名優 笠智衆:昭和を彩った名優の生涯と作品とは?没後30年、映画史に名を刻む名優 笠智衆の魅力
昭和の名優、笠智衆。寺の息子から俳優へ転身し、小津安二郎監督に見出され、名作『東京物語』で世界を魅了。「男はつらいよ」の住職役も記憶に新しい。黒澤明、山田洋次ら名監督に愛され、「日本の父親」像を体現。自然体な演技と温かい人柄で、今もなお多くの人を惹きつける。映画史に残る名作の数々、その功績を振り返る。
💡 俳優 笠智衆は、多くの名作に出演し、日本の映画史に大きな足跡を残しました。その温厚な人柄と自然体な演技で、観客を魅了し続けました。
💡 小津安二郎監督との出会いは、彼の俳優人生を大きく変えました。数々の小津作品に出演し、その名を知られるようになりました。
💡 『東京物語』や『男はつらいよ』シリーズなど、代表作を通じて、幅広い世代に愛されました。また、家族との絆を大切にしたことでも知られています。
今回は、笠智衆さんの生い立ちから、俳優としての活躍、そして晩年までを詳しく見ていきましょう。
それでは、まず笠智衆さんの生涯を簡単にまとめた情報からご覧ください。
俳優への道:生い立ちと下積み時代
笠智衆、俳優転身の決意!きっかけは何?
大学中退と、兄への寺譲り。
俳優としての道を歩むことになった笠智衆さんの、生い立ちと下積み時代についてご紹介します。

✅ 俳優の笠智衆さんの没後30年を記念し、玉名市立歴史博物館こころピアで企画展が開催。
✅ 笠さんの出演映画やテレビドラマ、受賞品、直筆色紙など、ゆかりの品々を展示し、時代背景と共にその魅力を紹介。
✅ 開催期間は2022年12月3日から2023年2月12日まで、観覧料は無料。
さらに読む ⇒松竹シネマクラシックス出典/画像元: https://www.cinemaclassics.jp/news/2983/笠智衆さんのゆかりの品々が展示されている企画展、とても興味深いですね。
時代背景とともに、その魅力を感じることができそうです。
昭和の名脇役として知られる笠智衆は、1904年、熊本県で浄土真宗本願寺派の寺の長男として生まれました。
当初は父の意向で大学進学を目指しますが、東洋大学を中退し、俳優への道を志します。
松竹キネマ俳優研究所に入り、エキストラや端役として10年以上の下積み時代を経験します。
一度は実家に戻りかけたものの、兄に寺を譲り、再び上京して俳優としてのキャリアを追求しました。
笠智衆さんの下積み時代、ご苦労もあったことでしょう。でも、諦めずに俳優の道を追求されたからこそ、私たちの心に残る名演が生まれたんですね。
小津安二郎との出会いと飛躍
笠智衆の俳優人生を変えた作品は?
小津安二郎監督の『一人息子』
笠智衆さんの俳優としての飛躍のきっかけとなった、小津安二郎監督との出会いについて見ていきましょう。

✅ 小津安二郎監督初のトーキー作品で、信州の貧しい母が東京の息子に会いにいく物語。
✅ 息子は夜学の教師で貧しい暮らしをしており、母が期待していたような出世はしていなかった。
✅ 戦前の世相を反映した暗い世界観が特徴で、サイレント映画的な演出が用いられている。
さらに読む ⇒ナタリーポップカルチャーのニュースサイト出典/画像元: https://natalie.mu/eiga/film/132948小津安二郎監督に見出され、数々の作品に出演されたんですね。
笠智衆さんの演技が、その後の映画人生を大きく左右したというのは、素晴らしいですね。
笠智衆は、松竹入社後、小津安二郎監督に見出され、1936年のトーキー映画『一人息子』で重要な役を演じてから、数々の小津作品に欠かせない存在となります。
彼の演技は、その後の映画人生を大きく左右することになりました。
その後、黒澤明、木下恵介、山田洋次など、多くの名監督からも才能を認められ、様々な作品に出演を重ねました。
小津安二郎監督の作品は、今見ても本当に素晴らしいですよね。笠智衆さんの自然な演技が、作品をより深く味わい深いものにしていると思います。
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名優・笠智衆。映画『東京物語』の父親役から、『男はつらいよ』住職まで、日本の家族を描き、愛された。晩年の人柄と名作群を紹介。