淡谷のり子『ブルースの女王』は、どんな人生を送ったの?戦時下でも歌い続けた彼女の生き様とは!?
「別れのブルース」で知られる戦前の歌姫、淡谷のり子の波乱万丈な人生!ブルースの女王と呼ばれた彼女の生き様は、激動の時代を生き抜いた女性の力強さを物語る。NHK朝ドラ「ブギウギ」で再び注目を集める彼女の軌跡をたどる。
💡 淡谷のり子は、戦前から活躍した歌手で、ブルースの女王として知られています。
💡 彼女は、戦時下でも歌手を続け、人々に希望を与え続けた存在でした。
💡 近年では、NHK朝ドラ『ブギウギ』で、彼女の生き様を描いたドラマが放送され、再び注目を集めています。
それでは、第一章、淡谷のり子の生い立ちから見ていきましょう。
クラシックから流行歌へ
淡谷のり子はなぜ高給だったのか?
印税なしの固定給
淡谷のり子さんは、クラシック歌手を目指していたんですね。

✅ 淡谷のり子は、幼少期に家族で貧困生活を経験し、将来のオペラ歌手を目指して音楽学校に通いながら、生活費を稼ぐためにヌードモデルのアルバイトをしていました。
✅ 音楽学校を卒業後、クラシックの世界で活躍したいと考えていましたが、生活費を稼ぐために流行歌の世界に飛び込み、1930年に「久慈浜音頭」で歌手デビューしました。
✅ 淡谷のり子は、クラシック歌手としての基礎力と流行歌への挑戦を通じて、独自の音楽スタイルを確立し、「ブルースの女王」として昭和歌謡界に名を刻みました。
さらに読む ⇒BIGLOBEニュース出典/画像元: https://news.biglobe.ne.jp/trend/0116/jbp_240116_6115458805.htmlクラシックを学んでいたとは、意外ですね。
淡谷のり子さんは、多才な方だったんですね。
淡谷のり子は、1923年に東洋音楽学校に入学し、クラシック音楽を学んでいましたが、流行歌手の道へ進みました。
1929年に東洋音楽学校を卒業した後、ポリドールやキングレコードでレコードを吹き込み、浅草の映画館で歌い始めます。
1931年にはコロムビアレコードと契約し、同年6月には「私此頃憂鬱よ」がヒットしました。
当時、日本の平均賃金は月54.23円でしたが、淡谷のり子は月300円の固定給を受け取っていたため、かなり高給であったと言えます。
しかし、印税契約は結ばれていませんでした。
ああ、懐かしい。あの頃の流行歌は、みんな心に響いたよね。
ブルースの女王の誕生
淡谷のり子はなぜ「ブルースの女王」と呼ばれるようになったの?
生活のために流行歌を歌い始めたから
淡谷のり子さんは、時代の流れの中で、流行歌の世界に飛び込んだんですね。
公開日:2024/03/14

✅ 記事は、日本のシャンソン界を牽引した歌手、淡谷のり子の紹介記事です。
✅ 淡谷のり子の生い立ち、歌手としての活躍、特に「ブルースの女王」としての地位を確立した経緯などが説明されています。
✅ また、記事後半では、イラストサイトである「いらすとすてーしょん」について、サイトの特徴や利用方法が紹介されています。
さらに読む ⇒世界、日本の偉人たちをフリーイラストポートレートで紹介する歴史の停車場を目指して取り組んでいます出典/画像元: https://illuststation196.com/archives/14499生活のために流行歌を歌い始めた、というのは、今の時代では考えられないですね。
淡谷のり子が「ブルースの女王」と呼ばれるきっかけとなったのは、生活のために流行歌を歌い始めたことです。
しかし、当時の学校からは低俗な歌を歌うと見なされ、除籍のような扱いを受けます。
それでも淡谷は歌手を続け、シャンソン歌手として日本での地位を築き、代表曲「別れのブルース」では、ブルースの情感を出すために、一晩中煙草を吸い、喉を潰してレコーディングに臨むほどの情熱を見せました。
ブルースの女王、時代を超えて響く歌声だったよね。
『別れのブルース』誕生秘話
別れのブルースが禁止された理由とは?
センチメンタルな内容
別れのブルースは、淡谷のり子さんの代表曲ですね。

✅ この楽譜は、全音楽譜出版社から販売されている「別れのブルース」のメロディ譜です。1937年7月発売の楽曲で、作曲は服部良一、作詞は藤浦洸です。
✅ 楽譜には、前奏と1番のメロディが数字譜付きで記載されており、最後のページに歌詞が掲載されています。
✅ ただし、古い楽譜のため、作曲時と録音時でメロディや歌詞が異なる可能性があり、現在聴くことが出来る音源と楽譜に相違点がある場合があることに注意が必要です。
さらに読む ⇒楽譜@ELISE(アットエリーゼ)出典/画像元: https://www.at-elise.com/elise/JPDPZO00238/淡谷のり子さんは、歌に情熱を注いでいたんですね。
別れのブルースは1937年に発表された、日本における゛ブルース歌謡゛の先駆けとして知られる楽曲です。
作曲家・服部良一は、当時の作詞家・藤浦洸に横浜の本牧のチャブ屋を舞台に取材させ、そのエキゾチックなムードから生まれた歌詞に作曲しました。
服部は、ソプラノ歌手・淡谷のり子の歌唱によってブルース特有の哀愁を表現することを意図し、淡谷は深酒と煙草でノドを荒らしてレコーディングに挑みました。
発売当初はあまり売れませんでしたが、翌年満州の兵隊さんから人気が出始め、大阪、東京と広まりました。
しかし、翌年にはセンチメンタルな内容から歌が禁止されてしまいます。
淡谷は、兵隊さんの慰問で上海で歌った際、憲兵と将校がホールから出ていったエピソードを紹介しています。
この曲は、戦時中に兵隊たちの心を打った一方で、当局から禁止されるなど、時代背景を色濃く映し出す楽曲として知られています。
別れのブルース、懐かしいなぁ。あの時代は、音楽が人々の心を繋いでいたよね。
戦時下での信念
戦時下でも、淡谷のり子はどんな姿勢で歌い続けたの?
信念を貫き、希望を届けた
淡谷のり子さんは、戦時下でも信念を貫き通したんですね。

✅ NHK朝ドラ「ブギウギ」第14週「戦争とうた」では、歌手茨田りつ子が特攻隊員たちの前で歌うシーンが描かれ、過去の淡谷のり子を描いたドラマとは異なる演出がなされています。
✅ 過去のドラマでは、特攻隊員が淡谷のり子の歌を聴きながら静かに立ち去る描写でしたが、「ブギウギ」では、特攻隊員たちが積極的にりつ子に言葉をかけ、りつ子は彼らの思いを受け止め涙する描写がされています。
✅ 特攻隊員の言葉や行動は、現代の視聴者にも理解しやすいように、より具体的な表現が用いられており、戦争の悲惨さと歌手の無力さを際立たせていると考えられます。
さらに読む ⇒コクハク|オトナ女子、恋と性を磨く。出典/画像元: https://kokuhaku.love/articles/26625戦時下でも、自分の信念を貫くことは、とても大変だったと思います。
戦時下においても、淡谷のり子は、軍部の指導に屈することなく、自身のスタイルを貫き通した歌手でした。
華美な服装や米英音楽の演奏を禁止する軍部の命令にも従わず、ステージでは華やかなドレス姿で、戦地では兵士たちのリクエストに応え、ブルースやシャンソンなどを歌い続けました。
特に、特攻隊員の前で歌った際には、彼らの出撃を目の当たりにし、涙を流したという逸話は、戦争の悲惨さと淡谷のり子の心の痛みを物語っています。
彼女は、歌手としての信念を貫き、戦時下においても、人々に希望と心の安らぎを与える音楽を届け続けたのです。
戦時中の状況を考えると、淡谷のり子さんの歌声は、人々にとって希望だっただろうね。
時代を超えて語り継がれる存在
淡谷のり子はどんな生き方をしたの?
一途に自分の人生を貫いた
淡谷のり子さんは、長い間、歌謡界に貢献されてきたんですね。

✅ 淡谷のり子は、戦前から活躍した歌手で、懐メロ歌手、辛口審査員としてのイメージが強いが、近年ではバラエティー番組での出演により、おしゃれなおばあさんとしても知られるようになった。
✅ NHKの朝ドラ「ブギウギ」では、淡谷のり子をモデルにした茨田りつ子役が登場し、彼女の戦前の大ヒット曲「別れのブルース」が菊地凛子によって歌われている。
✅ 淡谷のり子にスポットライトが当たることは、激動の時代に女性が活躍していたことを広く知らしめる意味で、「ブギウギ」の大きなポイントとなる。
さらに読む ⇒JBpress (ジェイビープレス) | リアルな知性で世界に勝つ出典/画像元: https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/78811淡谷のり子さんの生き様は、現代の私たちにも、多くのことを教えてくれます。
淡谷は、懐メロ歌手、辛口審査員として、長年歌謡界に貢献してきました。
彼女の存在は、激動の時代における女性の力強さを示しており、『ブギウギ』が、淡谷のような女性の活躍を広く知らしめる機会となることが期待されます。
NHK朝ドラ『ブギウギ』で、主人公のモデルとなった笠置シヅ子と服部良一に注目が集まる中、淡谷のり子もスポットライトを浴びています。
淡谷は、戦前の大ヒット曲『別れのブルース』で知られる歌手で、劇中では茨田りつ子という役で、菊地凛子が演じています。
菊地凛子が演じる『ブギウギ』の主人公・りつ子の姿は、淡谷の生き様を彷彿とさせ、彼女たちのエンターテイメントへの情熱は、困難な時代の中でも、視聴者に希望を与え続ける存在となっています。
淡谷の生き方は、「じょっぱり」という言葉で表せるほど、一途に自分の人生を貫きました。
後年はテレビ番組で活躍し、若手歌手の才能を見抜く力も持ち合わせていました。
淡谷のり子さんは、時代の変化に合わせて、常に進化してきた人だったんですね。
淡谷のり子さんの人生は、まさに波乱万丈ですね。
💡 淡谷のり子は、戦前から活躍した歌手で、ブルースの女王として知られています。
💡 彼女は、戦時下でも歌手を続け、人々に希望を与え続けた存在でした。
💡 近年では、NHK朝ドラ『ブギウギ』で、彼女の生き様を描いたドラマが放送され、再び注目を集めています。