久我美子、映画女優として駆け抜けた生涯とは?(日本映画、巨匠たちとの出会い?)『また逢う日まで』、東宝ニューフェイス、戦後の日本映画を彩った女優
華族出身の女優、久我美子。経済的困窮から映画界へ。巨匠たちとの作品で地位を確立し、ガラス越しのキスシーンで一躍脚光を浴びた。映画界の自由化にも貢献し、独立プロ設立も経験。晩年は舞台を中心に活躍し、93歳でその波乱万丈の生涯を閉じた。日本映画史に名を刻む女優の軌跡。
💡 華族出身ながら映画界へ。東宝ニューフェイスとしてデビュー。
💡 黒澤明、溝口健二ら巨匠たちの作品に出演し、演技力を磨く。
💡 独立プロダクション設立も、その運営は困難を極め、晩年は舞台で活躍。
それでは、華麗なる女優人生を歩んだ久我美子さんの軌跡を辿っていきましょう。
華族の令嬢、映画界へ――衝撃のデビュー
華族の娘が女優に?久我美子の転機とは?
経済的困窮と東宝ニューフェイス合格です
華族出身の久我美子が映画界へ足を踏み入れた背景、デビュー作、そしてその後の活躍について見ていきましょう。
公開日:2016/10/30

✅ 久我美子は、日本映画黄金時代を代表する女優の一人で、華族出身でありながら映画界に入り、数々の名監督の作品に出演して名女優としての地位を確立した。
✅ 彼女は、東宝ニューフェイスとしてデビュー後、『また逢う日まで』での演技開眼を経て、黒澤明、溝口健二、市川崑といった巨匠たちの作品で重要な役を演じ、演技力を磨いた。
✅ 1950年代後半には、木下惠介、小林正樹などの監督作品に出演し、毎日映画コンクール女優助演賞を受賞。岸惠子、有馬稲子らと文芸プロダクションを設立するなど、自由な映画活動を行った。
さらに読む ⇒+出典/画像元: https://cinema.ne.jp/article/detail/38020華族という出自と映画界への進出、当時の価値観を考えると、大きな決意だったのでしょう。
彼女の女優としての才能は、周囲の困難を乗り越えて開花したと言えるでしょう。
1931年、名門華族の家に生まれた久我美子(本名:小野田美子)は、その出自とは裏腹に、経済的な困難に直面し、家計を助けるために女優の道を選びました。
周囲の反対を押し切り、東宝ニューフェイスに合格。
一時戸籍を移し芸名「久我美子」として1947年に映画デビューを果たしました。
華族世襲財産法の廃止に伴い、元の姓に戻し、清純派女優として映画界に足を踏み入れました。
いやあ、久我美子さんのような方がいらっしゃったんですね。華族出身で映画女優ですか。まさに時代の寵児ですね、素晴らしい。
黄金期の輝き――巨匠たちとの出会い
久我美子が躍進したきっかけは?代表作は?
『また逢う日まで』!巨匠作品にも多数出演。
久我美子が巨匠たちとの出会い、そして出演作を通して女優としての地位を確立していく様子を見ていきましょう。
公開日:2024/08/16

✅ 女優の久我美子は、家計逼迫を救うために映画界入りを決意し、本名ではなく芸名でデビューした。
✅ 映画『また逢う日まで』でのガラス越しの接吻はセンセーショナルな話題を呼び、作品の価値を高めた。
✅ 久我美子の演技と作品は、戦後の人々に共感と希望を与え、数々の映画賞を受賞した。
さらに読む ⇒:夕刊フジ公式サイト出典/画像元: https://www.zakzak.co.jp/article/20240815-D3YRTMXY4JL2RPA2TUV2RN4AQ4/巨匠と呼ばれる監督たちの作品に出演し、様々な役柄を演じ分けることで、彼女は女優としての幅を広げていきました。
ガラス越しのキスシーンなどは、当時の人々に大きな衝撃を与えたでしょう。
デビュー後、久我美子は瞬く間にその才能を開花させます。
「四つの恋の物語」や「春のめざめ」などに出演し、人気を博しました。
1950年には、今井正監督の『また逢う日まで』に出演し、ガラス越しのキスシーンで一躍有名に。
この作品は彼女の演技開眼のきっかけとなり、その後、成瀬巳喜男、溝口健二、黒澤明、田中絹代、そして市川崑、木下惠介など、日本映画を代表する巨匠たちの作品に次々と出演し、様々な役柄を演じ、女優としての地位を確立しました。
さらに、1948年には東宝争議に参加し、自立俳優クラブへも参加するなど、映画界の自由化にも貢献しました。
1951年には大映に移籍し、フリーとしても活躍しました。
なるほど、彼女の映画に対する情熱が伝わってきますね。あの時代の映画は、今の時代とはまた違った魅力がありますよね。
独立への道、そしてその挫折
にんじんくらぶ、設立も…最終的にどうなった?
独立プロダクションは失敗、負債を抱えた。
独立プロダクション設立からその挫折、そして晩年の活動について見ていきます。

✅ 1899年から1931年までに公開された日本映画のリストであり、作品名、監督、主な出演者、製作会社が記載されている。
✅ サイレント映画時代からトーキー映画初期にかけての作品が多く、時代劇、ロマンス、喜劇など様々なジャンルの作品が含まれている。
✅ 溝口健二、小津安二郎、伊藤大輔、内田吐夢など、著名な監督の作品が多数含まれており、当時の映画界の多様性を示している。
さらに読む ⇒出典/画像元: https://www.erikojapanese.com/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%98%A0%E7%94%BB-japanese-films/%E4%BB%8A%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%81%AB%E8%A6%8B%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%98%A0%E7%94%BB/独立への挑戦は、当時の映画界の慣習から見ると、非常に先進的な試みだったと言えるでしょう。
しかし、結果は苦しいものとなりました。
彼女の映画に対する想いの強さが伺えます。
映画会社の専属制度に反発し、1954年には岸恵子、有馬稲子らと「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立し、映画製作にも携わりました。
しかし、独立プロダクションの運営は容易ではなく、最終的には失敗し、負債を抱えることになりました。
その後、1961年には俳優の平田昭彦と結婚しましたが、子供には恵まれませんでした。
独立プロって、なんかかっこいいですよね。でも、運営は大変だったんですね。今の時代にも通じる話ですね。
晩年の歩み――スクリーンを離れて
女優・太地喜和子の映画出演作、代表作といえば?
88作品、『時をかける少女』など。
晩年の彼女の歩み、そしてスクリーンを離れてからの活動について見ていきましょう。

✅ 女優の久我美子は、1931年生まれ。1946年に東宝ニューフェイスに合格し、1950年の『また逢う日まで』では日本映画でタブーだった接吻シーンを演じるなど、映画デビュー。
✅ 岸恵子、有馬稲子と「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立し、映画・テレビ・舞台で活躍。1961年に俳優の平田昭彦と結婚し、1989年の映画『ゴジラvsビオランテ』では平田の遺志を継ぎ出演。
✅ 2024年6月9日、誤嚥性肺炎のため93歳で死去。家柄・容姿・演技力に恵まれ、多くの名監督に起用された。稲垣浩など著名人との交流も多く、晩年は活動を休止。
さらに読む ⇒出典/画像元: https://www.wikiwand.com/ja/articles/%E4%B9%85%E6%88%91%E7%BE%8E%E5%AD%90晩年まで女優として活躍し続けた久我美子の姿は、多くの人々に勇気を与えたことでしょう。
映画だけでなく、テレビや舞台でも活躍されたという事実は素晴らしいですね。
1950年代後半からはテレビドラマにも進出し、「華麗なる一族」や「樋口一葉」など幅広いジャンルで活躍しました。
夫である平田昭彦の死後も女優活動を続けましたが、次第にその活動の中心は舞台に移っていきました。
映画出演は88作品に上り、『時をかける少女』など今も語り継がれる作品を残しました。
いやあ、素晴らしいですね。晩年まで女優として活躍されたなんて。テレビドラマでも活躍されていたんですね。その頃のドラマも懐かしいなあ。
永遠の女優――久我美子の生涯
久我美子の最期の出演作は?その後の彼女は?
映画『川の流れのように』、引退。
久我美子の生涯を振り返り、彼女の功績を改めて確認していきましょう。

✅ 女優の久我美子は、華族の家柄に生まれながらも、実家の経済的事情から芸能界に入り、東宝ニューフェイスを経て映画女優として活躍しました。
✅ 初期は本名ではなく、養子先の姓で活動していましたが、後に久我姓に戻し、成瀬巳喜男、黒澤明、溝口健二など名だたる監督の作品に出演し、数々の映画で重要な役を演じました。
✅ 1954年には独立し、木下惠介監督の『女の園』などに出演し、毎日映画コンクール女優助演賞を受賞。岸惠子、有馬稲子と共に「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立しました。
さらに読む ⇒有名人の墓巡り~昭和の著名人と出会う旅~出典/画像元: https://hakameguri.exblog.jp/37445080/華族出身でありながら、映画女優として輝かしい功績を残した久我美子さん。
その生涯は、まさに激動の時代を象徴するものであり、日本映画史に大きな足跡を残しました。
久我美子は2000年公開の映画『川の流れのように』が最後の出演作品となり、その後は第一線から退きました。
2023年、93歳で肺炎により逝去。
その生涯は、華族出身という異色の経歴を持ちながら、映画界で活躍し、数々の名作に出演した女優としての輝かしいキャリア、そして病魔との闘いという複雑なものでした。
その功績は日本映画史に深く刻まれています。
2024年、93歳でその生涯を閉じました。
すごい人生でしたね。映画女優としてだけでなく、独立プロダクションを設立したり、晩年まで活躍したり。本当に、尊敬します。
久我美子さんの波乱万丈な生涯は、まさに日本映画の歴史そのものと言えるでしょう。
その功績は、これからも語り継がれていくはずです。
💡 華族出身ながら映画界で活躍し、数々の名作に出演。
💡 黒澤明、溝口健二ら巨匠との共演で女優としての地位を確立。
💡 独立プロダクション設立、晩年は舞台で活躍し、日本映画史に貢献。