テリー・ファンクとは?日本プロレス界を熱狂させたテキサスブロンコの軌跡とは?テリー・ファンク、日本マットでの激闘と功績
プロレス界のレジェンド、テリー・ファンク逝く。テキサスブロンコと呼ばれ、日本マットを熱狂させた男。ザ・ファンクスとして、BI砲を破り、流血戦やハードコアマッチで観客を魅了。NWA世界王座も獲得し、50歳を超えても進化を続けた。型破りなファイトスタイルと、永遠の挑戦者精神は、プロレス史に輝き続ける。彼の魂は、次世代へと受け継がれる。
引退とカムバック、揺れ動く心と決意
テリー・ファンク引退発表、衝撃!その真相は?
新日対策と膝の怪我が理由。そして…復帰!
1983年の引退試合は、多くのプロレスファンに衝撃を与え、感動を呼びました。
しかし、その1年後の復帰は、ある種の波紋を呼んだのも事実です。
その経緯を見ていきましょう。
公開日:2024/02/19

✅ テリー・ファンクは1980年に来日し、3年後の引退を発表。全日本プロレスはテリーの引退を利用し、世代交代を進め、引退試合に向けた様々な戦略を立てた。
✅ 引退試合は8月31日蔵前国技館で開催され、因縁のスタン・ハンセンと対戦。パートナーには初来日のゴーディが抜擢され、ゴーディは天龍源一郎にパワーボムを披露するなど、若手にも影響を与えた。
✅ 引退試合はゴールデンタイムで放送され、13,600人の観客が集まった。試合には兄のドリーや家族も来日し、引退セレモニーが行われた。
さらに読む ⇒伊賀プロレス通信24時出典/画像元: https://igapro24.com/2021/12/02/historia-47/引退と復帰を繰り返す姿は、ファンにとっては複雑な心境だったでしょう。
でも、テリー・ファンクのプロレスへの情熱は、本当にすごいと思いましたね。
1980年10月、テリー・ファンクは全日本プロレスに来日し、3年後の誕生日に引退することを発表。
膝の怪我も理由の一つでしたが、新日本プロレスに対抗するための戦略的な意味合いも含まれていました。
引退発表は、全日本プロレス関係者やファンに大きな衝撃を与えました。
1983年には「テリー・ファンクさよならシリーズ」が開催され、8月31日の蔵前国技館での引退試合に向けて、日本テレビが特番を放送するなど、その引退は大きな注目を集めました。
引退試合では、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ、テリー・ゴディ組との対戦が予定され、13800人を超える観客が詰めかけました。
しかし、その引退から1年後、テリーは現役復帰し、ファンを落胆させました。
引退試合、私もテレビで見てました!スタン・ハンセンとの対戦、熱かったなあ。でも、1年後に復帰した時は、ちょっとガッカリしたのも事実です(笑)
受け身の美学、事件性、そして順応するスタイル
テリー・ファンク、伝説の3つの秘訣とは?
受け身、事件性、そして順応力!
テリー・ファンクは、その型破りなファイトスタイルで、日本のプロレス界に新たな風を吹き込みました。
その唯一無二の魅力を、改めて検証します。

✅ テリー・ファンクは、徹底的な受け身とハードコアスタイルで、プロレスに事件性と衝撃をもたらし、全日本プロレスの興行に大きな影響を与えた。
✅ テリー・ファンクは、善悪を使い分け、時代や団体に合わせてスタイルを変える柔軟性で、数多くのレスラーを輝かせ、自身のモデルチェンジも成功させた。
✅ テリー・ファンクは、NWA世界王座を獲得し、ローリング・クレイドルなどの技を開発するなど、技や魂を次世代のレスラーに受け継がれた。
さらに読む ⇒Yahoo!ニュース出典/画像元: https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/2d6638537e5ca49f0f20dbc3cd3317457e5f3bb2テリー・ファンクの試合は、いつも予想外の展開で、目が離せませんでした。
特に、フォークで攻撃されたシーンは、今でも忘れられません。
あの時代を象徴するレスラーでした。
テリー・ファンクの偉大さは、3つのポイントで語られます。
一つは、徹底的な受け身の凄さです。
相手の攻撃を最大限に受け止めることで観客を熱狂させ、1977年の試合でアブドーラ・ザ・ブッチャーにフォークで右腕を攻撃されたシーンは今も語り草となっています。
二つ目は、事件性のあるプロレス。
ハードコアスタイルの先駆者として、流血、乱入、失神などを盛り込んだ試合で観客を魅了しました。
三つ目は、順応するスタイルの幅。
善と悪を使い分け、時代や団体によって自身のスタイルを変化させ、多くのライバルを輝かせました。
50歳を過ぎてからムーンサルトプレスを習得するなど、常に新しいものを取り入れる姿勢は、多くのフォロワーを生みました。
受け身の凄さ、流血戦、そしてスタイルを変化させる柔軟性。テリー・ファンクは、まさにプロレス界の異端児だったね。でも、それが魅力だった。
永遠のテキサスブロンコ、その魂は受け継がれる
テリー・ファンクの代名詞は?伝説のレスラーといえば?
テキサスブロンコ、ハードコア・レスラー!
テリー・ファンクの魂は、今もなお、プロレス界に生き続けています。
追悼と記念の大会を通して、その偉大さを改めて感じることでしょう。
公開日:2024/07/18

✅ プロレスラーのテリー・ファンクさんの1周忌追悼と大仁田厚さんのデビュー50周年を記念した大会で、ドリー・ファンク・ジュニア選手が電流爆破マッチに出場することが決定しました。
✅ ドリー・ファンク・ジュニア選手は弟子の西村修選手とタッグを組み、大仁田厚選手と対戦します。
✅ 大会は8月24日に富士通スタジアム川崎で開催され、テリー・ファンクさんと大仁田厚選手がかつて電流爆破マッチを行った場所で行われます。
さらに読む ⇒FMWE出典/画像元: https://fmw-e.com/archives/1305テリー・ファンクさんの追悼大会、素晴らしいですね。
ドリー・ファンク・ジュニア選手が電流爆破マッチに出場するというのは、テリー・ファンクさんも喜んでいるでしょう。
テリー・ファンクは、゛テキサスブロンコ゛の愛称で知られ、半世紀以上にわたりプロレス界で活躍しました。
彼は、若手レスラーの育成にも力を入れ、多くの選手に影響を与えました。
FMWでの大仁田厚との電流爆破マッチ、AWA、WWF、ECW、WCWなど、様々な団体で活躍し、その存在感を示しました。
2017年に最後の試合を行い、2023年8月に79歳で逝去しましたが、彼の「恐れを知らない」ハードコア・レスラーとしての姿は、今もなお多くのファンに記憶されています。
テリー・ファンクの魂は、次世代のレスラーへと受け継がれ、プロレス界に永遠にその名を刻み続けるでしょう。
テリー・ファンクのDNAは、間違いなく次世代のレスラーたちにも受け継がれているよね。大仁田厚との電流爆破マッチとか、今の若い人たちにも見てほしいな。
テリー・ファンクの功績は、日本のプロレス界に大きな影響を与えました。
彼の残したものは、今もなお、多くの人々に感動を与え続けています。
💡 ザ・ファンクスとしての活躍、日本人レスラーとの名勝負は、プロレス史に刻まれる。
💡 ハードコアファイト、受け身、そして柔軟性に富んだスタイルは、多くのファンを熱狂させた。
💡 引退とカムバック、次世代への影響。テリー・ファンクは、永遠にプロレス界のレジェンド。