人監督は、1951年の映画『愛妻物語』で出会い、熱愛関係になりました。
しかし、新藤兼人監督には妻子がいたため、不倫関係が続きました。
1972年に新藤兼人監督が離婚しましたが、乙羽信子さんは前妻に遠慮して結婚をためらっていました。
前妻が亡くなった後、1977年8月に新藤兼人さんからプロポーズされ、1978年1月に結婚しました。
不倫からの結婚って、すごいな。でも、当時はそういう恋愛もあったんだろうな。映画みたい。
晩年とその後
乙羽信子の遺骨はどこに眠っている?
広島と京都
晩年とその後について解説します。

✅ 新藤兼人監督は、肝臓がんの手術を受けた妻の乙羽信子さんが医師からあと1年の寿命と告知されたことを受け、「午後の遺言状」のシナリオを書き上げた。
✅ 乙羽信子さんは俳優として最期まで仕事をしたいと考えていたため、新藤監督は彼女の意志を尊重し、映画の制作を決めた。
✅ 映画「午後の遺言状」は、乙羽信子さんの最期の主演作となり、彼女の素晴らしい演技が遺されている。
さらに読む ⇒中国新聞デジタル出典/画像元: https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/1195乙羽信子さんの最期まで女優として作品に向き合う姿勢には、本当に頭が下がります。
乙羽信子と新藤兼人監督には実子はおりませんでしたが、新藤兼人監督の前妻との間に生まれた息子である新藤次郎さんは、近代映画協会の代表取締役社長を務めました。
乙羽信子の代表作には、『裸の島』などがあります。
遺作は『午後の遺言状』で、最後の撮影場面では、体調に合わせてシナリオを変更したそうです。
乙羽信子さんの遺骨は、代表作『裸の島』を撮影した広島県三原市の宿祢島に半分散骨され、もう半分は京都市の墓地に埋葬されました。
最期まで女優として、すごい。生きたいという強い思いを感じるよ。映画もまた観てみたい。
新藤兼人と乙羽信子の軌跡
新藤兼人監督は、どんな人生を歩みましたか?
映画監督として活躍、100歳まで長生き
乙羽信子さんの生誕100年を記念した特集についてです。

✅ 9月1日から衛星劇場で「乙羽信子 生誕100年記念特集」が開催され、乙羽信子が出演した映画11作品が放送されます。
✅ 今回の特集では、映画デビュー作から遺作までを網羅しており、テレビ初放送作品として「かげろう」と「強虫女と弱虫男」がラインナップされています。
✅ 特集では、「思えば遠くへ来たもんだ」「かげろう」「強虫女と弱虫男」「釣りバカ日誌5」など、乙羽信子の魅力あふれる名作が楽しめます。
さらに読む ⇒松竹シネマ出典/画像元: https://cinemaplus.shochiku.co.jp/latest-info/detail/142/生誕100年記念特集で、乙羽信子さんの作品を振り返れるのは素晴らしいですね。
新藤兼人監督は、乙羽信子さんの死後も映画監督として活躍し、100歳まで長生きしました。
2012年5月29日、老衰のため東京都港区の自宅で亡くなりました。
乙羽信子は、宝塚歌劇団出身の女優で、昭和を代表する映画・ドラマ女優として活躍しました。
晩年は、夫である映画監督の新藤兼人と共に活動し、映画界に貢献しました。
1994年に肝硬変のため74歳で亡くなりました。
特集、見たいねえ。乙羽さんの作品、もう一度じっくりと見返したいもんだ。
乙羽信子さんの生涯は、まさに映画そのもの。
その輝かしい軌跡は、私たちに忘れられない感動を与えてくれます。
💡 宝塚歌劇団から映画界へ。数々の名作に出演し、昭和を代表する女優として活躍。
💡 新藤兼人監督との出会い、結婚。公私ともにパートナーとして映画制作に携わる。
💡 晩年は病と闘いながらも、女優として最期まで作品を作り続けた。その生き様は多くの人々に感動を与えた。