吉行和子:女優としての軌跡と魅力とは?女優・吉行和子の多岐にわたる活躍
女優・吉行和子の波乱万丈な生涯を紐解く。劇団での葛藤、唐十郎との出会い、大島渚作品での輝き… 舞台女優として、そして映画・ドラマの世界で活躍し、数々の名作を生み出した彼女の軌跡。冨士眞奈美との長年の友情、舞台引退と葛藤、そして今もなお女優業への情熱を燃やす姿を描き出す感動のドキュメント。彼女の言葉「現場にいるときがいちばん居心地がいい」が胸に響く。
💡 1957年の女優デビューから現在に至るまで、舞台、映画、ドラマと幅広く活躍。
💡 劇団民藝での経験、アングラ演劇との出会い、そして友情を通して女優としての表現を深める。
💡 舞台への愛と別れ、そしてドラマ界での活躍。彼女の多様な才能を紹介します。
それでは、吉行和子さんの女優人生を振り返りながら、彼女の魅力に迫っていきましょう。
女優としての出発と転換点
吉行和子さん、女優を続ける決意をしたきっかけは?
先輩の励ましの言葉
吉行和子さんが女優として歩み始めた頃の葛藤や、その後、女優を続ける決意をしたきっかけについて解説します。

✅ 吉行和子さんは、舞台「アンネの日記」で女優デビューを果たしましたが、当初は観客に嫌われていると感じ、舞台に立つことを苦痛に感じていた。しかし、先輩の言葉に奮起し、女優を続けることを決意した。
✅ 14歳の時に義父とその連れ子との新しい生活を始めた吉行さんは、義父が自分の娘だけに布団をかけてくれた光景を目撃し、早く自立したいと強く願うようになった。
✅ 劇団「民藝」では、劇団員の収入が劇団の運営費用に充てられるという厳しい状況下で、吉行さんは30歳まで月給2万円という生活を送っていた。しかし、唐十郎や寺山修司らの演出に触発され、劇団「民藝」を退団し、新たな世界へと飛び込んだ。
さらに読む ⇒こいもうさぎのブログ出典/画像元: https://koimousagi.com/36973.html吉行和子さんの女優としての出発点と、その後の活動への影響について、興味深く感じました。
吉行和子さんは、1957年に劇団民藝の舞台「アンネの日記」で女優デビューし、60年以上女優を続けています。
当初は体調面を考慮し、女優を辞めようと考えていましたが、先輩の言葉に励まされ、女優を続けることを決意しました。
劇団民藝では30歳まで月給が2万円だったものの、舞台以外の活動で収入を得て劇団の経営を支えていました。
1969年、34歳の時に唐十郎らの舞台「少女仮面」に出演するため、劇団民藝を退団し、新しい世界へ飛び込みました。
この舞台で初めてお芝居の楽しさを知り、以降は様々な舞台や映画に出演するようになりました。
吉行さんの女優デビュー初期のエピソードは、まるで私の若い頃を見ているようだったよ。
輝かしい女優人生
吉行和子さんの女優人生の転換期は?
不倫殺人役で受賞
吉行和子さんがアングラ演劇との出会いを通じて、どのように表現の幅を広げたのかを見ていきましょう。

✅ 吉行和子は劇団民藝を離れ、反体制のアングラ系の演劇に参加することで、初めて芝居の面白さを感じ、自身の表現の幅を広げることができた。
✅ 劇団民藝では常に試験されているような感覚で、自由な表現や挑戦が難しく、気持ちも窮屈だったと語る。
✅ アングラ系の演劇では、劇場の小ささや観客との距離の近さ、自由に表現できる環境などが、吉行和子に刺激を与え、観客と一体となって芝居を作り上げる喜びを教えてくれた。
さらに読む ⇒ポストセブン出典/画像元: https://www.news-postseven.com/archives/20170513_542960.html?DETAIL吉行和子さんの、新たな表現を求めて挑戦し続ける姿勢に感銘を受けました。
吉行和子さんは、1978年に大島渚監督作品「愛の亡霊」で不倫相手の青年と共謀して夫を殺害する人妻を演じ、日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞しました。
その後も舞台を中心に活動し、2008年、73歳の時には、舞台から引退することを発表しました。
病弱で裏方志望だったにも関わらず、主演女優としてデビューし、様々な困難を乗り越えて、女優として活躍し続けました。
アングラ演劇での経験が、吉行さんの女優としての表現力を高めたというのは、非常に興味深い話だね。
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吉行和子と冨士眞奈美、俳句と友情を育む80代女優。綾野剛ら若手俳優を語り、舞台引退と女優業への想いを吐露。40年超の絆と、舞台への情熱が詰まった珠玉のインタビュー。