ドラマにみる母親像の変遷? 昭和から令和まで、時代を彩る女優たちとその家族像時代を映す、ホームドラマにおける母親役の変遷を振り返る
昭和から令和へ、ドラマと映画が描く「お母さん」像の変遷。戦後の復興期、女優たちは希望を演じ、観客を励ました。時代は変わり、多様な母親像が登場。京塚昌子から薬師丸ひろ子、そして城島茂まで!固定観念を打ち破る演技と、時代に合わせた新たな「お母さん」像が、私たちを温かく包み込む。ホームドラマの未来を担う、多様な母の姿に注目!

💡 戦後の復興期には、苦労しながらも子供を慈しむ母親像が描かれ、人々に希望を与えた。
💡 高度経済成長期には、明るく強い肝っ玉母さんが登場し、テレビドラマを席巻した。
💡 現代では、多様な価値観を反映し、様々なタイプの母親像が描かれるようになった。
今回の記事では、ドラマや映画に登場する母親像の変遷について、時代背景や社会の変化と関連付けて解説していきます。
戦後の希望と母親像の誕生
終戦直後のドラマ・映画、人々に何を与えた?
希望と共感、明日への希望。
ドラマや映画における母親像は、時代の変化を色濃く反映し、人々に影響を与えてきました。
本章では、戦後の日本における母親像の変遷を紐解きます。

✅ 昭和から令和にかけて、ドラマや映画における母親役の変遷を振り返り、時代の変化とともに求められる母親像が変化してきたことを考察している。
✅ 戦後の復興期には、困難な状況下で苦労する母親像に共感し、自分たちの境遇と比較して励みにする傾向があった一方で、高度経済成長期には強くて明るい母親像がテレビドラマを中心に描かれるようになった。
✅ 近年、母親役を演じる役者の中には、私生活で母親でない人も多く、想像力によって役を演じることで、固定観念にとらわれず多様な母親像を表現できる可能性を示唆している。
さらに読む ⇒ 週刊女性PRIME出典/画像元: https://www.jprime.jp/articles/-/22168?display=b戦後の母親像は、まさに時代の象徴ですね。
困難を乗り越える姿に、多くの人が共感し、勇気をもらったのでしょう。
終戦直後の日本は、復興への道を歩み、ドラマや映画は人々に希望を与える存在となりました。
この時代、三益愛子や水戸光子といった女優たちが、貧困や苦労を乗り越え、子供たちを慈しむ母親像を演じ、多くの視聴者に共感と励ましを与えました。
観客は、自身の境遇と重ね合わせ、明日への希望を見出していたのです。
あの頃の母親たちは、本当にたくましかった。ドラマを見て、私も頑張ろうと思ったものです。
昭和を彩った女優たちとその私生活
肝っ玉かあさん役の女優、プライベートは?
独身を貫いていた
京塚昌子演じる「肝っ玉かあさん」は、昭和の母親像を代表する存在でした。
本章では、京塚昌子をはじめとする、昭和を彩った女優たちとその私生活に迫ります。

✅ 京塚昌子は国民的ドラマ「肝っ玉かあさん」で一世を風靡し、その華やかな姿の裏には病気との闘いや私生活での葛藤があった。
✅ 晩年は体調不良により芸能界を引退し、64歳で心不全により死去。葬儀には多くの関係者が参列し、死後も追悼番組が放送されるなど、多くの人々に愛された。
✅ 京塚昌子の死後、ドラマにおける母親像は変化し、現代では多様な母親像が登場。彼女の功績は、時代を超えて現代の女優たちにも影響を与え続けている。
さらに読む ⇒京塚昌子の生涯と「肝っ玉かあさん」:昭和を代表する女優の軌跡とは?国民的女優・京塚昌子の光と影出典/画像元: https://just-known.com/archives/6239/2京塚昌子さんのような女優さんたちが、ドラマを通して、私たちに多くの影響を与えていたんですね。
彼女たちの活躍は、今も色褪せません。
京塚昌子演じる「肝っ玉かあさん」は、その代表例として、当時の社会に大きな影響を与えました。
興味深いのは、京塚昌子をはじめとする「お母さん女優」たちが、プライベートでは独身を貫いていたことです。
女優の川上麻衣子は、子育て経験がないことが、役作りの上で固定観念に囚われず、想像力を高めることに繋がると分析しています。
また、昭和と平成の母親像を象徴する女優たちの共演も見られました。
山岡久乃さんと田中好子さん(スーちゃん)のミツカンすし酢のCMは、その象徴と言えるでしょう。
京塚昌子さんが演じた肝っ玉母さんは、本当に魅力的でしたね。ドラマを通して、家族の温かさを感じました。
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多様化する現代の母の姿。薬師丸ひろ子、城島茂らが演じる個性豊かな母親像を通して、時代と共に変化するドラマの「お母さん」像を描き出す。