吉行和子の軌跡を辿るー舞台、映画、そしてエッセイ。その多才な表現とは?女優・吉行和子、90年の生涯と遺作
女優・吉行和子、90年の生涯を駆け抜けた。演劇一家で育ち、舞台『アンネの日記』で鮮烈デビュー。映画『愛の亡霊』で日本アカデミー賞、ドラマ「金八先生」など幅広い活躍で国民的俳優に。エッセイストとしても才能を発揮し、晩年は一人芝居で観客を魅了。常に「心のままに」生きた彼女の軌跡は、日本のエンタメ界に輝き続ける。

💡 舞台デビューは、高校生の時の劇団民藝の舞台『アンネの日記』の代役。急な出演にも関わらず、見事に演じきった。
💡 映画、ドラマ、エッセイなど、多岐にわたる分野で活躍。晩年まで第一線で活躍し、多くの人に愛された。
💡 2024年9月に90歳で逝去。遺作は2026年公開予定の映画「金子文子 何が私をこうさせたか」となった。
吉行和子さんの華麗なキャリアを紐解き、その多才な才能に迫ります。
彼女の人生を彩った作品や、人となりについて見ていきましょう。
女優への扉を開いて
吉行和子、女優への道は?舞台に感銘?
中学3年の観劇がきっかけで演劇の世界へ。
吉行和子さんの女優人生は、舞台から始まりました。
劇団民藝での経験が、彼女の表現者としての基盤を築きました。
その始まりを振り返ります。

✅ 女優の吉行和子さんのエッセイ集『そしていま、一人になった』から、舞台デビューのきっかけとなった劇団民藝での出来事が紹介されている。
✅ 高校生の時に劇団研究生だった吉行さんは、舞台『アンネの日記』のオーディションに周りの様子を見学する中で、主役の代役として出演することになる。
✅ 急な代役にも関わらず、吉行さんは不思議とセリフを覚え、舞台を成功させた。この経験が女優としてのキャリアをスタートさせることにつながった。
さらに読む ⇒HB ホーム社文芸図書WEBサイト出典/画像元: https://hb.homesha.co.jp/n/n555b74e2819a代役での成功は、吉行さんの才能と努力の賜物ですね。
急な状況にも動じない対応力は、その後の活躍にも繋がったのでしょう。
女優、吉行和子さんは1935年、東京に生まれました。
作家の父と美容師の母、そして作家の兄と詩人の妹という芸術一家の中で育ち、幼い頃から豊かな感性を育みました。
彼女が演劇の世界に足を踏み入れたのは、中学3年生の時に観劇した舞台に感銘を受けたことがきっかけでした。
高校卒業後、劇団民藝付属の研究所に入所し、女優への道を歩み始めます。
いやあ、吉行和子さんといえば、まさに昭和を代表する女優さん。劇団民藝で研鑽を積まれたというのは、凄いことですよ。
舞台から映画、そして新たな挑戦へ
女優・吉行和子、女優人生を変えた転機は?
『アンネの日記』代役、映画デビュー。
舞台での経験を活かし、映画の世界へ。
様々な作品に出演し、女優としての幅を広げていきました。
新たな挑戦の数々を見ていきましょう。

✅ 吉行和子さんは幼少期に病弱だったため、本を読んで過ごすことが多く、中学3年生の時に観劇したことをきっかけに女優に憧れるようになった。
✅ 高校3年生の時に劇団民藝の裏方として入団するも、女優候補として採用され、俳優研究所で演技を学ぶことになった。
✅ 研究生だった22歳の時、舞台『アンネの日記』の代役として女優デビューを果たし、その後も数々の舞台や映画で活躍した。
さらに読む ⇒こいもうさぎのブログ出典/画像元: https://koimousagi.com/66183.html舞台から映画へと活躍の場を広げ、常に新しい表現に挑戦する姿勢は素晴らしいですね。
様々な経験が、彼女の演技に深みを与えたのでしょう。
劇団民藝に入団後、吉行さんは当初、衣装係を希望していましたが、運命は彼女を舞台へと導きました。
1957年、舞台『アンネの日記』で主役の代役を務めたことで、女優としてのキャリアが本格的にスタート。
その後、映画デビューも果たし、舞台、映画、ドラマと幅広い分野で活躍するようになります。
1960年代には日活映画にも出演し、映画「にあんちゃん」で毎日映画コンクール助演女優賞を受賞しました。
また、伝統的な劇団での経験を経て、演劇界の変化を感じ、寺山修司氏からの言葉に影響を受け、鈴木忠志氏からの誘いで唐十郎作『少女仮面』にも出演。
それまでの表現方法を飛び越え、新しい演劇表現にも挑戦するなど、常に新しい表現を模索する姿勢を持ち続けました。
日活映画にも出演されていたんですね!「にあんちゃん」は懐かしい。寺山修司さんや鈴木忠志さんとの関わりも興味深いですね。
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映画、ドラマ、舞台で活躍した名女優、吉行和子さん。90歳で逝去。アカデミー賞受賞、エッセイでも才能を発揮。生涯現役を貫き、その生き様は多くの人々に感動を与え続ける。