司葉子さんの70周年:鳥取が生んだ銀幕スターの軌跡を辿る?女優・司葉子の輝かしいキャリアと、その原点
オードリー・ヘプバーンを彷彿とさせる美貌で人々を魅了した司葉子。東宝看板女優として映画デビュー後、「秋日和」「用心棒」など数々の名作に出演し、演技派女優としての地位を確立。キネマ旬報女優賞受賞作「紀ノ川」は代表作の一つ。結婚、育児を経てもなお、その美しさと変わらぬ魅力で活躍し続ける。銀幕のスターでありながら、温かい人柄も魅力の、永遠の憧憬。
💡 鳥取県境港市出身。東宝の看板女優として活躍し、「紀ノ川」や「細雪」など数々の名作に出演。
💡 清楚なイメージで人気を博し、小津安二郎監督や黒澤明監督など、名匠たちの作品にも出演。
💡 結婚後の活動休止を経て復帰し、現在もその美しさと変わらぬ魅力で多くの人々を魅了し続けている。
今回は、女優の司葉子さんの70周年を記念して、その輝かしい軌跡を振り返ります。
彼女の生い立ちから現在に至るまでの活躍を、様々な角度から見ていきましょう。
鳥取が生んだ銀幕のスター
司葉子、女優デビューのきっかけは?
雑誌モデルから東宝に見出された。
まずは、司葉子さんの生い立ちと、女優としてのキャリアをスタートさせるまでの道のりを見ていきましょう。
地元での講演会の様子も交えながらご紹介していきます。

✅ 俳優の司葉子さんのデビュー70周年を記念した講演会が、出身地である境港市で開催された。
✅ 講演会は、市民交流センター「みなとテラス」で行われた。
✅ 記事は、司葉子さんの活動と、地元での記念講演会の様子を伝えている。
さらに読む ⇒山陰中央新報デジタル出典/画像元: https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/637618境港市での講演会は、司葉子さんの女優人生を振り返る貴重な機会となりました。
彼女の活動と、地元への想いが伝わる、素敵な講演会だったと思います。
1934年、鳥取県境港市で生まれた司葉子さんは、幼少期に父親を亡くし、母子家庭で育ちました。
共立女子短期大学を卒業後、新日本放送(現毎日放送)に勤務する傍ら、雑誌モデルの経験を経て、東宝の目に留まり女優としての道を歩み始めました。
その美貌は、夏木陽介さんをしてオードリー・ヘプバーンを彷彿とさせ、東宝の看板女優として数々の映画に出演することになります。
いやあ、司葉子さんといえば、あの清楚で美しい姿が忘れられませんな。東宝の作品はよく観ましたよ。デビュー当時の話を聞くと、ますます興味が湧きますね。
輝ける東宝時代:清楚な魅力と幅広い演技
清楚なイメージで人気!女優デビューのきっかけは?
映画「君死に給うことなかれ」出演。
続いて、司葉子さんの東宝時代における活躍と、女優としての幅を広げていく過程に焦点を当てます。
数々の作品での彼女の魅力に迫ります。
公開日:2019/04/05

✅ 女優の司葉子は、1934年生まれで、映画やドラマ、舞台で活躍。代表作には「紀ノ川」や「細雪」などがあり、テレビ番組の司会も務めた。
✅ 夫は元官僚で元自民党代議士の相澤英之。結婚後、夫の政治活動を支え、選挙活動にも参加。また、脳卒中で倒れた母親を13年間介護した経験を持つ。
✅ 趣味は料理と畑仕事で、鳥取県米子市に在住。メイ牛山との親交があり、池部良に芸名を付けてもらうなど、多くの著名人との繋がりがある。
さらに読む ⇒ 有名人データベース PASONICA JPN出典/画像元: https://www.pasonica.com/%E5%8F%B8%E8%91%89%E5%AD%90/数多くの作品に出演され、お嬢様役から演技派女優へと成長を遂げられたんですね。
特に、小津安二郎監督作品への出演は大きな転機だったのでしょう。
1954年、20歳で映画「君死に給うことなかれ」で女優デビューを果たし、当初は映画1本だけの出演予定でしたが、その清楚なイメージで人気を博し、数多くの作品に出演しました。
池部良さん、宝田明さん、鶴田浩二さんらと共演し、お嬢様役を中心に活躍。
小津安二郎監督の「秋日和」への出演を機に演技の幅を広げ、演技力が高く評価されるようになりました。
その後も黒澤明監督の「用心棒」など、名匠たちの作品に出演し、女優としてのキャリアを積み重ねていきました。
清楚なイメージは、まさに昭和の銀幕スターといった感じですよね。幅広い演技力も兼ね備えていて、素晴らしい女優さんだと思います。
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映画『紀ノ川』で女優賞を受賞、成瀬巳喜男監督作品にも出演。銀幕のスター、司葉子の華麗なる軌跡。結婚、子育てを経て、今も輝き続けるその魅力に迫る。