ピーコさんを振り返る!波乱万丈の人生とは?「おすぎとピーコ」時代から晩年まで
毒舌ファッションチェックで一世を風靡したピーコ。双子の弟おすぎとのタレント活動から、ファッション評論家としての活躍、そして病との闘いまで。波乱万丈な人生は、常に明るく周囲を笑顔に。晩年は弟の介護に尽力し、その生き方は多くの人に感動を与えました。唯一無二のキャラクターと、その生き様は、今もなお多くの人に語り継がれています。
💡 双子の弟おすぎさんと共に活躍した、ファッション評論家。
💡 1989年に悪性黒色腫を発症、闘病生活を送る。
💡 晩年は、おすぎさんの介護を行い、2024年9月に死去。
それでは、まずはピーコさんの生い立ちから見ていきましょう。
ピーコさんの生い立ち
ピーコさんはどんな家庭で育ちましたか?
鉄工所経営の家庭
ピーコさんの幼少期から、ファッションの世界へ足を踏み入れるまでの道のりをご紹介いたします。

✅ ピーコさんは、高校卒業後はお父さんの病気により大学進学を断念し、トヨタ自動車に就職しましたが、半年で体調を崩して退職しました。
✅ その後、サンヨーレインコートに営業として就職し、4年間勤務した後、洋服の勉強を本格的にするため文化服装学院に入学しました。
✅ ピーコさんの芸名「ピーコ」は、サンヨーレインコート勤務時代に倉庫で作業中にうるさいことから「ピーピーうるさいぞピーコ!!」と呼ばれたことが由来です。
さらに読む ⇒こいもうさぎのブログ出典/画像元: https://koimousagi.com/62306.htmlトヨタ自動車を退職後、アパレル会社に転職し、ファッションへの興味を深められたんですね。
ピーコ(本名・杉浦克昭)さんは1945年1月18日、神奈川県横浜市で生まれました。
6人兄弟姉妹の次男で、双子の弟はタレントのおすぎさんです。
両親は鉄工所を営んでおり、ピーコさんは大切に育てられました。
高校卒業後は、父親の病気のため大学進学を断念し、トヨタ自動車に就職しましたが、半年で体調を崩し退職しました。
その後、19歳の時にアパレル会社「サンヨーレインコート」に転職し、営業の仕事を担当しました。
そこでファッションへの情熱が芽生え、4年間の経験を経て文化服装学院に進学。
24歳で入学し、素材やデザインについて学びました。
いやあ、ご両親が鉄工所とは意外でしたね。苦労もあったでしょうが、ピーコさんの才能が開花して本当に良かった。
『おすぎとピーコ』時代
ピーコさんはどんな個性で人気を集めましたか?
同性愛者公言と独特キャラ
おすぎさんとピーコさん、あの頃は本当にテレビで見ない日がなかったですよね。
懐かしい。
公開日:2024/11/26

✅ 服飾評論家としても活躍したタレントのピーコさんが、9月に敗血症による多臓器不全で亡くなりました。79歳でした。
✅ ピーコさんは数年前から認知症を患い、2021年に個人事務所を閉鎖し、2023年6月からは施設で療養していました。
✅ ピーコさんは双子の弟である映画評論家のおすぎさんとともに「おすぎとピーコ」として活動し、フジテレビの情報番組「とくダネ!」の服飾評論家やコメンテーターとして人気を博しました。
さらに読む ⇒プライムオンライン|フジテレビ系局のニュースサイト出典/画像元: https://www.fnn.jp/articles/-/775239「おすぎとピーコ」としての活躍は、まさに時代の象徴でしたね。
辛口ファッションチェックも印象的でした。
1975年、ピーコさんは弟のおすぎさんと共に『おすぎとピーコ』としてタレント活動をスタートさせました。
同性愛者であることを公言し、独特のキャラクターで多くの人々を魅了しました。
特に、80年代に情報番組で放送された「辛口ピーコのファッションチェック」は人気コーナーとなり、TBS『3時にあいましょう』などでレギュラー出演を果たしました。
ピーコさんは、遅刻嫌いで知られ、仕事先への移動は車ではなく地下鉄などの交通機関を利用していました。
私も辛口ファッションチェック、よく見てましたよ!ピーコさんの言葉は的確で面白かった。今思えば、すごい時代だったなー。
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個性的なファッションと毒舌で一世を風靡したピーコ。ものまね、再ブレイク、晩年は介護…波乱万丈な人生と、その「らしさ」に迫る。