横井庄一さん、美保子さん、夫婦の絆と記念館閉館…何が語り継がれるのか?横井庄一氏と美保子夫人の生涯:ジャングル生活、結婚、そして記念館閉館
28年間のジャングル生活から帰還した横井庄一氏。妻・美保子さんと出会い、晩年を支えられた夫婦の物語。終戦を知らずに生きた横井氏の「生きながらえておりました」は流行語に。記念館設立、閉館、そして美保子さんの逝去。戦争の悲劇と平和への願いを胸に、夫婦の絆は今も人々の心に響き渡る。その生涯は、私たちに生きることの意味を問いかける。
💡 横井庄一氏のジャングル生活と帰国後の波乱に満ちた人生について解説します。
💡 横井氏を支え続けた妻、美保子さんの生涯と、その功績について触れます。
💡 横井庄一記念館の設立から閉館に至るまでの経緯、そしてそこから得られる教訓を考察します。
それでは、横井庄一さんと美保子さんの足跡を辿りながら、その人生と、そこから私たちが得るものについて考えていきましょう。
出会いと結婚
ジャングル生活の末、横井庄一氏が結婚を決めた理由とは?
美保子さんの「応援」という言葉に感銘を受けたからです。
横井庄一さんと美保子さんの出会いは、1972年の名古屋でのことでした。
そこから二人の人生は大きく動き始めます。
結婚を決意した二人の姿を振り返りましょう。

✅ 終戦を知らずにグアム島で潜伏生活を送った横井庄一さんの帰国後の様子を描いたCBCのドキュメンタリー番組が放送される。
✅ 番組は、妻である美保子さんの視点から、横井さんの戦後の生活を振り返る内容で、昨年放送された30分番組に新たな取材を加えた1時間の拡大版である。
✅ 72年の帰国時の様子、記者会見、結婚式の様子などが映し出される。
さらに読む ⇒中日新聞Web出典/画像元: https://www.chunichi.co.jp/article/308799横井さんの第一印象や、美保子さんの「応援する」という言葉が、結婚の決め手になったというのは、とても印象的ですね。
2人の出会いは奇跡のようです。
1972年8月13日、横井庄一氏は名古屋でお見合いをし、そこで美保子さんと出会いました。
第一印象はスマートで、28年間ものジャングル生活を送っていたとは思えないほどでした。
横井氏の「珍しいからわしを見に来たのだろう」という問いに対し、美保子さんは応援すると答え、その言葉に感銘を受けた横井氏はその日のうちに結婚を決めました。
当時、横井氏は57歳、美保子さんは44歳でした。
その後、二人は結婚し、夫婦として人生を歩むことになります。
いやあ、あの時代によく結婚されたものですなぁ。横井さんのジャングル生活も驚きですが、奥様の包容力も素晴らしい。
帰国後の生活と記念館の設立
28年間ジャングル生活!横井庄一氏、帰国後の活動は?
耐乏生活評論家として、記念館設立にも尽力。
帰国後の横井庄一氏は、テレビ出演や講演活動を通して、その存在を人々に知らしめました。
晩年にはパーキンソン病を患いながらも、美保子さんと共に生活を送りました。

✅ 青森市のペットショップから体長約3mのパプアンパイソンというヘビが逃げ出した。
✅ ヘビに毒はなく、おとなしい性格である。
✅ 店側は鍵を閉めていたため、ヘビはまだ店内にいる可能性が高いとみている。
さらに読む ⇒TBS NEWS DIG出典/画像元: https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/56864帰国会見の「恥ずかしながら…」という言葉は、今でも記憶に残っています。
横井氏の耐乏生活評論家としての活動も興味深いですね。
横井庄一氏は、終戦を知らずにグアム島のジャングルで28年間生活し、1972年に帰国しました。
帰国会見での「恥ずかしながら生きながらえておりました」という言葉は流行語にもなりました。
帰国後は「耐乏生活評論家」として活動し、晩年はパーキンソン病を患いました。
横井氏は、妻である美保子さんと共に生活し、美保子さんは夫を支え続けました。
横井氏の他界後、美保子さんは夫の遺志を継ぎ、2006年に「横井庄一記念館」を設立。
そこでは、夫のジャングル生活や晩年の陶器などが展示され、戦争の悲劇と平和の尊さを伝えました。
横井さんの帰国後の生活、大変だったでしょうね。奥様は本当に献身的な方だったのでしょう。
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横井庄一氏の妻、美保子さん逝去。記念館閉館。甥の幡新氏が語る、ジャングル帰還と夫婦愛。未来へ紡がれる記憶と、横井庄一氏の生涯。