トモエ学園とは?自由な教育と思想を受け継ぐ学び舎の軌跡を徹底解説!黒柳徹子さんの母校「トモエ学園」の教育
自由な学びを育んだトモエ学園。黒柳徹子さんの自伝『窓ぎわのトットちゃん』で有名になり、ユニークな教育で子供たちの個性と創造性を育みました。電車が教室、自由な授業、海と山の食材が入ったお弁当…まるで冒険のような学び舎は、現代のオルタナティブ教育にも影響を与えています。自由が丘の地名の由来にもなった、懐かしくも新しい学びのカタチを紐解きます。
💡 トモエ学園は、自由な校風と個性的な教育で知られ、黒柳徹子さんなど多くの著名人を輩出しました。
💡 小林宗作校長による子どもの自主性を尊重する教育や、リトミック教育が実践されました。
💡 電車を教室として利用するなど、ユニークな教育スタイルも特徴的でした。
それでは、トモエ学園の魅力について、一つずつ紐解いていきましょう。
トモエ学園の創立と教育理念
トモエ学園は何年に創立され、誰が設立したのですか?
1928年、手塚岸衛
トモエ学園は、小林宗作校長が、子どもの個性を尊重する自由な教育を実践した場所です。

✅ 群馬県東吾妻町で、戦前・戦時期にユニークな教育を実践した「トモエ学園」の校長を務めた小林宗作の業績を広く伝えようという顕彰会が発足した。
✅ トモエ学園は、子どもの人格尊重、自主性や創造性を育む教育を行い、俳優の黒柳徹子さんら多くの人材を輩出した。
✅ 小林は欧州留学中に音楽を取り入れた教育法「リトミック」を学び、日本へ紹介したが、知名度は低く、出身地である東吾妻町でも同様であったため、顕彰会が設立された。
さらに読む ⇒東京新聞出典/画像元: https://www.tokyo-np.co.jp/article/342274小林宗作校長の教育理念は、子供たちの自己肯定感を育み、自発的な学びを促すものでした。
リトミックを取り入れた教育も、創造性を育む上で大きな役割を果たしたと考えられます。
1928年、自由が丘学園として創立されたトモエ学園は、自由教育を提唱する手塚岸衛によって設立されました。
しかし、手塚岸衛の死去により、学園は経営難に陥り、1937年に小林宗作が小学校と幼稚園を引き継ぎ、トモエ学園と改称しました。
小林宗作は、子どもたちの自由な表現と創造性を育むことを教育理念とし、リトミック教育を取り入れた独自の教育を行いました。
この教育理念は、黒柳徹子さんの自伝『窓ぎわのトットちゃん』で広く知られるようになり、現代の発達障害教育に通じるものとして注目されています。
いやあ、素晴らしいですね。子供たちの個性を尊重し、自由な発想を育む教育というのは、今の時代にも必要なものだと思いますよ。
トモエ学園のユニークな教育スタイル
トモエ学園はどんな学びの場だった?
自由で楽しい学びの場
トモエ学園では、ユニークな教育スタイルで子供たちの興味を引く工夫が凝らされていました。
公開日:2023/12/07

✅ トモエ学園は電車が教室として使われており、座席が決められていないので生徒は好きな席を選べます。また、図書室も電車で、自由に本を選んで借りることができました。
✅ 授業の時間割がなく、生徒は好きな学科を自由に選んで学習することができました。分からないところは先生に個別に質問し、納得するまで教えてもらうので、理解力も深まります。
✅ お弁当には「海のもの」と「山のもの」を入れるというルールがあり、これは「無理をしないこと」と「ぜいたくをしないこと」を大切にする校長先生の考えに基づいています。
さらに読む ⇒気になるあれこれ出典/画像元: https://antenne.jp/tomoegakuen-features-7662電車を教室にするという発想は、子供たちの冒険心をくすぐり、学びをより楽しいものにしたでしょう。
お弁当のルールも、食育において大切な要素を含んでいますね。
トモエ学園は、電車が教室で座席も自由、授業の時間割もなく好きなものを選んで学べるという、自由で楽しい学びの場を提供していました。
生徒は、まるで旅をしているような気分で毎日を過ごしていたようです。
また、お弁当のおかずに「海のもの」と「山のもの」を両方入れるというユニークなルールがありました。
これは、無理をせず、ぜいたくをしないという校長先生の考えに基づいたものでした。
校長先生は、生徒がお弁当を食べる時間を大切に考えており、全員が講堂に集まって一緒に食べるようにしていました。
電車が教室だなんて、本当にユニーク!子供たちがわくわくしながら学べる環境だったんでしょうね。お弁当のルールも、食の大切さを教えてくれそうです。
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黒柳徹子の母校、トモエ学園。池内淳子も学んだ自由な校風と、その教育理念。校舎は失われても、精神はオルタナティブ教育に受け継がれる。