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山口小夜子の軌跡:その美しさと表現とは?没後も輝き続ける、唯一無二の存在

漆黒のボブ、切れ長の瞳。「東洋の神秘」山口小夜子。19歳でモデルデビュー、パリコレを席巻し、世界のトップモデルとして君臨。イヴ・サンローランら名だたるデザイナーを魅了。ウェアリストとしても活躍し、表現の幅を広げた。没後も写真展や映像でその軌跡を辿り、CMや演劇作品も配信。彼女の美しさ、革新的な表現は、今もなお人々の心に深く刻まれ、日本の文化を彩り続けている。

山口小夜子の軌跡:その美しさと表現とは?没後も輝き続ける、唯一無二の存在

📘 この記事で分かる事!

💡 書籍、回顧展、映画を通して、山口小夜子の生い立ち、美学、表現者としての多様な顔を探る。

💡 モデル、パフォーマー、クリエイターとして活躍し、ファッション界だけでなく、文化全体に影響を与えた。

💡 晩年のステージと、死後もなお語り継がれる彼女の美学と遺産。未来への継承。

本日は、時代を超えて人々を魅了し続けるモデル、山口小夜子さんの魅力に迫ります。

彼女の多才な才能と、その生き様を紐解いていきましょう。

美への目覚めとキャリアの始まり

山口小夜子の「東洋の神秘」とは?

漆黒おかっぱと切れ長の目。

山口小夜子さんの書籍発売を記念し、彼女の生い立ちやファッション哲学、美への意識を紐解きます。

幼少期の記憶からモデルデビューまで、本人の言葉で語られる内容は必見です。

伝説のパリコレ・モデル。世界を魅了した唯一無二の日本人女性、いまよみがえる
伝説のパリコレ・モデル。世界を魅了した唯一無二の日本人女性、いまよみがえる

✅ 伝説のファッションモデル、山口小夜子の生前の言葉と芸術的な写真を集めた書籍が発売され、彼女の生い立ちやファッション哲学、美への意識などが本人の言葉で語られている。

✅ 横浜での幼少期の記憶からモデルデビュー、ファッションに対する考え方、日本人としてのアイデンティティまで、多岐にわたるテーマが彼女の言葉で語られ、美への探求が垣間見える。

✅ 「コンプレックスの塊」と自らを評しながらも、自分のスタイルを確立し、海外で成功を収めた彼女の言葉は、美容やファッションに関心のある人々だけでなく、多くの人々に影響を与えるだろう。

さらに読む ⇒今日のおすすめ 講談社 今日のおすすめ出典/画像元: https://news.kodansha.co.jp/books/10383

山口小夜子さんの言葉には、美への探求心と、それを実現する力強さを感じますね。

コンプレックスを抱えながらも自己を確立し、世界で活躍された姿は、多くの人に勇気を与えます。

1954年生まれの山口小夜子さんは、19歳で服飾を学びながらモデル活動をスタートし、1972年にパリコレクションにアジア系モデルとして初起用されました。

漆黒のおかっぱ頭と切れ長の目は「東洋の神秘」と称され、山本寛斎、高田賢三、イブ・サンローラン、ジャンポール・ゴルチェら多くの著名デザイナーのミューズとして国際的な活躍を見せました。

70年代初頭からパリコレなどで活躍し、77年にはニューズウィーク誌で世界のトップモデル6人に選出されるなど、その美しさは世界を魅了しました。

いやあ、山口小夜子さんといえば、あの漆黒のおかっぱですよね!東洋の神秘という言葉がぴったりで、本当に格好良かった。時代を超えて語り継がれるのも当然ですよ。

表現者としての進化:多様なジャンルでの挑戦

山口小夜子、何者?多才な表現で日本文化に何をもたらした?

モデル、ウェアリスト。日本文化に多大な影響。

モデル業に加え、表現者としても活躍した山口小夜子さん。

彼女の多様な活動と、死後も色褪せない表現力について、回顧展やドキュメンタリー映画を通して振り返ります。

没後15年
没後15年

✅ 日本のトップモデルとして活躍した山口小夜子の没後15年を記念し、回顧展の図録復刊やドキュメンタリー映画の上映、関連イベントが開催されている。

✅ 山口小夜子の多岐にわたる活動(モデル、パフォーマー、クリエイター)と、彼女の死後も色褪せないその表現力と影響力について、生前の交流があった人物からの寄稿を通して振り返っている。

✅ 寄稿では、山口小夜子がもし生きていたら、現代のSNSやスピリチュアルブームについて語り、共に楽しんだであろうという想像を通して、彼女のクリエイティビティと時代への適応力を称えている。

さらに読む ⇒シネフィル - 映画とカルチャーWebマガジン出典/画像元: https://cinefil.tokyo/_ct/17563069

モデル活動だけでなく、様々なジャンルで活躍されたんですね! 彼女の表現は、演劇や写真など多岐に渡り、70年代以降の日本文化に大きな影響を与えたというのも納得です。

モデル業に加え、山口小夜子さんは「ウェアリスト」として、ダンスパフォーマンスや演劇、衣装デザインなど、様々なジャンルで才能を発揮しました。

鈴木清順監督の映画「ピストルオペラ」にも出演し、1989年には国際エミー賞を受賞。

2001年にはロンドンで主演を務め、晩年は次世代アーティストとのコラボレーションを積極的に行いました。

また、写真や映像、演劇作品を通じて彼女の表現は多岐に渡り、資生堂の広告、三宅一生の作品、寺山修司とのコラボレーションなど、70年代以降の日本文化に大きな影響を与えました。

山口小夜子さんの多才さに驚きました。モデルだけでなく、舞台や映像でも活躍されていたんですね。今の時代にも通じるクリエイティビティ、素晴らしいです。

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伝説のモデル、山口小夜子の最後のステージ。斬新な着物姿と『ひとつ』とのコラボは圧巻。写真展、CM、演劇と、今も輝き続けるその美と才能。彼女の魂は永遠に。