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女優・岸惠子の波乱万丈な人生とは?激動の時代を駆け抜けた彼女の魅力に迫る!岸惠子の生涯:女優、作家、そして自由を求めた女性

戦後を代表する女優、岸惠子。映画『君の名は』で一世を風靡し、フランスへ渡り国際的な活躍を繰り広げた波乱の人生。90歳を超えてもなお、エッセイ執筆やトークショーで精力的に活動。戦争、結婚、離婚、そして娘との絆…。激動の人生を通して、平和への願いを込めて発信し続ける岸惠子の生き様は、多くの人々に勇気を与える。その言葉と、その生き方に触れて。

女優・岸惠子の波乱万丈な人生とは?激動の時代を駆け抜けた彼女の魅力に迫る!岸惠子の生涯:女優、作家、そして自由を求めた女性

📘 この記事で分かる事!

💡 映画『君の名は』で大ブレイク、国際派女優として活躍。フランスでの生活、そして作家としての顔も。

💡 女優業と執筆活動の両立、晩年まで精力的に活動。その生き方と思想は多くの人々に影響を与えている。

💡 平和への願いを込め、国際問題にも積極的に言及。90歳を超えてもなお、その言葉は人々の心に響く。

それでは、まずは彼女が女優としてのキャリアをスタートさせ、国際的な活躍を始めるまでの軌跡を振り返ってみましょう。

女優としての歩みとフランスへの渡航

岸惠子さんがフランスへ渡る決意をしたきっかけは?

映画監督との出会い

女優として活躍する傍ら、フランスへ渡り、国際的な活動を展開。

激動の時代を生き抜いた彼女の姿を追います。

君の名は』から始まり国際派スターへ、大きく飛躍した大女優・岸惠子

公開日:2016/10/16

君の名は』から始まり国際派スターへ、大きく飛躍した大女優・岸惠子

✅ 岸惠子は、映画『君の名は』でスターダムに駆け上がり、国際派女優としての活躍を遂げました。

✅ 彼女は、『君の名は』の成功をきっかけに、小林正樹や市川崑といった名匠の作品に出演し、日本映画界に貢献しました。

✅ また、フランスのイヴ・シャンピ監督との結婚を機に、海外でも活躍し、日本とフランスを行き来する国際的な活動を行いました。

さらに読む ⇒出典/画像元: https://cinema.ne.jp/article/detail/37923

『君の名は』での大ヒットから、海外進出、結婚と離婚…彼女の人生はまさにドラマですね。

その決断力と行動力に感銘を受けました。

岸惠子さんは1932年生まれの女優・作家です。

高校時代は小説家志望で川端康成を愛読していましたが、映画『美女と野獣』に魅せられて映画に興味を持ち、1951年に松竹に入社し「我が家は楽し」でデビューしました。

1953年から1954年にかけて映画『君の名は』3部作が大ヒットし、主人公のストールの巻き方が「真知子巻き」として流行しました。

1955年には日英合作映画『風は知らない』の主演が決まり、1956年にはフランス映画監督イヴ・シャンピとの日仏合作映画『TyphonsurNagasaki(長崎の台風)』に出演するためにフランスへ渡りました。

1957年、岸惠子さんはイヴ・シャンピさんと結婚し、1963年には娘のデルフィーヌ=麻衣子・シャンピを出産しました。

しかし、結婚生活は18年で終わり、1975年に離婚しました。

岸惠子さんは、戦後を代表する女優であり、フランス人映画監督イヴ・シャンピと結婚、パリに居を構え、フランスと日本をまたにかけて女優活動を行っていました。

娘のデルフィーヌ麻衣子はソルボンヌ大学を卒業後、オーストラリア出身の作曲家と結婚し、子供にも恵まれています。

12歳の時に空襲を経験し、大人の言うことを聞かず防空壕から逃げ出したことで命拾いした経験から、女優として活躍した後、24歳でイヴ・シァンピ監督との出会いをきっかけにフランスへ渡りました。

監督から「あなたは日本だけで留まっていてはもったいない」と言われ、人生における二者択一を迫られた彼女は、「卵を割ろう」と決意し、渡仏を決めたのです

フランスでの生活は、祖国、両親、友人たちへの決別であり、覚悟を持って羽田を飛び立ったことを物語っています。

いやあ、岸惠子さんといえば、やはり『君の名は』ですよ。あの真知子巻きは、本当に流行りましたなあ。時代を象徴する女優さんでした。

恋愛と晩年の活躍

岸惠子さんの波乱万丈な人生、最大の転換期は?

結婚、離婚、フランス移住

岸惠子さんの恋愛遍歴と晩年の執筆活動に焦点を当て、彼女の多面的な魅力を探ります。

岸惠子
岸惠子

✅ 岸恵子は1932年生まれの女優・文筆家で、映画『君の名は』『雪国』『おとうと』など数々の名作に出演しています。

✅ 彼女は横浜市出身で、高校時代に映画『美女と野獣』に魅せられ映画の世界へ。松竹に入社後、鶴田浩二との共演で人気を博し、その後も数々の映画で主演を務めました。

✅ 1955年には東南アジア映画祭で最優秀女優賞を受賞、ハリウッド映画への出演も決まりましたが、制作延期となり、フランス映画『Typhon sur Nagasaki(長崎の台風)』に出演することになりました。

さらに読む ⇒出典/画像元: https://www.wikiwand.com/ja/articles/%E5%B2%B8%E6%81%B5%E5%AD%90

鶴田浩二さんとの関係や、晩年の自立した生き方は、女性としてとても憧れますね。

年齢を重ねても輝き続ける姿は素晴らしいです。

岸惠子さんは恋多き女としても知られており、俳優の鶴田浩二さんとの関係も有名です。

鶴田浩二さんは松竹の独立プロを設立し、岸惠子さんに第一作目のオファーを出しましたが、松竹の反対により実現しませんでした。

その後、岸惠子さんは多くの俳優と浮名を流しましたが、心の穴を埋めることができませんでした。

イヴ・シャンピさんは離婚後、フランスの女優で元歌手であるマリー・デュバールと再婚しました。

マリー・デュバールは1955年のミス・フランスで、1957年にフランス映画「愛と死の舞踏」で主演デビューを果たしており、イヴ・シャンピとは1976年に結婚しました。

岸惠子さんは、1953年から1954年に公開された松竹映画「君の名は」での「真知子巻き」が大流行しました。

また、「わりなき恋」という小説で、70歳を前にした女性と12歳年下の大企業重役との不倫愛を描きました。

晩年は執筆業を中心に活動しており、「徹子の部屋」に出演するなど、その神々しい美しさは衰えることなく、自立した女性として生き生きと暮らしています

90代の女優・岸惠子さんは、エッセイ執筆やトークショーなど精力的に活動し、その生き様は多くの人々を魅了しています。

自伝『卵を割らなければ、オムレツは食べられない』には、女優、国際ジャーナリストとして生きた波乱万丈な人生が綴られています。

幼少期の戦争体験、フランスへの渡航、結婚、離婚など、自身の経験に基づいた自由な生き方は、多くの人に勇気を与えています。

恋多き女性って言葉に惹かれるわね。色々な経験をして、それを糧に生きていく姿は、本当に素敵。私も見習いたいわ。

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