山田昌さんと天野鎮雄さんの軌跡:名古屋演劇界を彩った夫婦の生涯とは?「おしん」出演の山田昌さん死去、夫・天野鎮雄さんと共に歩んだ演劇人生
舞台女優・山田昌さんと夫である俳優・天野鎮雄さん。演劇界を支え合い、劇団「劇座」を設立。名古屋弁を活かした山田さん、俳優人生を全うした天野さん。二人の愛と情熱が、名古屋演劇界に刻んだ足跡を辿ります。
💡 山田昌さんと天野鎮雄さんは、共に演劇の世界で活躍し、劇団「劇座」を旗揚げして後進の育成に努めました。
💡 山田昌さんは「おしん」などのドラマ、舞台、CMで活躍し、天野鎮雄さんは劇団「劇座」を設立、演劇の普及に貢献しました。
💡 二人は公私共に支え合い、仲睦まじい夫婦として知られ、その絆は名古屋の演劇界に大きな影響を与えました。
お二人の人生を紐解きながら、名古屋演劇界に与えた影響と、その功績について見ていきましょう。
出会いと始まり
舞台女優、山田昌さんの逝去とご主人の関係は?
夫の天野鎮雄さんも演劇人で先に逝去。
94歳で亡くなった山田昌さんの生涯を振り返ります。
彼女の演劇への情熱と、夫との出会いに迫ります。

✅ 俳優の山田昌さんが、肝細胞がんのため94歳で死去しました。
✅ 名古屋弁を活かした演技で知られ、「おしん」や「真田丸」などに出演したほか、劇団「劇座」を旗揚げし後進の育成にも努めました。
✅ 「名古屋嫁入り物語」などのドラマや舞台、CMでも活躍し、反戦を訴える朗読劇や「あいち女性九条の会」の共同代表としても活動しました。
さらに読む ⇒中日新聞出典/画像元: https://www.chunichi.co.jp/article/914427山田昌さんの訃報に際し、多くの人々がその功績を偲びました。
多岐にわたる活動と、名古屋弁を活かした演技は、人々に深い印象を与えました。
舞台女優の山田昌さんは1930年生まれ、2024年6月16日に逝去しました。
彼女の夫である天野鎮雄さんは1923年生まれで2023年11月5日に87歳で多臓器不全のため逝去しました。
二人は共に演劇の世界で活躍し、NHK名古屋放送劇団に所属していた可能性があり、そこで出会い、結婚したと考えられます。
山田昌さんは1949年に、天野鎮雄さんは1957年にそれぞれNHK名古屋放送劇団に入団しました。
二人は公私共に支え合い、仲睦まじい夫婦として知られていました。
お二人の出会いが、演劇界にとってかけがえのないものだったんですね。特に、NHK名古屋放送劇団での出会いは興味深いです。
演劇への情熱と活動
山田昌と天野鎮雄は何を共同で結成し、何に尽力?
劇団「劇座」を結成し、若手俳優育成に尽力。
劇団「劇座」を旗揚げし、名古屋の演劇文化を支えた天野鎮雄さんの活動に焦点を当て、その功績を振り返ります。

✅ 俳優の天野鎮雄さんが2023年11月5日に87歳で死去。
✅ 名古屋で劇団「劇座」を旗揚げし、演劇の普及に尽力。ラジオやテレビでも活躍し、後進の育成にも力を注いだ。
✅ 2012年には映画『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』に出演するなど、俳優として幅広い活動を行った。
さらに読む ⇒東海テレビ放送出典/画像元: https://www.tokai-tv.com/tokainews/feature/article_20231107_31083天野鎮雄さんの演劇に対する情熱と、後進を育成する姿勢は素晴らしいですね。
劇団「劇座」の存在は、名古屋の演劇界に大きな影響を与えました。
山田昌さんは、流暢な名古屋弁を活かしてドラマや舞台で活躍し、「名古屋嫁入り物語」シリーズで人気を博しました。
一方、天野鎮雄さんは、愛知教育大学在学中に役者を始め、東京の「文学座」を経て、名古屋を拠点に俳優として活動しました。
二人は、演劇を通して表現することに情熱を注ぎ、1985年には、劇団「劇座」を共同で結成し、若手俳優の育成に尽力しました。
天野さんは、俳優養成所『名古屋劇塾』も運営し、劇団存続の危機を私財を投じて乗り越えたこともありました。
彼は、演劇練習場所の不足を訴え、名古屋市演劇練習館の設立にも貢献するなど、名古屋の演劇界に貢献しました。
お二人が共同で劇団を設立し、若手の育成に尽力されたというのは、素晴らしいですね。演劇練習館の設立にも貢献されたんですね。
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名優・天野鎮雄とその妻・山田昌。演劇を愛し、支え合い生きた夫婦の物語。娘・こず重さんの想い、晩年の活躍、そして家族の絆。