元関脇寺尾、急逝。角界の鉄人と呼ばれた男の生涯とは?寺尾、惜しまれつつ60歳で死去。角界を彩った男の足跡
元関脇・寺尾、愛称「鉄人」。「花のサンパチ組」として活躍し、端正な顔立ちと豪快な人柄で人気を博した。116キロの体で歴代10傑入りを果たすなど、その強靭さは多くのファンを魅了。不整脈との闘病の末、60年の生涯を閉じた。土俵を去った後も後進の指導に尽力し、愛弟子・阿炎の優勝を共に喜んだ。その死は多くの人に惜しまれ、天国では兄弟と酒を酌み交わしているだろう。

💡 元関脇寺尾の錣山親方が60歳で死去。幕内通算500勝を達成した角界のレジェンド。
💡 角界の鉄人と呼ばれ、39歳まで現役を続けた寺尾。引退後は錣山部屋を興し、後進を育成。
💡 持ち前の甘いマスクと力強い相撲で人気を博した寺尾。引退後も多くの人に慕われた。
今回の記事では、角界の鉄人と呼ばれた元関脇寺尾さんの輝かしい功績と、その人間性に迫っていきたいと思います。
土俵を彩った鉄人
人気力士・寺尾、60年の生涯を閉じる…その強さの秘密は?
鉄人と呼ばれた、小気味良い突っ張り相撲。
元関脇寺尾こと錣山親方の訃報をお伝えいたします。
角界の鉄人と呼ばれ、長きにわたり相撲界を支えた力士でした。
その功績を振り返ります。

✅ 元関脇寺尾の錣山親方が60歳で死去。甘いマスクと力強い取り口で人気を博し、幕内通算500勝を達成した。
✅ 元関脇鶴ケ嶺を父に持ち、井筒部屋に入門。「井筒3兄弟」の一員として活躍し、「花のサンパチ組」としても親しまれた。
✅ 39歳まで関取として活躍し「角界の鉄人」と呼ばれた。引退後は錣山部屋を興し、阿炎らを育てた。
さらに読む ⇒中日新聞Web出典/画像元: https://www.chunichi.co.jp/article/823721幕内通算500勝、39歳まで現役を続けたという記録は、まさに鉄人という名にふさわしいですね。
その強さ、そして人々に愛された理由を紐解いていきましょう。
2023年12月17日、元関脇・寺尾こと錣山親方(本名:福薗好文)が、長年患っていた不整脈が悪化し、都内の病院で60年の生涯を閉じました。
相撲一家に生まれた寺尾は、父を元関脇鶴ケ嶺、兄弟には逆鉾を持つという環境の中で育ちました。
自身も小気味良い突っ張り相撲で人気を博し、116キロの細身ながらも、通算出場回数などで歴代10傑入りを果たすなど、その強靭さから「鉄人」の異名で親しまれました。
現役時代には、連続出場1359回、通算出場1795回、白星860勝という輝かしい記録を残しています。
いやあ、寺尾関の訃報は寂しいなあ。あの突っ張り相撲、今でも覚えているよ。花のサンパチ組の一員として、よく応援したもんだ。
愛された男、錣山親方
寺尾の偉大な功績は?師弟愛と人望が感動を呼んだ?
錣山部屋創設と阿炎の指導、多くの人からの慕われ方。
錣山親方の告別式の様子をお伝えします。
多くの関係者に見守られ、温かい雰囲気の中で行われたようです。
その人望の厚さが伺えます。

✅ 元関脇寺尾の錣山親方の告別式が、約400人の参列者に見守られる中、東京都江東区の錣山部屋で行われた。
✅ 告別式では、愛息からの挨拶や、日本酒、くまのプーさんのぬいぐるみなどが納められたひつぎが出棺され、弟子たちとの別れを惜しむ姿が見られた。
✅ 参列者やファンからは「ありがとう!」の声が上がり、錣山親方を偲んだ。
さらに読む ⇒デイリースポーツ online出典/画像元: https://www.daily.co.jp/general/2023/12/23/0017159731.shtml400人もの方々に見送られた告別式。
愛弟子である阿炎関の姿や、ファンの方々の「ありがとう」の声が、彼の人間性を物語っていますね。
寺尾は、端正な顔立ちと、筋肉質な体つきで女性ファンからも絶大な人気を誇りました。
土俵を去った後は、錣山部屋を創設し、後進の指導に情熱を注ぎました。
愛弟子である阿炎が幕内優勝を果たした際には、病を抱えながらも喜びを露わにし、師弟愛の深さを見せました。
しかし、晩年は不整脈の持病と闘いながら、部屋の復帰を目指す日々を送っていました。
その人望は厚く、訃報を聞きつけ、多くの関係者やファンが錣山部屋に集まりました。
通夜には800人、告別式には400人が参列し、同期生や長年の付き人、全国からOBや友人が弔問に訪れ、その別れを惜しみました。
寺尾さんの人柄が偲ばれますわね。現役時代からファンを大切にしていたのでしょう。それにしても、あの甘いマスクは印象的でした。
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