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有馬稲子の激動の人生とは?結婚と離婚、そして女優としての活躍を紐解く?昭和を駆け抜けた女優 有馬稲子の波乱万丈な人生

昭和を彩った女優、有馬稲子の波乱万丈な人生に迫る。銀幕スター萬屋錦之介との華やかな結婚生活、そして離婚。実業家との再婚も破綻し、借金も背負う。さらに、市川崑監督との不倫と堕胎を告白。激動の人生を、『私の履歴書』で赤裸々に語る。華やかさの裏に隠された、知られざる苦悩と葛藤とは。

有馬稲子の激動の人生とは?結婚と離婚、そして女優としての活躍を紐解く?昭和を駆け抜けた女優 有馬稲子の波乱万丈な人生

📘 この記事で分かる事!

💡 有馬稲子は、昭和を代表する女優であり、2度の結婚と離婚を経験。萬屋錦之介、河村三郎との結婚生活に焦点を当てます。

💡 女優業と家事の両立に苦悩し、舞台女優として活躍。結婚生活と仕事の両立の難しさ、葛藤に迫ります。

💡 市川崑監督との不倫と堕胎を告白。隠された真実、女性としての生き方、そしてその後の彼女に焦点をあてます。

それでは、まず有馬稲子さんの最初の結婚生活について見ていきましょう。

華麗なる結婚と悲劇の離婚

有馬稲子さんの最初の結婚はどんなものでしたか?

盛大な結婚式の後、3年で離婚

萬屋錦之介さんとの結婚は、華々しいものでしたが、同時に、様々な困難が待ち受けていたようです。

有馬稲子の元夫は萬屋錦之介!離婚理由は?
有馬稲子の元夫は萬屋錦之介!離婚理由は?

✅ 有馬稲子さんは、1961年に歌舞伎役者の萬屋錦之介さんと結婚しましたが、梨園の妻として家事労働に追われ、結婚生活は長くは続きませんでした。

✅ 特に、萬屋錦之介さんは多忙で、毎日スタッフを連れて帰り、有馬稲子さんは食事の準備や世話に追われました。

✅ 結婚から2年後に舞台「浪花の恋の物語」に出演したことをきっかけに、女優業に復帰し、舞台女優として多忙になったため、1965年に萬屋錦之介さんと離婚しました。

さらに読む ⇒こいもうさぎのブログ出典/画像元: https://koimousagi.com/36105.html

結婚生活の裏には、家事と仕事の両立という大きな課題があったことがわかります。

当時の女性を取り巻く環境も垣間見えますね。

有馬稲子さんは、昭和を代表する女優として活躍し、2度の結婚と離婚を経験しました。

最初の夫は、昭和を代表する銀幕スターの萬屋錦之介さんでした。

二人は映画雑誌の対談で知り合い、1961年に結婚しました。

結婚式は銀座東急ホテルで行われ、1000人以上の招待客を迎え、芸能界史上最大の盛大な式となりました

しかし、結婚生活はわずか3年7ヶ月で破綻し、離婚に至りました。

離婚理由としては、萬屋錦之介さんの仕事が忙しく、常に多くの客人が家に訪れ、有馬稲子さんは宴会場の女将のような状態だったことが挙げられます。

さらに、嫁姑問題もあったようです。

有馬稲子さんと萬屋錦之介さんの間には子供はいませんでした。

これは、有馬稲子さんが結婚前に映画監督との間にできた子供を中絶したため、子供ができない体になったためだとされています。

いやあ、萬屋錦之介さんの奥様だったとはねえ。銀座の結婚式は凄かったと記憶しておりますよ。まさか、こんなに早く離婚するとは思いませんでしたよ。

波乱の2度目の結婚と破産

有馬稲子さんの2度目の結婚はなぜ破綻したのか?

多忙と事業失敗によるすれ違い

二度目の結婚は、実業家との結婚でしたが、また違った苦労があったようですね。

有馬稲子
有馬稲子

✅ 有馬稲子は、宝塚歌劇団出身の女優で、宝塚時代には二代目有馬稲子として主演娘役を務め、映画にも出演しました。

✅ その後、東宝に移籍し、映画女優として活躍、文芸プロダクションにんじんくらぶを設立し、積極的に映画製作にも関わるなど、多面的で活発な活動を行いました。

✅ 1961年に俳優の中村錦之助と結婚し、その後は映画やテレビドラマを中心に活躍しています。

さらに読む ⇒出典/画像元: https://www.wikiwand.com/ja/articles/%E6%9C%89%E9%A6%AC%E7%A8%B2%E5%AD%90

有馬さんの多忙さが、夫婦のすれ違いを生み、最終的には破産という事態にまで発展したのですね。

大変な状況だったと思います。

有馬稲子さんの2度目の結婚は、実業家の河村三郎さんとのものでした。

河村さんは、有馬さんのチケットを買い、豪華なプレゼントをするなど、熱心にアプローチし、1969年に結婚に至りました。

しかし、有馬さんの多忙さから夫婦のすれ違いは深刻化し、河村さんの事業が傾き始めた頃には、酒乱になるなど、夫婦関係は悪化の一途を辿りました

1980年、有馬さんが舞台『はなれ瞽女おりん』の稽古を開始した頃には、河村さんの会社は倒産し、有馬さんは多額の借金を背負うことになりました。

離婚の話し合いは泥沼化し、有馬さんが莫大な借金を肩代わりすることで、1983年に離婚が成立しました。

有馬稲子さんのような、多才な女性でも、経済的な問題に巻き込まれることがあるんですね。時代の流れを感じますね。

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女優・有馬稲子の波乱万丈な人生。萬屋錦之介との結婚、多忙な家事、そして離婚。さらに、市川崑監督との不倫と堕胎を告白。激動の人生を赤裸々に語る。