山崎努:俳優人生を振り返る!黒澤明作品から晩年まで、その魅力とは?黒澤映画の常連から日本映画界を代表する名優へ
友禅染職人の息子から日本を代表する名優へ。山崎努、映画愛を胸に俳優座、黒澤明作品を経て、『天国と地獄』で鮮烈デビュー。独自の表現を追求し、『必殺仕置人』で国民的俳優に。数々の映画賞を受賞し、晩年まで活躍。演技論を著し、家族との絆も深い。その波乱万丈の俳優人生と、今なお色褪せない名作の数々を振り返る。
💡 俳優座養成所時代のエピソードや、黒澤明監督との出会いなど、俳優としてのキャリアを形成する重要な出来事を解説。
💡 『天国と地獄』『赤ひげ』など、山崎努さんの代表作となった黒澤明監督作品での活躍に焦点を当てます。
💡 晩年の活動や家族との関係、そして俳優としての哲学など、山崎努さんの素顔に迫ります。
さて、山崎努さんの俳優としての歩みを、生い立ちから晩年の活動まで、様々な角度から紐解いていきましょう。
俳優の道へ:生い立ちと初期の挑戦
山崎努、俳優人生を歩むきっかけは?
芥川比呂志の舞台と映画への愛。
俳優の道へ進むきっかけとなった出来事や、初期の苦労、そして支えとなった人々との出会いについて見ていきましょう。

✅ 俳優の山崎努は俳優座養成所時代、貧困と栄養失調から失神する演技をリアルに行い、それが演技を評価される最初の経験となった。
✅ 養成所時代、同期の河内桃子から困窮を助けるため、こっそり千円札を手渡されたエピソードを、山崎は感謝とともに回想している。
✅ 俳優を志したのは舞台『ハムレット』に感銘を受けたことがきっかけで、養成所では赤面症に悩む一方、演技を学び、その後に黒澤明監督に才能を認められるようになる。
さらに読む ⇒こいもうさぎのブログ出典/画像元: https://koimousagi.com/40775.html河内桃子さんとのエピソードは、温かい人間関係を感じさせますね。
俳優座養成所での経験が、その後の活躍の基盤になったことがよく分かります。
1936年、千葉県で友禅染職人の父のもとに生まれた山崎努は、小学生時代に縁故疎開を経験し、終戦後、父親を亡くした。
上野高校定時制に通いながらアルバイトをし、映画に親しむ中で俳優を志すようになった。
19歳で芥川比呂志の舞台に感銘を受け、俳優座養成所に入所。
1960年に映画デビューを果たし、文学座に入団。
初期は不遇の時期もあったが、俳優としての道を模索し、独自の表現を追求する中で、1960年代初頭に元宝塚歌劇団星組の黛ひかると出会い、1963年に結婚。
俳優座養成所時代の話は、まるで映画のワンシーンのようだね。あの時代の役者さんは、本当にすごい熱意があったんだろう。
転換期:黒澤明との出会いと飛躍
黒澤映画での成功、その後の俳優人生への影響は?
俳優としての地位を確立、活躍の基盤を築いた。
黒澤明監督との出会いが、山崎努さんの俳優人生を大きく変えることになります。
その転換期について見ていきましょう。
公開日:2022/08/08

✅ 黒澤明監督の映画『天国と地獄』は、脚本の精密さが高く評価されており、特に前半の権藤邸での密室劇は緊迫感を生み出している。
✅ 身代金の受け渡しや犯人追跡など、サスペンスを高めるための演出が随所に施されており、劇伴を極力使わないことでリアリズムを追求している。
✅ 三船敏郎と山崎努の対決シーンなど、役者の演技を引き立てる演出が施されているものの、一部のシーンには冗長な部分も見られる。
さらに読む ⇒ポップカルチャーマガジン出典/画像元: https://popmaster.jp/movie/tengokutozigoku/『天国と地獄』、本当に見ごたえのある作品ですよね。
サスペンスフルな演出と俳優陣の演技が、今観ても素晴らしいです。
1963年、黒澤明監督の『天国と地獄』で誘拐犯役を演じ、一躍注目を集めた。
これを機に、『赤ひげ』など黒澤作品に次々と出演し、活躍の幅を広げた。
この時期は、俳優としてのキャリアにおいて重要な転換期となり、確固たる地位を築くための基盤を築いた。
1960年代後半から70年代にかけて、映画、テレビドラマと活躍の場を広げ、俳優としての評価を高めていった。
黒澤監督との出会いは、まさに運命だったのでしょうね。山崎努さんの才能を最大限に引き出したのは、黒澤監督の慧眼があったからでしょう。
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『必殺仕置人』から『マルサの女』まで、日本映画界を牽引した名優・山崎努。演技論、家族、そして晩年の活動まで、その多才な魅力に迫る。