元関脇 寺尾の軌跡!イケメン力士と呼ばれた男の波乱万丈な人生とは?寺尾 - 錣山親方、その相撲人生と家族
角界のプリンス、寺尾関こと錣山親方。相撲一家に生まれ、イケメン力士として人気を博し、引退後は部屋を継承。9歳年上の妻との愛情深い結婚生活、俳優として活躍する義理の息子、そして早稲田大学助手の実の息子。2023年に60歳で逝去。「アビさん」と呼ばれた寺尾親方の、家族との絆と波乱万丈の人生を描く感動の物語。

💡 元関脇寺尾は、甘いマスクと力強い相撲で人気を博し、幕内通算500勝を達成した。
💡 角界入り以前から相撲一家に育ち、兄も力士という環境で育ち、高校から相撲を始めた。
💡 引退後は錣山を襲名し、井筒部屋から分家独立して部屋を運営、元小結豊真将や阿炎らを育てた。
本日は、寺尾関こと錣山親方の一生を振り返ります。
力士としての活躍から、家族との絆、そして突然の別れまで、その波乱万丈な人生を紐解いていきましょう。
力士の道へ
寺尾こと錣山親方、相撲人生の始まりは?
1979年初土俵、イケメン力士として人気。
錣山親方こと寺尾は、角界入り後、その端正な顔立ちと実力で多くのファンを魅了しました。
井筒3兄弟の末っ子として、また「花のサンパチ組」の一員としても活躍しました。

✅ 元関脇寺尾の錣山親方が60歳で死去。甘いマスクと力強い相撲で人気を博し、幕内通算500勝を達成した。
✅ 「井筒3兄弟」の末っ子として角界入りし、「花のサンパチ組」としても活躍。「角界の鉄人」の異名を持ち、39歳まで関取として活躍した。
✅ 引退後は錣山を襲名し、井筒部屋から分家独立して部屋を運営。元小結豊真将や阿炎らを育てた。
さらに読む ⇒中日新聞Web出典/画像元: https://www.chunichi.co.jp/article/823721寺尾関の幕内500勝、本当に素晴らしい記録ですね。
39歳まで関取として活躍された「角界の鉄人」という異名は伊達ではありません。
その活躍を改めて振り返りたいと思います。
1963年生まれの福薗好文、のちの錣山親方である寺尾は、鹿児島県で育ちました。
相撲一家に生まれ、父は元関脇鶴ヶ嶺、兄も力士という環境で育ちました。
高校から相撲を始め、1979年初土俵を踏み、1985年には入幕を果たします。
その容姿から、イケメン力士として人気を博し、最高位は東関脇にまで上り詰めました。
寺尾関は、まさに昭和を代表するイケメン力士でしたね。私も若い頃、テレビの前で応援したものです。懐かしいなあ。
愛妻との出会いと結婚
寺尾聰の結婚相手は?馴れ初めは?
ブティック経営者の伊津美さん。代官山で出会い結婚。
寺尾関は、9歳年上の女性と結婚し、温かい家庭を築きました。
再婚でありながらも、家族との絆を深め、公私ともに充実した人生を送りました。

✅ 元錣山親方である寺尾は、8歳年上の女性と1994年に結婚し、再婚であった。妻との間には次男が、妻の連れ子である長男もおり、長男は俳優として活躍した。
✅ 寺尾の姪は元宝塚歌劇団の天咲千華であり、彼女の結婚式には次男が出席した。
✅ 寺尾は2002年に引退するまで、18年間妻に支えられ、長男との関係も時間をかけて良好なものとなった。次男は早稲田大学で助手として勤務している。
さらに読む ⇒知っ得!大相撲出典/画像元: https://richness4.com/sikoroyamabeya-oyakata-okamisan/9歳年上の奥様との結婚、そして長男との関係を時間をかけて良好にしたというのは、素晴らしいですね。
ブティックを経営されていた奥様との出会いも運命的だったのでしょう。
寺尾は、代官山のブティックで出会った9歳年上の福薗伊津美さんと約10年の交際を経て、1994年に結婚しました。
伊津美さんは大分県中津市出身で、ブティック経営者としての顔も持っていました。
彼女は以前にも結婚しており、長男の由布樹さんがいました。
寺尾と伊津美さんの間には、1995年に次男の晴也さんが誕生します。
結婚発表時には、伊津美さんは既に妊娠していました。
9歳年上のお相手との結婚、そして再婚という経緯もまた、現代的で興味深いですね。寺尾関の人柄が偲ばれます。長男の方が俳優さんだったのも、何かドラマチックですね。
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俳優・寺尾由布樹、早大助手の次男、元宝塚娘役の姪… 寺尾の家族と絆。引退後の妻の支え、そして突然の死。家族の深い悲しみと、残された彼らの決意。