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川柳の父、柄井川柳と『誹風柳多留』の世界へようこそ!川柳、江戸時代、文化柄井川柳と『誹風柳多留』:江戸文化を彩る川柳の世界

江戸文化を彩った川柳。享保の改革期に生まれた柄井川柳が、独自の視点で庶民の日常をユーモラスに表現し、川柳という新たな文芸を確立!万句合から生まれた『誹風柳多留』は、当時の社会風俗を活写し、人々の心を捉えました。五七五の枠を超えた自由な表現は、現代にも受け継がれ、川柳は今も人々の生活に寄り添い続けています。

川柳の父、柄井川柳と『誹風柳多留』の世界へようこそ!川柳、江戸時代、文化柄井川柳と『誹風柳多留』:江戸文化を彩る川柳の世界

📘 この記事で分かる事!

💡 柄井川柳が川柳というジャンルを確立し、江戸時代に流行した自由な口語詩について。

💡 呉陵軒可有らによって編纂された川柳集『誹風柳多留』の誕生と隆盛について。

💡 川柳の多様性と、現代に繋がる川柳文化について。

それでは、川柳の誕生から現代への繋がりまで、深く掘り下げていきましょう。

川柳の父、柄井川柳の誕生

柄井川柳、万句合で何が大流行の秘訣だった?

斬新な句と高点句披露、優れた編集力!

本日は、川柳の創始者である柄井川柳についてご紹介します。

江戸時代中期、川柳という新しい文芸が誕生し、多くの人々を魅了しました。

その始まりと、川柳というジャンルを確立するまでの道のりを見ていきましょう。

柄井川柳が最初の川柳評万句合を行った日(川柳発祥の日)です(新暦10月7日) : ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)
柄井川柳が最初の川柳評万句合を行った日(川柳発祥の日)です(新暦10月7日) : ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

✅ 1757年8月25日(新暦では10月7日)は、柄井川柳が最初の川柳評万句合を行った「川柳発祥の日」である。

✅ 川柳は、季語や切れ字に縛られない自由な口語詩で、人々の滑稽さや風刺を表現する文芸として江戸時代中期に流行した。

✅ 柄井川柳は川柳評万句合を興行し、『誹風柳多留』を出版して川柳というジャンルを確立し、江戸の第一人者となった。

さらに読む ⇒ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)出典/画像元: https://gauss0.livedoor.blog/archives/16360012.html

柄井川柳の功績は、まさに画期的ですね。

万句合の開催と『誹風柳多留』の出版により、川柳が一般の人々に広まりました。

彼の革新的な試みが、江戸文化に大きな影響を与えたことがよく分かります。

江戸時代中期、享保3年に生まれた柄井川柳。

浅草の名主の家柄に育ち、名主としても活躍する一方で、川柳の隆盛に大きく貢献しました。

彼は当初、談林派俳諧の点者としても活動していましたが、宝暦7年(1757年)に前句付けの点者として万句合興行を開始します

月3回、5の付く日に開催された万句合は、斬新な句の採用と高点句の披露など、優れた編集能力により、幅広い層から支持を得て大流行しました。

この万句合で集められた句が、後の『誹風柳多留』へと繋がっていきます。

いやあ、素晴らしいですねえ。柄井川柳という人物がいなければ、今の川柳文化はなかったでしょう。川柳というものが、庶民の文化として根付いたのは、本当に素晴らしいことですな。

『誹風柳多留』の誕生と隆盛

川柳を確立した功績者と代表作は?

柄井川柳と『誹風柳多留』ですね!

次に、『誹風柳多留』について詳しく見ていきましょう。

この川柳集は、川柳の隆盛を支え、江戸時代の世相を映し出す貴重な資料となりました。

その内容と、川柳集が持つ意味について解説します。

誹風柳多留
誹風柳多留

✅ 『誹風柳多留』は、呉陵軒可有編纂の川柳集で、明和2年から天保11年にかけて167編が刊行された。

✅ 川柳は雑俳の一種で、俳諧の発句と同様の五・七・五の十七音でありながら、季語や切字を必要とせず、大衆的な人情や世相を機知的に詠む。

✅ 『誹風柳多留』は、柄井川柳を創始者とする川柳の代表的作品であり、その作風は「六歌仙 六をかけても 歌仙なり」のようなものである。

さらに読む ⇒国文学研究資料館出典/画像元: https://www.nijl.ac.jp/etenji/bungakushi/contents/detail/detail04-02_009.html

『誹風柳多留』は、当時の人々の生活や感情を生き生きと伝えていますね。

初期の作品は、斬新な表現が多く、文芸的価値も高い。

後の作品も、時代の風俗を知る上で欠かせない資料です。

柄井川柳の功績により、川柳という新しいジャンルが確立し、万句合から生まれた句を集めた『誹風柳多留』が刊行されます。

呉陵軒可有らによって編纂され、明和2年(1765年)から天保11年(1840年)にかけて全167冊が刊行されたこの川柳集は、略して『柳多留』とも呼ばれました。

初代柄井川柳から五世までの選句が収録されており、当時の社会風俗や人々の感情をユーモラスに表現しています。

初期は柄井川柳が選定した句を掲載し、付句のみを掲載するという特徴的な編集がなされました。

初期の作品は文芸的価値が高く評価され、中期・後期も当時の風俗を知る貴重な資料となっています。

また、1801年には『誹風柳多留拾遺』が刊行されました。

『柳多留』は、当時の人々の暮らしぶりを知る上で、本当に興味深い資料ですね。色々な情報が詰まっていて、当時の人々の価値観やユーモアセンスが伝わってきます。

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江戸時代の風刺と笑いが満載!『誹風柳多留』は、庶民の心をとらえた川柳集。歴史上の人物から日常まで、五七五で表現された世界は今も新鮮。