有馬稲子、銀幕のスターの軌跡と現在?映画女優有馬稲子の華麗なる人生と、その裏側
日本の映画黄金期を彩った名女優、有馬稲子。美貌と演技力で観客を魅了し、数々の名作に出演。華やかな舞台裏では、二度の結婚、不倫、中絶など、壮絶な人生を歩んできた。93歳となった今、横浜の高級ケア付き老人ホームで充実した日々を送り、ガーデニングや朗読劇など精力的に活動。その波乱万丈な人生と、今もなお輝き続ける姿に迫る。
💡 宝塚歌劇団から映画界へ。日本映画黄金期を支えたスター女優、有馬稲子の生涯を追う。
💡 結婚、不倫、中絶…激動の私生活と、その中で見つけた生きる意味とは。
💡 舞台、テレビでも活躍し続ける有馬稲子の現在。輝き続けるその秘訣に迫ります。
女優有馬稲子の輝かしいキャリアと、波乱万丈な私生活、そして現在について掘り下げていきます。
華麗なるスタート
日本の映画黄金期を彩った女優は?代表作は?
有馬稲子。『彼岸花』など。
有馬稲子さんの映画女優としての華々しいスタートについて見ていきましょう。
1949年に宝塚歌劇団に入団後、すぐに映画界でもデビューを果たしました。

✅ 有馬稲子さんは1949年に宝塚歌劇団に入団し、在団中から映画にも出演。1953年の退団後もスター女優として日本映画の黄金期を支え、70本以上の映画に出演した。
✅ 10代で宝塚音楽学校に合格し、宝塚歌劇団では娘役として活躍。その後、20歳で退団し、東宝を経て松竹へ移籍、岡田茉莉子さんと共に活躍した。
✅ 激動の少女時代を過ごし、DVから逃れるために宝塚音楽学校を受験。22歳で「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立し、自ら出演作を選んだ。
さらに読む ⇒こいもうさぎのブログ出典/画像元: https://koimousagi.com/63651.html10代で宝塚音楽学校に合格し、その後映画界でも活躍されたというのは、まさに華麗なるスタートですね。
その美貌と才能で、人々を魅了したのでしょう。
1932年、大阪府池田市で生まれた有馬稲子さんは、現在93歳。
本名は中西盛子。
17歳で宝塚歌劇団に入団後、映画界へ進出し、東宝専属女優としてデビュー。
その美貌と演技力で、日本の映画黄金期を支える存在となりました。
代表作には、小津安二郎監督の『彼岸花』や小林正樹監督の『人間の条件』など、数々の名作があります。
いやあ、有馬稲子さんといえば、まさに昭和の銀幕のスターでしたね。宝塚時代から輝いていたなんて、すごい。彼女の映画、また観たくなりましたよ。
波乱に満ちた私生活
有馬稲子の波乱万丈の人生、結婚と離婚の回数は?
2度の結婚と2度の離婚を経験。
映画界での成功の裏には、波乱万丈な私生活がありました。
今回は、有馬稲子さんの「愛と残酷」に満ちた映画人生に迫ります。
公開日:2023/08/09

✅ 本書『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』は、日本映画の黄金期を代表する女優、有馬稲子が、巨匠監督たちとの秘めた関係を含めた映画人生を語ったもので、「愛と残酷」に満ちた内容である。
✅ 本書では、過去の不倫関係や中絶、結婚後の監督からの執拗な干渉など、有馬の波乱万丈な半生が赤裸々に語られており、当時の映画界の裏側を垣間見ることができる。
✅ 有馬は、デジタル修復で鮮やかに蘇る巨匠たちの作品とともに、その時代を語る語り部としての使命を感じ、本書は貴重な証言集となっている。
さらに読む ⇒BOOKウォッチ出典/画像元: https://books.j-cast.com/2018/11/16008245.html映画女優としての華々しい活躍とは裏腹に、様々な苦悩があったんですね。
自伝を読んで、彼女の心の傷と向き合う姿に心を打たれました。
映画界での成功とは裏腹に、私生活では二度の結婚を経験。
最初の夫は俳優の中村錦之助(萬屋錦之介)でしたが、4年足らずで離婚。
その後、実業家と再婚しましたが、51歳で離婚しています。
過去には映画監督との不倫関係があり、中絶も経験。
2018年に出版された自伝「有馬稲子わが愛と残酷の映画史」では、その苦悩と自身の心の傷と向き合う姿が描かれています。
不倫や中絶、それらを赤裸々に語る自伝とは、とても興味深いですね。当時の映画界の裏側も垣間見えるということなので、読んでみたいと思います。
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舞台、映画で活躍、数々の苦難を乗り越えた有馬稲子。充実シニアライフを送り、今も輝き続ける。華麗な経歴と、その生き様に迫る。