横井庄一さんのジャングル生活とは?28年間の潜伏生活を通して見えたものとは?横井庄一さんのグアムジャングル生活と帰国後の苦悩
28年間グアムのジャングルに潜伏した横井庄一。その壮絶なサバイバルの裏側を、公開されたカルテから紐解く。極限状態での精神状態、社会復帰への葛藤、そして生き抜くための知恵。過酷な生活資料とカルテが映し出す、戦争の傷跡と人間の強さ。横井庄一の物語は、現代社会に平和の尊さを問いかける。
💡 横井庄一さんは、太平洋戦争終結後もグアム島のジャングルに28年間潜伏し、1972年に発見されました。
💡 横井さんの発見時の状況や、帰国後の社会適応への苦悩、そして医師団の観察記録について解説します。
💡 横井さんがジャングル生活で使用していた道具から、彼のサバイバル術と戦争の記憶を考察します。
それでは、まず横井庄一さんのジャングル生活について、その概要と、彼が私たちに何を伝えたかったのかについて見ていきましょう。
横井庄一さんのジャングル生活
グアムのジャングルで28年間潜伏した男、横井庄一。彼の生還はどんな物語を語る?
戦争の残酷さと人間の強さ
はじめに、横井庄一さんの発見時について、新たな証言と共にご紹介しましょう。
公開日:2015/10/31

✅ 横井庄一さんがグアム島で発見された際の状況について、発見者であるマニュエル・デグラシア氏が新たな証言をした。
✅ デグラシア氏によると、横井さんは発見された際に体力的に衰弱しており、抵抗はほとんどなかった。
✅ また、デグラシア氏の義兄は横井さんを殴り、射殺しようとした。横井さんの手記にはそのような記述はない。
さらに読む ⇒アエラドット時代の主役たちが結集。一捻りした独自記事を提供出典/画像元: https://dot.asahi.com/articles/-/94956?page=1発見時の状況からは、横井さんの置かれた過酷な状況が伺えます。
抵抗する力も残っていなかったという証言からは、28年間もの潜伏生活が心身に与えた影響を想像します。
横井庄一さんは、太平洋戦争中にグアム島に配属され、アメリカ軍の上陸後もジャングルで生き延び、終戦後も28年間潜伏していた人物です。
1944年8月に戦死とみなされたものの、ジャングルで地下壕を作り、自給自足で生活を続けました。
戦友と別れ、孤独な8年間を過ごした後、1972年に住民に見つかり保護され、日本に帰国しました。
28年間のジャングル生活は、戦争の残酷さと人間精神の強さを物語るものであり、横井さんの生還は世界に衝撃を与えました。
現在、横井さんが過ごしたジャングルの一部は観光地として整備され、彼の生きた証を多くの人が訪れています。
グアムを訪れる際には、横井庄一さんの物語に触れ、戦争の記憶と平和の大切さを改めて考える機会にしてみてください。
28年間もジャングルに潜伏していたという事実に、ただただ驚くばかりです。戦争の悲惨さを改めて感じますね。
帰国後の横井さんの苦悩
横井庄一さんは帰国後、どんな困難に直面したのでしょうか?
社会への適応に苦労した
次に、横井庄一さんの帰国後の苦悩について見ていきましょう。

✅ 1972年2月2日に帰国した横井庄一さんの帰国50年を記念し、CBCテレビは横井さんが帰国直後に検査入院した国立病院に保管されていたカルテを公開するドキュメンタリー番組を制作しました。
✅ 番組では、横井さんのカルテに記載された「グアムの戦い」の戦況や潜伏28年の理由、過酷なジャングル生活を乗り越えられた医師団の分析などが紹介され、戦争の愚かさ、平和の尊さを考える内容となっています。
✅ 横井さんの妻・美保子さんの協力を得て実現した今回の番組は、戦争を知らない世代にも、戦争の悲惨さを伝えることを目的としています。
さらに読む ⇒中日新聞出典/画像元: https://www.chunichi.co.jp/article/410349帰国後のカルテからは、横井さんが社会との隔たりに苦しみ、適応に苦労した様子が読み取れます。
帰る場所がないと不安を口にする姿は胸が締め付けられます。
1972年2月2日にグアム島のジャングルから帰国した横井庄一さんは、国立東京第一病院に入院しました。
カルテには、横井さんの身体データだけでなく、医師団が84日間の入院中に観察した様子や会話記録が詳細に記されています。
カルテから、横井さんはジャングル28年の生活で社会との乖離が生じており、帰国後の生活に適応するのに苦労していた様子が伺えます。
例えば、横井さんは入院後も夢を見ないことや、興奮状態が続き、会話が止まらないなど、精神的な不安定さが見られました。
また、時間の感覚が曖昧で、入浴の日付を間違えたり、当時の日付を正しく認識できなかったりする様子が記録されています。
さらに、横井さんは手紙の整理に没頭する一方で、周りの状況には無関心な様子が見られ、社会とのコミュニケーションに困難を抱えていたことが分かります。
カルテには、横井さんが帰国後に抱えていた不安や希望についても記録されています。
彼は「帰るところがない」「身寄りがない」「女(嫁のこと)」と不安を訴えつつも、「天皇陛下に靖国神社に…」と希望を語っています。
これらの記録から、横井さんが当時の社会に適応するため、様々な葛藤を抱えていたことがわかります。
社会との乖離、精神的な不安定さ…想像を絶する苦悩があったのでしょう。当時の状況を知ることで、横井さんの置かれた状況により深く共感できます。
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28年間のジャングル生活から帰還した横井庄一。公開されたカルテから、医師団が彼の精神状態やグアムでの生活を徹底調査。過酷な体験と、その後の社会適応への葛藤が明らかに。