都はるみの現在!結婚、引退、復帰、そして生活の変化とは?演歌界のレジェンド、都はるみの波乱万丈な人生
演歌の女王、都はるみの波乱万丈な人生を追う。デビューから「アンコ椿は恋の花」で一世を風靡し、日本レコード大賞受賞も。華やかな舞台裏には、結婚と離婚、そして電撃引退と復帰。現在は、俳優の矢崎滋さんと共に東北のホテルで穏やかな生活を送る。死亡説も飛び交う中、彼女の現在と、隠された素顔に迫る。
💡 1964年にデビュー。「アンコ椿は恋の花」が大ヒットし、新人賞を受賞。演歌界の新たなスターとして注目を浴びる。
💡 1975年発売の「北の宿から」が大ヒット、日本歌謡大賞と日本レコード大賞をダブル受賞。演歌界の頂点へ。
💡 結婚、引退、そして復帰。様々な経験を経て、現在の生活は東北で穏やかな日々。事実婚の相手、矢崎滋との生活。
今回は、演歌界のトップスター、都はるみさんのこれまでの軌跡を辿りつつ、現在の生活に迫っていきたいと思います。
まずは、都はるみさんの華々しいデビューから、スターダムを駆け上がった頃のお話から始めましょう。
輝かしいデビューとスターダムへの道
都はるみのデビュー曲と代表曲は?
デビューは「困るのことヨ」、ヒット曲は「アンコ椿」。
演歌界のトップスターとして大活躍された都はるみさん。
数々のヒット曲を出し、日本の音楽シーンを大きく変えましたね。

✅ 都はるみさんの「北の宿から」は、1975年12月1日に発売され、約1年かけて1976年に1位を獲得するロングヒットとなり、売上140万枚を超えるミリオンセラーとなった。
✅ 「北の宿から」は、第7回日本歌謡大賞と第18回日本レコード大賞をダブル受賞し、史上初の快挙を達成した。
✅ この曲は、フレデリック・ショパンのピアノ協奏曲第1番の第1楽章と似ていると指摘されている。
さらに読む ⇒昭和・平成のヒット曲・名曲を紹介するサイト「music1963(ミュージック1963)」出典/画像元: https://music1963.com/?p=8290「北の宿から」は本当に素晴らしい曲ですよね。
ダブル受賞という快挙は、まさに都はるみさんの実力の証だと思います。
1964年、都はるみは「困るのことヨ」で華々しくデビューし、同年に「アンコ椿は恋の花」が大ヒット、新人賞を受賞しました。
その後、サンミュージックプロダクションに移籍し、「北の宿から」で日本レコード大賞を受賞するなど、数々の賞を手にし、演歌界のトップスターとしての地位を確立しました。
「北の宿から」は、私もよく聴いたものです。あの頃は、演歌が本当に人気がありましたね。都はるみさんの歌声は、今でも心に響きます。
結婚と別れ、そして復帰への道
人生の転機を乗り越え、都はるみが掴んだものは?
復帰と紫綬褒章。そして、ファンの熱狂。
引退を決意されたのは、本当に驚きましたね。
あの頃の都はるみさんは、まさに絶頂期でしたから。
公開日:2020/08/31

✅ 演歌歌手の都はるみは、人気絶頂の36歳の時に「普通のおばさんになりたい」という理由で引退を発表し、社会現象を巻き起こした。
✅ 引退は、20周年を区切りとし、レコード大賞受賞後に決意。恋人と噂された中村一好との結婚の憶測を否定し、本名である北村春美として別の生き方を選択するためだった。
✅ 引退後は、運転免許取得や料理をしたいと語り、1984年の紅白歌合戦を最後に引退。その後、音楽プロデューサーとしての活動を経て、美空ひばりの死をきっかけに歌手復帰を果たした。
さらに読む ⇒GOSSIP-HISTORY出典/画像元: https://gossip-history.com/g01627/引退、そして復帰。
人生には様々な転機があるものですね。
美空ひばりさんの死が、復帰のきっかけになったというのは、運命的なものを感じます。
順風満帆に見えた都はるみの人生にも、転機が訪れます。
1979年には作曲家の朝月広臣と結婚しましたが、3年後に離婚。
その後、中村一好さんと交際し、1984年には「普通のおばさんになりたい」として歌手を引退する決意をしました。
しかし、1989年に復帰を果たし、ファンを再び熱狂させました。
2008年にはデビュー45周年を迎えましたが、長年のパートナーであった中村一好さんが亡くなり、個人事務所からサンミュージックプロダクションに復帰しました。
2010年には紫綬褒章を受賞するなど、その功績は高く評価されました。
引退のニュースを聞いた時は、大変驚いたものです。でも、また復帰されて、本当に嬉しかった。色々な経験をされたからこそ、歌声に深みが増したのでしょう。
次のページを読む ⇒
伝説の歌姫、都はるみの現在。死亡説はデマ!大物俳優・矢崎滋との穏やかな隠居生活。東北のホテルで過ごす、77歳と78歳の静かな日々。復帰はある?