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小林宗作とトモエ学園(リトミック)?教育理念と黒柳徹子小林宗作とトモエ学園の教育

火災、代用教員、そしてヨーロッパ留学でのリトミックとの出会い… 小林宗作は、自由な発想と個性を尊重する教育を追求し、子供たちの心身の発達を促しました。廃車を教室に、少人数制で寄り添う教育。リトミック教育を基盤とした「トモエ学園」は、黒柳徹子の「窓ぎわのトットちゃん」で広く知られ、現代の教育にも大きな影響を与えています。彼の教育理念は、子どもの可能性を最大限に引き出すことを目指しました。

小林宗作とトモエ学園(リトミック)?教育理念と黒柳徹子小林宗作とトモエ学園の教育

📘 この記事で分かる事!

💡 小林宗作は、リトミック教育を日本に導入し、子供たちの心身の発達を促しました。

💡 トモエ学園では、リトミックを基盤とした自由な教育を行い、黒柳徹子さんなど多くの著名人を輩出しました。

💡 小林宗作の教育理念は、子供の個性を尊重し、自由な発想を育むことを重視しています。

本日は、小林宗作氏の生涯と教育理念、そしてトモエ学園での実践について、詳しく見ていきましょう。

小林宗作の生涯と教育理念

小林宗作が創設したトモエ学園の特徴は?

少人数制と自由な環境

小林宗作氏の功績を再評価し、その教育理念を後世に伝えていく活動は素晴らしいですね。

音楽生かした幼児教育普及トモエ学園校長・小林宗作の功績知って出身地の東吾妻町で町議ら活動スタート:東京新聞デジタル
音楽生かした幼児教育普及トモエ学園校長・小林宗作の功績知って出身地の東吾妻町で町議ら活動スタート:東京新聞デジタル

✅ 群馬県東吾妻町出身の幼児教育研究者、小林宗作の功績を広く知ってもらおうと、地元の有志が活動を始めた。

✅ 小林宗作は戦時期に「トモエ学園」の校長を務め、音楽を取り入れた教育法「リトミック」の普及に貢献した人物であり、黒柳徹子、池内淳子、美輪明宏など著名な教え子を持つ。

✅ 地元ではあまり知られていない小林宗作の業績を再評価し、その教育理念を後世に伝えたいという思いから、活動がスタートした。

さらに読む ⇒東京新聞出典/画像元: https://www.tokyo-np.co.jp/article/307304

小林宗作氏の生涯とその教育理念、そしてトモエ学園での実践について、深く知ることができました。

群馬県出身の小林宗作は、幼少期に実家を焼失する経験を経て、代用教員などを経て東京音楽学校に進学、教職に就きました。

その後、ヨーロッパ留学中にスイスの作曲家エミール・ジャック=ダルクローズからリトミック教育を学び、帰国後に日本に導入しました。

1930年には日本リトミック協会を設立し、1937年にはリトミックを教育基盤とした幼小一貫校「トモエ学園」を創立しました。

トモエ学園では、少人数制を採用し、生徒一人一人に寄り添った教育を実践。

廃車になった電車を教室として利用するなど、自由な発想と創造性を育む環境を提供していました。

小林宗作は、リトミックを「体の機械組織を精巧にする遊戯」「心に運転術を教える遊戯」「心と体にリズムを理解させる遊戯」と表現し、心身のリズムを理解させ、精神と肉体の調和を目指した教育を実践しました。

彼の教育理念は、黒柳徹子の自伝的小説「窓ぎわのトットちゃん」を通じて広く知られるようになり、現代でも多くの教育者に影響を与えています。

素晴らしいお話でした。私自身、子供の頃に自由な校風の学校に通っていたので、共感できる部分が多かったです。

教育者としての小林宗作の歩み

小林宗作はどんな教育に情熱を注いだ?

リトミック教育

小林宗作氏が、いかに教育に情熱を注ぎ、様々な困難を乗り越えてきたのかがよく分かります。

リトミック広めた「トットちゃん」校長、小林宗作に関心持って出身地の群馬・東吾妻町が講演会や映画上映会を検討
リトミック広めた「トットちゃん」校長、小林宗作に関心持って出身地の群馬・東吾妻町が講演会や映画上映会を検討

✅ 群馬県東吾妻町出身の幼児教育研究家、小林宗作は、音楽教育法「リトミック」を日本に広めた功績を持つ。

✅ 地元では知名度が高くなかったが、黒柳徹子さんの自伝的小説「窓ぎわのトットちゃん」でトモエ学園の校長先生として描かれたことで、近年注目されている。

✅ 東吾妻町は、小林宗作の功績を広く知らしめるため、ゆかりの教育機関との連携や講演会の開催などを検討している。

さらに読む ⇒上毛新聞社のニュースサイト出典/画像元: https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/402034

小林宗作氏の教育者としての歩みは、まさに波乱万丈だったのですね。

それでも教育への情熱を失わなかったことに感銘を受けました。

小林宗作は、明治26年生まれ、幼少期に火事で家を失い、代用教員を経て東京の小学校教員となりました

その後、自由教育運動に共感し成蹊学園へ移り、幼児教育に専念しました。

大正12年には三菱財閥の支援を受け欧州へ留学し、リトミックの創始者であるエミール・ジャック=ダルクローズに師事しました。

帰国後、成城学園でリトミック指導を行い、昭和5年には日本リトミック協会の設立許可を取得しました。

昭和12年には自由ヶ丘小学校・幼稚園を買い取り、トモエ学園を設立し校長に就任しましたが、昭和14年には校舎と敷地の4割を失うなどの困難に直面しました。

それでも、廃車となった電車を活用して教室を作るなど、創意工夫で子どもたちの教育環境を整えました。

昭和19年には戦争の影響でトモエ学園は焼失し、終戦後も教育活動を続け、国立音楽大学附属幼稚園園長、国立音楽大学附属小学校部長などを歴任しました。

戦後もリトミック教育の普及に貢献し、昭和38年に69歳で亡くなりました。

興味深い内容でした。教育に対する情熱が伝わってきますね。

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トモエ学園と国立音楽大学附属幼稚園。リトミックと自由な教育で子どもの個性を開花!自主性と創造性を育む、音楽教育のパイオニアたちの熱い想い。