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テリー・ファンクの激闘と魂!プロレス界を彩った男の軌跡とは?テリー・ファンク:流血と友情、そしてレガシー

ワイルドなファイトスタイルでプロレス界を席巻したテリー・ファンク。フォーク攻撃とベビーフェイス/ヒールを使い分け、観客を熱狂させた。NWA世界ヘビー級王座獲得、ザ・ファンクスとしての活躍など、数々の伝説を創出。引退、復帰、そして2023年の逝去まで、そのプロレス愛は色褪せることなく、今もファンに語り継がれている。兄ドリー・ファンクJr.による追悼試合にも注目。

テリー・ファンクの激闘と魂!プロレス界を彩った男の軌跡とは?テリー・ファンク:流血と友情、そしてレガシー

📘 この記事で分かる事!

💡 テリー・ファンクの初期の活躍と、日本プロレス界での立ち位置、その人気に迫ります。

💡 兄ドリーとのタッグチーム「ザ・ファンクス」としての栄光と、プロレス界への貢献を解説します。

💡 引退と復帰、そして日本のプロレス界との密接な関係性、そしてテリー・ファンクの人間性。

本日は、プロレス界のレジェンド、テリー・ファンクについてご紹介します。

多岐にわたる彼の活躍と、プロレス界に与えた影響について、掘り下げていきましょう。

プロレス界への登場と初期の活躍

テリー・ファンク、伝説の試合は?あの苦痛顔で何が?

1977年、ザ・ファンクス対ブッチャー&シーク戦。

テリー・ファンクの初期の活躍についてです。

プロレスにおける流血戦の先駆けとなった試合や、日本でのベビーフェイス、アメリカでのヒールとしての活躍など、そのプロレスラーとしての基盤を築いた時代を振り返ります。

ファンクスvsブッチャー&シーク〜1977.12.15 フォークの惨劇!

公開日:2018/07/23

ファンクスvsブッチャー&シーク〜1977.12.15 フォークの惨劇!

✅ 1977年12月15日に行われた、ザ・ファンクス(ドリー&テリー)対ブッチャー&シークの試合は、フォークによるテリーの流血や、レフェリーの不可解な判定など、プロレスのドラマティックな展開を象徴する試合として、多くのファンに記憶されている。

✅ 試合は、悪役外国人コンビの凶器攻撃と、善玉外国人兄弟の兄弟愛という構図で展開され、特にブッチャーがフォークでテリーを攻撃した場面は、観客に衝撃と興奮を与えた。

✅ この試合は、プロレスの勧善懲悪的なストーリーと、選手の熱演、そして曖昧さ(アバウトさ)こそが魅力であり、プロレスファンを魅了する要素であることを示している。

さらに読む ⇒ 1970年生まれ 男のロマンBlog出典/画像元: https://www.roman-blog.com/pro_wrestling/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B9vs%E3%83%96%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%80%9C1977-12-15-%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%83%A8

テリー・ファンクの初期の活躍は、プロレスの魅力を凝縮したものでしたね。

フォーク攻撃という、現代では考えられないような過激な攻撃も、彼の人気を支えた要因の一つだったのでしょう。

1965年にデビューしたテリー・ファンクは、そのワイルドなラフファイトスタイルでプロレス界にその名を刻みました

特にフォーク攻撃を駆使し、日本ではベビーフェイスとして、アメリカではヒールとして、観客を魅了しました。

1970年に日本プロレスに初来日し、1975年にはNWA世界ヘビー級王座を獲得。

1977年のザ・ファンクス対ブッチャー&シーク戦は、彼の代表的な試合の一つとしてプロレス史に刻まれており、この試合での彼の苦痛の表情は、多くのファンに衝撃を与え、日本での人気を決定付けました。

そのルックスも相まって、熱狂的なファンを獲得し、試合会場では絶叫や失神するファンも現れました。

いやあ、テリー・ファンクといえば、やっぱりあの流血ですよ。子供ながらにテレビにかじりついて見てました。当時はすごい衝撃でしたね。

タッグチーム「ザ・ファンクス」とプロレス界への貢献

テリー・ファンクのプロレス界への最大の貢献は何?

受け身、ハードコア、試合スタイルの多様性。

次に、タッグチーム「ザ・ファンクス」としての活躍についてです。

兄ドリー・ファンクJr.とのコンビは、数々のタイトルを獲得し、プロレス史に名を刻みました。

その活躍と、プロレス界への貢献をみていきましょう。

ザ・ファンクスが全日本5周年記念「ワールド・オープン・タッグ」優勝【週刊プロレス昔話】
ザ・ファンクスが全日本5周年記念「ワールド・オープン・タッグ」優勝【週刊プロレス昔話】

✅ 1977年12月15日、全日本プロレスの創立5周年記念大会で、ドリー・ファンクJr.とテリー・ファンク組が「ワールド・オープン・タッグ選手権」で優勝した。

✅ 決勝戦は、アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク組との激しい打撃戦となり、血で血を洗う凄惨な試合展開となった。

✅ テリー・ファンクが反則勝ちを収め、最終的にフォークで右腕を刺されるなど、歴史に残る試合となった。

さらに読む ⇒ ベースボール・マガジン社出典/画像元: https://www.bbm-japan.com/article/detail/52827

ザ・ファンクスの活躍は、プロレスのタッグマッチの魅力を最大限に引き出したといえますね。

血みどろになりながらも、兄弟愛を貫く姿は、多くのファンを魅了しました。

テリー・ファンクは、そのキャリアを通じて様々な功績を残しました。

兄ドリー・ファンク・ジュニアとのタッグチーム「ザ・ファンクス」としても活躍し、1971年にはインターナショナル・タッグ王座を獲得、1977年の世界オープンタッグ選手権や世界最強タッグ決定リーグ戦での優勝を飾るなど、数々の栄光を手にしました。

全日本プロレスのブッカー兼看板外国人選手としても活躍し、昭和プロレスを語る上で欠かせない存在となりました。

テリーは、徹底的な受け身の凄さ、事件性のあるハードコアスタイルの開拓、試合スタイルの幅広さといった点で、プロレス界に多大な影響を与えました。

テリー・ファンクさんは、本当に凄い方ですね。選手としての活躍はもちろんですが、日本のプロレス界にも貢献されていたんですね。勉強になります。

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不屈のテリー・ファンク、その死後も輝き続ける!引退、復帰、そして一周忌の電流爆破デスマッチ…プロレス界に刻まれた魂と、彼を愛した人々の物語。