瀬戸内寂聴さんの世界と寂庵とは?〜秘書・瀬尾まなほさんと共に歩んだ軌跡を探る〜?瀬戸内寂聴と寂庵、秘書・瀬尾まなほとの絆、晩年の姿。
瀬戸内寂聴さんの命日に、古都・京都の「曼荼羅山寂庵」が開門。風情ある7LDKの邸宅、心安らぐ庭園を巡り、寂聴さんの息吹を感じてください。秘書・瀬尾まなほさんが語る、晩年の日々や着物への想い。寂聴さんの言葉と、彼女が大切にした日本の文化と伝統。アクセス情報やイベント情報も。寂聴さんの世界を体感できる特別な一日。
💡 瀬戸内寂聴が開いた京都の寺院「寂庵」を紹介。開門情報やアクセス方法を解説。
💡 秘書・瀬尾まなほさんが語る、瀬戸内寂聴さんとの深い絆。師弟を超えた関係性とは。
💡 晩年の瀬戸内寂聴さんのエッセイと、瀬尾さんとの関係。その最期の言葉とは。
それでは、まず寂庵について詳しく見ていきましょう。
寂庵開門のお知らせと寂庵紹介
瀬戸内寂聴さんの命日には、寂庵が公開されるって本当?
本当です
瀬戸内寂聴さんの生き様が感じられる寂庵をご紹介します。

✅ 曼陀羅山 寂庵は、瀬戸内寂聴が開いている寺院です。
✅ 御朱印があり、拝観料は無料です。
✅ 京都府京都市右京区嵯峨鳥居本仏餉田町7−1に位置し、電話は075-861-6770、ウェブサイトはhttps://www.jakuan.jpです。
さらに読む ⇒みんなで作る神社お寺&御朱印ガイドおまいり出典/画像元: https://omairi.club/spots/93377寂庵は、瀬戸内寂聴さんの心の拠り所であり、多くの人が集まる場所だったのですね。
通常は非公開とのことですが、開門日にはぜひ訪れてみたいです。
瀬戸内寂聴さんの命日である11月9日、京都市右京区嵯峨野にある「曼荼羅山寂庵」は、12時~16時開門し、誰でもお詣りできます。
寂庵は、1974年に開かれた瀬戸内寂聴さんの私邸兼寺院であり、広さは500坪(テニスコート約6面分)あり、本宅である自宅は200坪です。
7LDKの豪華な日本家屋で、大きな玄関、14畳の和室、囲炉裏の部屋などがあり、2億円ほどの価値があるとされています。
寂庵は、瀬戸内寂聴さんの活動拠点であり、多くの人々にとって心の拠り所となっていた場所です。
寂庵以外にも、京都御所前に「羅紗庵」と呼ばれる別宅がありました。
これは、故佐藤長京大名誉教授の自宅でしたが、瀬戸内寂聴さんに譲り受けられました。
築後100年の羅紗庵を瀬戸内寂聴さんは2000万円かけて改修し、「句会」や「写経の会」などを開く「文化サロン」としてオープンさせました。
寂庵では、定期的に「写経の会」や「法話の会」が開催され、全国から多くの人が集まりました。
寂庵は、通常非公開で、拝観料金も公開されていません。
寂庵の名称は、寂聴の師である今東光大僧正が名付けました。
寂聴は中尊寺で得度し、その後比叡山で60日間の行を経て寂庵を開きました。
寂庵には本尊の聖観音像が安置されています。
寂庵では毎月1日に写経の会、第3日曜日に法話の会が開催され、毎月寂庵だよりが刊行されています。
写経の会は予約不要ですが、法話の会は往復はがきによる事前申し込みが必要です。
寂庵からのおすすめ散策ルートは、祇王寺、二尊院、常寂光寺、野宮神社、竹林の道を経由し、天龍寺に向かうルートです。
約30分の散策で嵯峨の自然を感じながら世界遺産である天龍寺へ行くことができ、京都観光を楽しむことができます。
素晴らしいですね。往年の作家がおられた場所、興味深いです。一度は行ってみたいものです。
秘書・瀬尾まなほさんインタビュー
寂聴さんと瀬尾さんの着物に対する考え方の違いは?
洋装派と和装派
瀬尾まなほさんの貴重なインタビューを通して、先生との関係性や、着物への想いについて紐解いていきましょう。

✅ 瀬尾さんは、瀬戸内寂聴さんと過ごす中で、瀬戸内さんから大きな愛情とサポートを受けてきたことを語っています。
✅ 瀬戸内さんは、瀬尾さんのことを常に気遣い、疲れているときは休ませ、好物のエビを見つけると率先して勧めるなど、細やかな愛情を示していました。
✅ 瀬尾さんは、瀬戸内さんから受けた愛情があったからこそ、「好き」という気持ちを持ち続けられたと述べており、瀬戸内さんとの関係は単なる師弟関係を超えた、家族のような深い絆で結ばれていたことを示しています。
さらに読む ⇒京都きもの市場【日本最大級の着物通販サイト】出典/画像元: https://www.kimonoichiba.com/media/column/814/秘書の方との深い絆、素敵ですね。
着物に対する価値観の違いも興味深いです。
寂聴先生の作品をまた読み返してみたくなりました。
瀬戸内寂聴さんの秘書として10年間過ごした瀬尾まなほさんは、大学卒業後、寂聴さんのもとで働き始めました。
当初は出版関係の事務を担当していましたが、ベテランスタッフの退職により、25歳の若さで寂聴さんの秘書を引き継ぐことになりました。
不安を抱えながらも、父の言葉に背中を押され、寂聴さんと共に過ごすことを決意した瀬尾さん。
緊張と力みの中で日々を送っていましたが、寂聴さんと距離が縮まるにつれ、先生への愛情が深まっていきました。
瀬尾さんは、自身は洋装が好きで着物に抵抗があることを明かしました。
しかし、子供の七五三には着物姿を見せたいと考えているとのことです。
また、寂聴さんは出家前に着物に目がないほど好きで、原稿料のほとんどを着物に使っていたそうです。
寂聴さんの作品には着物に関する描写が多く見られ、その描写から人物像や季節感などが伝わってくることから、寂聴さんの着物への深い愛情を感じ取ることができます。
インタビューを通して、寂聴さんと瀬尾さんの着物に対する考え方の違いや、寂聴さんが着物を通して表現していた世界観が浮き彫りになりました。
寂聴さんの言葉や思いを伝え続ける瀬尾さんの活動は、寂聴さんが大切にしていた日本の文化や伝統を継承していくという点で、大きな意義を持つと言えるでしょう。
秘書の方の視点から見た先生の姿、とても興味深いですね。着物を通した表現にも、奥深さを感じます。
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瀬戸内寂聴さんの最晩年と秘書・瀬尾まなほさんの絆。99歳まで執筆を続けた寂聴さんの集大成エッセイと、最後の言葉「ありがとう」に込められた思いとは。