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宮城まり子とねむの木学園 障害を持つ子どもたちの心の学校は、どのように生まれたのか?ねむの木学園とは!!?

歌手から福祉の道へ!宮城まり子が創設した「ねむの木学園」の物語。障害児教育への情熱、愛と葛藤の人生、そして子どもたちの輝き。感動と学びに満ちた、彼女の軌跡をたどる。

宮城まり子とねむの木学園 障害を持つ子どもたちの心の学校は、どのように生まれたのか?ねむの木学園とは!!?

📘 この記事で分かる事!

💡 宮城まり子さんは、歌手・女優として活躍後、障害を持つ子どもたちのための学校「ねむの木学園」を設立しました。

💡 ねむの木学園は、心豊かに過ごせる場所として、多くの子どもたちの成長を支えてきました。

💡 宮城まり子さんの生涯とねむの木学園の歴史、そして教育理念についてご紹介します。

それでは、宮城まり子さんの生涯とねむの木学園について詳しく見ていきましょう。

宮城まり子の生涯とねむの木学園

宮城まり子が創設した施設は?

ねむの木学園

宮城まり子さんの人生は、まさに波乱万丈でしたね。

ねむの木学園」を築いた宮城まり子さん、障害を持つ子どもたちに捧げた生涯
ねむの木学園」を築いた宮城まり子さん、障害を持つ子どもたちに捧げた生涯

✅ 宮城まり子さんが設立した「ねむの木学園」は、障害を持つ子どもたちが心豊かに過ごせる「心の学校」として、55周年を迎えています。

✅ 学園創設当初は、教育に携わることは許されていませんでしたが、宮城さんは私立の学校を設立し、子どもたちにとって「教える」という時間を創り出しました。

✅ 最初の授業では「星の王子さま」を取り上げ、子どもたちの豊かな想像力や表現力を育むと共に、他人への優しさや心の強さを育むことを目指していました。

さらに読む ⇒家庭画報.com|゛素敵な人゛のディレクトリ出典/画像元: https://www.kateigaho.com/article/detail/175524

想像を絶する困難に立ち向かいながらも、子どもたちの未来のために教育の場を作り出した宮城まり子さんの強い意志を感じます。

宮城まり子は1955年に歌手としてデビューし、その後舞台やテレビで活躍した。

1968年に日本初の肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」を設立し、障害児教育に情熱を注いだ。

宮城さんは園生から母親のように慕われていた

1979年には「ねむの木養護学校」を開校し、障害児の教育と生活の質向上に貢献した。

1984年にはねむの木学園のこどもたちによる劇団「虹」を結成し、彼らの才能を世に広めた。

1987年には手描友禅の指導を始め、美術活動にも積極的に取り組んだ。

宮城さんは、園生の豊かな感性を絵画で表現させたいと、教室にペンと紙を置くようにした。

また、障害を持つ子どもたちにも分かりやすい言葉で、人とのつながりの大切さを伝えた。

宮城まり子は障害児教育のパイオニアとして、多くの賞を受賞し、社会から高い評価を受けた。

生涯を通じて、「ねむの木学園」の運営に尽力し、2020年3月21日に満93歳で永眠した。

懐かしいですね。私も宮城まり子さんの歌を聴いて育ちましたよ。あの歌声は今でも忘れられません。

ねむの木学園設立と教育理念

宮城まり子が「ねむの木学園」設立を決めた理由は?

子どもたちの輝きを見守るため

宮城まり子さんの情熱が伝わってきますね。

学園小史
学園小史

✅ 宮城まり子さんは、1950年代後半に知恵遅れや脳性麻痺のこどもたちと出会い、彼らに教育を受ける権利があることを確信し、1960年から施設建設に向けて動き始めました。

✅ 1965年に静岡県小笠郡浜岡町に用地を決定し、1967年に社会福祉法人ねむの木福祉会を設立、翌年には養護施設ねむの木学園が開園しました。

✅ 1968年から1970年にかけて、施設の建設が進められ、定員も拡大。ねむの木学園は、障害を持つ子どもたちが安心して生活できる場所として、宮城まり子さんの熱い思いとともに発展していきました。

さらに読む ⇒ねむの木学園出典/画像元: https://www.nemunoki.or.jp/history

困難を乗り越えて、子どもたちの希望となる学園を創設した宮城まり子さんの姿は、まさに感動的です。

宮城まり子は、歌手、俳優として活躍したのち、肢体不自由な子どもたちの施設「ねむの木学園」を1968年に設立し、教育と福祉活動に長年尽力しました。

1968年にねむの木学園を設立した宮城さんは、土地取得や職員集めなど、さまざまな苦労を乗り越え、園長として多忙な日々を送りました。

経済的にも厳しい運営を強いられる中、宮城さんを支えたのは子どもたちの゛輝き゛でした。

宮城さんは、園生が描く絵に豊かな感性を感じ、決して描き方を教えることはしませんでした

自然や音楽、宮城さんとの触れ合いを通じて、園生の感性が花開くのをただ見守る、その指導法は絵画だけでなく、手描き友禅、コーラスなど多彩な活動に及んでいました。

宮城さんの活動を支えたのは、長年のパートナーであった作家吉行淳之介さんとの約束「子どもたちのために絶対に(学園を)やめない」でした。

吉行さんを生涯愛し続けたように、宮城さんは子どもたちにも優しいまなざしを注ぎ続けた人生でした。

宮城さんは、子どもたちの健康状態を亡くなる直前まで気に掛けており、子どもたちの学校の先生であると同時に、母のような存在でもありました。

あの時代は、障害を持つ子どもたちの教育は、まだまだ進んでいませんでしたからね。宮城まり子さんのような先駆者がいたからこそ、今の状況があるのでしょう。

吉行淳之介との愛と葛藤

宮城まり子さんと吉行淳之介さんの関係は?

深く愛し合った夫婦

吉行淳之介さんと宮城まり子さんの関係は、複雑なものだったんですね。

宮城まり子が選ぶ吉行淳之介展 : あじさい通信・ブログ版
宮城まり子が選ぶ吉行淳之介展 : あじさい通信・ブログ版

✅ この記事は、吉行淳之介の17回忌を記念して開催された「吉行淳之介展」のレポートです。

✅ 筆者は、吉行淳之介の妻である宮城まり子さんと、ねむの木学園の子どもたちと出会い、展覧会の様子や、吉行淳之介と宮城まり子さんの関係などについて、自身の感想を交えながら描写しています。

✅ 特に、宮城まり子さんの人柄に触れ、ねむの木学園をしっかりと守り、吉行淳之介への愛情を今も強く抱いている様子が伝わってきます。

さらに読む ⇒あじさい通信・ブログ版出典/画像元: https://kurakeiko.exblog.jp/11316161/

深い愛情と葛藤を乗り越えて、互いに支え合った二人の姿は、とても感動的です。

宮城まり子さんは社会福祉事業家として「ねむの木学園」を設立し、作家吉行淳之介さんと深く愛し合った人物でした。

1950年代末、宮城さんは吉行さんと出会い、恋に落ちますが、吉行さんが既婚者であったことを知ります。

それでも、強い愛情を抱き、吉行さんの奥さんがいることを知りながらも関係を続けました。

1994年、吉行さんが亡くなる1ヶ月前、宮城さんは特別に「ねむの木」から休みをとり、吉行さんの最期を看取りました。

吉行さんの遺言により、全作品の著作権は宮城さんに譲渡されました。

宮城さんは吉行さんの思い出を「ねむの木」に「吉行淳之介文学館」として残し、彼の作品集を出版しました。

宮城さんは、吉行さんと「ねむの木」の子どもたちとの間で葛藤を抱えながらも、両方を深い愛情をもって大切にしていたことを「私の履歴書」の中で表明しています。

愛は、たとえ分けられても、それぞれの愛が大きくなり、再び一つになるものであるという、マシュマロのような愛情を表現していました

吉行淳之介さんの作品は、私もよく読んでいました。彼の作品を通して、宮城まり子さんのことを知ることができたのは、とても感慨深いです。

ねむの木学園の教育精神

ねむの木学園の設立秘話とは?

教育への情熱の実現

ねむの木学園の教育精神は、本当に素晴らしいですね。

宮城まり子とねむの木学園 愛が愛を生んだ軌跡 通販
宮城まり子とねむの木学園 愛が愛を生んだ軌跡 通販

✅ 本書は、「ねむの木学園」創設者である宮城まり子の本格評伝であり、20年以上に渡り宮城まり子と交流を持ち、教育学の専門家でもある著者によって書かれたものです。

✅ 内容は、宮城まり子の生い立ちから、ねむの木学園創設に至る経緯、そして宮城まり子の教育観や子ども観について解説しています。

✅ 宮城まり子の「教育は子どもの幸福のためにある」という信念や、障害を持つ子どもたちへの深い愛情、そして実践的な教育方法などが詳細に記述されており、教育現場や社会全体にとって重要な示唆を与えてくれる一冊です。

さらに読む ⇒セブンネットショッピング出典/画像元: https://7net.omni7.jp/detail/1107174559

宮城まり子さんの子どもたちへの愛情と、教育に対する情熱が、この素晴らしい学園を作り上げたのでしょう。

宮城まり子さんが創設した「ねむの木学園」は、障害を持つ子どもたちの心の成長を支える「心の学校」として、そのスピリットを現在も受け継いでいます。

学園設立当初は、厚生省の管轄だったため、宮城さんは教育に直接携わることができませんでした。

しかし、私立の学校を設立することで、子どもたちへの「教える」時間を手に入れました。

最初の授業では、「星の王子さま」を取り上げ、子どもたちの想像力を刺激しました。

宮城さんは 子どもたちに、やさしさと思いやりの心を育む教育を実践し、ねむの木学園は、その精神を受け継ぎ、これからも多くの人の心を育む場所であり続けるでしょう。

宮城まり子さんの教育への情熱は、私にも深く響きます。子どもたちの未来のために、人生を捧げた彼女の生き様は、まさに尊敬に値します。

宮城まり子の逝去とねむの木学園の未来

ねむの木学園の創設者、宮城まり子さんはいつ亡くなりましたか?

2020年3月21日

宮城まり子さんの逝去は、本当に残念です。

宮城まり子さん死去 「やさしいことはつよいのよ」:東京新聞 TOKYO Web
宮城まり子さん死去 「やさしいことはつよいのよ」:東京新聞 TOKYO Web

✅ 宮城まり子さんは、歌手、女優、そして「ねむの木学園」の創設者として活躍されました。戦後、歌手としてデビューし、「ガード下の靴みがき」などのヒット曲を世に送り出したほか、映画や舞台にも出演しました。

✅ 1968年に私財を投じて肢体の不自由な子どもたちの養護施設「ねむの木学園」を設立。園長に就任し、自ら監督を務めた映画「ねむの木の詩」は大きな反響を呼びました。

✅ 宮城まり子さんは、「やさしくね」という言葉で象徴されるように、子どもたちへの深い愛情と、学園を半世紀にわたって運営してきた強さを持った人物でした。2023年2月21日、93歳で亡くなりました。

さらに読む ⇒東京新聞 TOKYO Web出典/画像元: https://www.tokyo-np.co.jp/article/17430

宮城まり子さんの功績は、これからも多くの人々に語り継がれていくでしょう。

宮城まり子(ねむの木学園園長、学校法人ねむの木学園・社会福祉法人ねむの木福祉会理事長)が2020年3月21日午前6時55分、東京都内の病院で死去しました。

享年93歳。

宮城まり子は歌手・女優として活躍後、1968年に静岡県浜岡町(現御前崎市)にねむの木学園を設立。

その後半世紀余り、学園と共に歩んできました。

3月27日には、ねむの木学園にて子どもたちと教職員のみでお別れの会が開かれました。

宮城まり子は生前、子どもたちや職員に「やさしくねやさしくねやさしいことはつよいのよ」という言葉をかけていました。

ねむの木学園は深い悲しみに包まれていますが、創設者宮城まり子の遺志を継ぎ、今後も学園を運営していくとのことです

上皇ご夫妻は宮内庁上皇職を通じて、ねむの木学園に弔意を伝えられました。

上皇ご夫妻は、皇太子夫妻時代から宮城さんと交流があり、学園を訪問したり、上皇后美智子さまは園生が描いた絵画などの作品展にも足を運んだりしていました。

宮城まり子さんのような素晴らしい方がいなくなってしまったのは、本当に寂しいですね。

宮城まり子さんの生涯と「ねむの木学園」の創設について、改めて深く考えさせられました。

🚩 結論!

💡 宮城まり子さんは、歌手・女優として活躍後、障害を持つ子どもたちのための学校「ねむの木学園」を設立しました。

💡 ねむの木学園は、宮城まり子さんの揺るぎない信念と愛情によって支えられ、数多くの障害を持つ子どもたちの成長を支えてきました。

💡 宮城まり子さんの功績は、これからも多くの人々に語り継がれ、子どもたちの未来を照らし続けるでしょう。