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木内みどりさん、その多才な生涯とは?女優、社会活動家、チベット支援…その足跡を辿る?女優・木内みどりの多面的な顔:舞台から社会活動、そしてチベット

映画デビューから女優、劇団四季、そして社会活動家へ。木内みどりさんの波乱万丈な人生を振り返ります。晩年は、脱原発、核廃絶、チベット支援など、社会問題に積極的に取り組んだ彼女。常識を疑い、自ら行動を起こす生き方は、夫である水野誠一さんにも大きな影響を与えました。その多才な魅力と、69歳で急逝するまで貫いた信念は、今もなお多くの人々の心に響き渡ります。

木内みどりさん、その多才な生涯とは?女優、社会活動家、チベット支援…その足跡を辿る?女優・木内みどりの多面的な顔:舞台から社会活動、そしてチベット

📘 この記事で分かる事!

💡 女優として活躍し、劇団四季での経験も。晩年はベテランとして活躍し、社会問題にも積極的に取り組んだ。

💡 夫である水野誠一さんの政治活動を支え、脱原発、核廃絶、反戦運動など社会活動に尽力した。

💡 チベット文化支援団体を設立し、坂本龍一さんらと共に支援活動も行った。その知られざる横顔に迫ります。

さて、彼女の多岐にわたる活動について、今回はその魅力と功績を3つのポイントに絞ってご紹介していきます。

女優としての歩みと家族

木内みどりさんの夫はどんな人?

実業家・政治家

女優としての歩み、そして家族との関係性について見ていきましょう。

突然亡くなった妻・木内みどりさん夫・水野誠一さんが学んだこと(後編)「あかるい死にかた」の前には「ヴィヴィッドな生き方」があった

公開日:2021/01/17

突然亡くなった妻・木内みどりさん夫・水野誠一さんが学んだこと(後編)「あかるい死にかた」の前には「ヴィヴィッドな生き方」があった

✅ 木内みどりさんは、夫・水野誠一さんの政治活動への参加、特に浜岡原発問題に対する関心を高めるきっかけとなった東日本大震災を機に、脱原発、核廃絶、反戦運動に積極的に参加するようになった。

✅ 「ノックしないドアは開かない」という言葉を信条とし、問題意識をもちながらも行動を起こさないことは何も変わらないと訴え、社会運動への参加を呼びかけた。

✅ 木内みどりさんは夫・水野誠一氏に「常識を疑え」という考え方を与え、原発や葬式など、社会に蔓延する常識にとらわれず、本当に必要なことなのかを見極める大切さを教えてくれた。

さらに読む ⇒–集英社の雑誌のオンラインメディ出典/画像元: https://ourage.jp/life/interview/231738/

木内みどりさんの、常識にとらわれない生き方は素晴らしいですね。

社会問題に対する彼女の行動力、見習うべき点が多いと感じました。

木内みどりさんは、1971年の映画「「されどわれらが日々―」より別れの詩」で映画デビューを果たしました。

その後、劇団四季に入団し、「安ベエの海」など数々のドラマに出演しました。

1988年には実業家・政治家の水野誠一さんと結婚し、一人娘をもうけました。

水野さんは西武百貨店社長、参議院議員などを歴任し、現在は複数の企業の役員を務めています。

木内みどりさんは、晩年はベテラン女優として活躍する傍ら、チベット文化支援団体「ノルブリンカ・ジャパン」を設立し、夫の水野誠一さんとミュージシャンである坂本龍一さんと共に活動を続けていました

また、政治家である山本太郎さんの選挙活動も支援していました。

木内みどりさんは、娘さんが一人いらっしゃいます。

娘さんは一般の仕事をされており、芸能活動はされていません。

初任給でガラスのおちょこをプレゼントしてくれたというエピソードが、木内みどりさん自身のトーク番組で語られています。

木内みどりさんのご活躍、素晴らしいですね。あの時代には、女優として、女性として、本当に珍しい生き方だったのでしょう。

社会活動への情熱

木内みどりさんの活動に夫・水野誠一さんはどう影響を受けた?

「否常識のススメ」

東日本大震災を機に、社会問題への意識を深めた木内さんの活動について見ていきます。

脱原発」のため、私がやれることは何でもやる│木内みどりさんに聞いた(その1)
脱原発」のため、私がやれることは何でもやる│木内みどりさんに聞いた(その1)

✅ 木内みどりは、福島第一原発事故をきっかけに、原発の危険性について深く考え始めました。事故後、小出裕章さんの言葉に衝撃を受け、「私にも責任がある」と自覚したことが、脱原発活動への強い意志につながったと語っています。

✅ きっかけは、夫の水野誠一氏が2001年の静岡県知事選に出馬したことです。水野氏は、浜岡原発の危険性に警鐘を鳴らしながら選挙戦を戦いましたが、結果は落選。その経験から、木内さんは政治や選挙に対する無関心の怖さを痛感し、政治への関心が薄れていったと述べています。

✅ 福島第一原発事故後、再び原発の問題に向き合った木内さんは、事故の深刻さを改めて認識し、小出裕章さんの言葉に強い影響を受けました。そして、自身の責任を自覚し、脱原発活動への強い意志を持つに至ったという経緯を語っています。

さらに読む ⇒マガジン出典/画像元: https://www.magazine9.jp/article/konohito/13066/

水野誠一さんの落選経験から、政治への無関心を危惧されていたんですね。

そこからご自身も活動を始めたという流れも、非常に興味深いです。

木内みどりさんは、夫の水野誠一さんが参議院議員時代から訴えていた浜岡原発の危険性に対し、東日本大震災で初めてその深刻さを理解し、脱原発、核廃絶、反戦などの社会活動に積極的に参加するようになりました。

木内さんは「ノックしないドアは開かない」という言葉を信条とし、社会問題に対して積極的に行動を起こすことの大切さを訴えていました。

また、常識にとらわれず、疑問に思ったら自ら行動を起こすという姿勢で、夫の水野さんにも大きな影響を与えていました。

特に、常識を疑うことの重要性を説き、墓や葬式も必要ないという考えに至りました。

木内さんの生き方は、夫の水野さんの生き方にも大きな影響を与え、彼の仕事や考え方にも「否常識のススメ」というモットーが根付きました。

社会問題に対する彼女の積極的な姿勢は、今の私たちにも大きな影響を与えますね。常識を疑うことの大切さを改めて感じました。

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女優・木内みどりさん、チベット支援に尽力。ダライ・ラマ法王との出会い、坂本龍一氏との活動。69歳で急逝も、その生き方は多くの人々に影響を与えた。