宮城まり子とねむの木学園:障害児教育への情熱と半世紀の歩み(宮城まり子、ねむの木学園、教育)?宮城まり子とねむの木学園の感動的な物語
紅白歌手から、障害児の未来を照らす道へ。 宮城まり子さんが設立した「ねむの木学園」は、愛と献身で、子供たちの才能を育む場所。独自の教育法で感性を磨き、絵画教育を通じて表現力を開花。半世紀を超えて、子供たちの心の拠り所であり続ける学園の、温かい物語をご覧ください。
💡 女優 宮城まり子さんが設立した障害児のための施設「ねむの木学園」の歴史。
💡 学園の教育理念、活動内容、そして子供たちの個性を育む独自の教育システム。
💡 宮城まり子さんの逝去後も受け継がれる学園の精神と、今後の展望。
それでは、宮城まり子さんの生涯と、彼女が設立したねむの木学園の活動を通して、障害児教育への情熱と、その歩みについてご紹介いたします。
宮城まり子とねむの木学園の始まり
宮城まり子さんが「ねむの木学園」設立を決意したきっかけは?
障害児との出会い
本章では、宮城まり子さんがねむの木学園を設立するまでの経緯を振り返ります。
公開日:2020/04/22

✅ 宮城まり子さんは、1995年11月14日撮影の写真が公開されているように、日本の女優として活躍していました。
✅ 1955年に歌手としてデビューし、「ガード下の靴みがき」が大ヒット、その後ミュージカル女優やテレビドラマ、映画などでも活躍しました。
✅ 脳性まひの子の役を演じたことなどから障害児教育に関心を持ち、1968年に私財を投じて「ねむの木学園」を開設し、障害のある子供たちとの日々を描いた記録映画「ねむの木の詩」を製作・監督しました。
さらに読む ⇒ニュースサイト出典/画像元: https://mainichi.jp/articles/20200323/k00/00m/040/004000c宮城まり子さんの行動力と、障害を持つ子供たちへの深い愛情に感銘を受けました。
芸能活動をしながらも、社会貢献に尽力された姿は素晴らしいですね。
宮城まり子さんは、1955年に歌手デビューを果たし、舞台やテレビで活躍しました。
1957年には「婦人公論」の取材で知恵遅れの子供たちと出会い、障害者への理解を深めます。
1959年には積極的に障害者を受け入れるアメリカの社会に触れ、自身の消極性を反省します。
1960年に脳性麻痺のこどもの役を演じ、彼らの教育と生活の場の必要性を感じ、自ら障害児の施設を建設することを決意します。
1962年から土地探しを始め、1965年6月には静岡県小笠郡浜岡町に用地を決定。
1966年には社会福祉法人ねむの木福祉会の設立認可へ向けて活動を開始し、1968年1月には設立認可を得ます。
同年4月には養護施設「ねむの木学園」が開園し、障害を持つ子供たちの生活と教育の場が提供されます。
その後も施設の拡張を続け、1970年には大阪万国博覧会で映像ショーの司会を担当し、電々公社(現NTT)が後援会に入るなど、ねむの木学園の活動は広がっていきます。
宮城まり子さんは、故・吉行淳之介さんと共に1968年に肢体不自由児のための療護施設『ねむの木学園』を設立しました。
宮城さんは、吉行さんと事実婚の関係にあり、彼を深く愛していました。
吉行さんは学園の理事も引き受け、子供たちの゛おとうさん゛として、宮城さんと共に学園の発展に尽力しました。
宮城さんは、吉行さんと出会う前は、NHK紅白歌合戦にも出場する人気歌手として活躍していましたが、障害のある子供たちの現状を知り、彼らを救いたいという強い思いを抱くようになりました。
吉行さんは、宮城さんのその思いを理解し、共に学園を設立しました。
宮城まり子さんの若い頃の活躍から、学園設立に至るまでの経緯がよく分かりました。あの時代に、これだけの決意と行動力があったことに、ただただ頭が下がりますね。
ねむの木学園の教育理念と活動
ねむの木学園の教育方針は?
感性を育てる
本章では、ねむの木学園の教育理念と、具体的な活動内容について解説します。

✅ 掛川市のねむの木学園の生徒による絵画展「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」が三島信用金庫本店で開催されています。
✅ 展覧会は8月18日まで開催され、宮城まり子さんの生徒たちへの評価も展示されています。
✅ 展示はさんしんギャラリー善で行われています。
さらに読む ⇒静岡新聞出典/画像元: https://news.at-s.com/article/1277419子供たちの感性を育むための多様な教育活動に感銘を受けました。
自由な発想力を育む絵画教育は、素晴らしいですね。
子供たちの笑顔が目に浮かぶようです。
ねむの木学園では、子供たちの感性を育てることを重視し、絵画、ダンス、音楽、茶道など、さまざまな学びの場を提供してきました。
また、自由に発想力を育む絵画教育は特に評価が高く、国内外で多くの美術展を開催しています。
現在、ねむの木学園には、最年少2歳から最年長77歳まで、74人の子供たちが暮らしています。
宮城さんは、彼らを゛自分の子供゛のように愛し、献身的に支えています。
宮城さんは、吉行さんが亡くなってからも、彼の意志を受け継ぎ、ねむの木学園を支え続けています。
90歳になった今もなお、子供たちのために情熱を注いでおり、その姿は多くの人の心を打つものです。
ねむの木学園は、吉行さんと宮城さんの深い愛情と献身によって、半世紀以上にわたり、多くの障害を持つ子供たちの心の拠り所であり続けています。
絵画やダンスなど、子供たちの才能を伸ばすための様々な活動をしているんですね。宮城さんの愛情が、学園全体に伝わっているのがよく分かります。
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感性を育む集中感覚教育で、子どもの潜在能力を開花!宮城まり子氏創立の「ねむの木学園」。愛と優しさで子どもの心を育む、その教育とは?