岸惠子さんの波乱万丈な人生とは?女優、結婚、そして異国の地での生活を紐解く?岸惠子、女優から国際ジャーナリストへ。その華麗なる軌跡。
国民的ヒロイン、岸惠子の波乱万丈な人生に迫る。デビュー作で才能を開花させ、『君の名は』で社会現象を巻き起こした彼女。その後、出会ったフランス人監督イヴ・シャンピとの結婚、そして離婚。異文化での生活、娘の成長、そしてシャンピとの別れ… 映画のような人生を歩んだ岸惠子の知られざる物語。彼女を支えた娘、そして今も心に残るシャンピへの想いとは?
💡 岸惠子さんは、映画『君の名は』で国民的ヒロインとなり、一躍スターダムを駆け上がりました。
💡 フランス人映画監督イヴ・シャンピとの出会いと結婚、そして異国での生活について解説します。
💡 シャンピとの離婚後も、岸惠子さんは女優、作家として活躍し、その生き様は多くの人々に影響を与えました。
本日は、女優として、そして一人の女性として、輝かしい人生を歩んだ岸惠子さんに迫ります。
彼女の人生を様々な角度から見ていきましょう。
国民的ヒロインの誕生
岸惠子の代表作は?社会現象になった作品って?
『君の名は』。真知子巻きが話題!
1950年代、日本映画界を席巻した岸惠子さんの輝かしいデビューと、その後の活躍について見ていきましょう。

✅ 岸惠子さんは、1949年に映画界入りし、1951年に正式デビュー。鶴田浩二さんと共演し注目を集め、その後も数々の映画に出演して高い評価を得ました。
✅ 1952年には「松竹」を辞め独立した鶴田浩二さんの作品に出演し、翌年の「ハワイの夜」でも共演、大ヒットとなりました。
✅ 1953年から1954年にかけて公開された映画「君の名は」シリーズでヒロインを演じ、「真知子巻き」が大流行し、スター女優としての地位を確立しました。
さらに読む ⇒こいもうさぎのブログ出典/画像元: https://koimousagi.com/19551.html『君の名は』での大ヒットは、彼女の女優としての地位を不動のものにしましたね。
真知子巻きの流行は、まさに社会現象でした。
国民的ヒロインとして知られる女優、岸惠子さんは、1932年に横浜で生まれました。
高校時代に映画に興味を持ち、松竹に入社。
デビュー作がヒットし、その才能を開花させます。
その後、『君の名は』が大ヒットし、「真知子巻き」が社会現象を巻き起こすほどの人気を博しました。
いやあ、岸惠子さんといえば、あの頃の憧れの的でしたよ。松竹に入って、デビュー作から注目を集めたってんだから、すごい。
出会いと結婚、そして異国での生活
岸洋子の人生を変えた出会いとは?
映画監督イヴ・シャンピとの出会い。
岸惠子さんの自伝を通して、彼女の人生観や価値観に触れていきましょう。

✅ 本書は、女優、作家、ジャーナリストとして活躍する岸惠子の自伝であり、その輝かしい人生の軌跡を描いています。
✅ 岸惠子の生い立ちから女優デビュー、結婚、離婚、国際ジャーナリストとしての活動、そして執筆活動に至るまでの様々な経験が綴られています。
✅ 「徹子の部屋」での岸惠子の姿に感銘を受けた筆者が本書を読み、その才色兼備な生き方に感服した様子が記されています。
さらに読む ⇒岸惠子自伝–一条真也の読書館出典/画像元: https://ichijyo-bookreview.com/2021/08/post-1992.html国際ジャーナリストとしての活動にも多大な影響を与えたシャンピとの出会い、そしてパリでの生活。
華やかなイメージとは異なる苦労もあったようです。
1954年、岸さんは英語習得のため渡英。
その後、フランス人映画監督イヴ・シャンピとの出会いが彼女の人生を大きく変えます。
シャンピの作品を高く評価していた岸さんは、フランス語を習得し、パリへ移住。
1957年、川端康成を立会人に迎え、シャンピと結婚します。
二人の出会いは、1956年の映画共演でした。
結婚生活は18年続きましたが、シャンピの浮気が原因で1975年に離婚。
岸さんは慰謝料を受け取らず、その後も娘の麻衣子さんは父親との関係を良好に保ちました。
川端康成を立会人に結婚って、すごいですね。文化人同士の繋がりを感じます。
次のページを読む ⇒
フランス人監督イヴ・シャンピ。日本でも名高い彼の映画、そして岸惠子との出会いと別れ。若くして逝ったシャンピと、今も彼を想い続ける岸惠子の波乱の人生。