沢田研二、吉川晃司、後楽園球場…時代を彩ったスターと音楽の軌跡とは?ジュリー、吉川晃司、後楽園球場の歴史を紐解く
80年代、渡辺プロの危機を救ったのは、水球選手から転身した吉川晃司! 沢田研二マネジメントで培われたノウハウで、屋上バック転パフォーマンスと共に一躍スターダムへ。 時代を遡れば、沢田研二主演の傑作映画『太陽を盗んだ男』を再評価!斬新な映像表現と当時の空気感が今も新鮮。 そして、ザ・タイガースが日本人初の単独スタジアムコンサートを開催した、熱きロックンロールのルーツを辿る。
時代を映す映画:『太陽を盗んだ男』
沢田研二主演『太陽を盗んだ男』、近年評価が上がった理由は?
斬新な映像表現と時代描写が高評価。
1979年公開の映画『太陽を盗んだ男』。
沢田研二さんの異質な魅力が光る本作を、当時の時代背景と共に振り返ります。
公開日:2025/05/12

✅ 映画「太陽を盗んだ男」を鑑賞し、劇中で使われたプロ野球の試合がいつのものか特定しようと試みた。
✅ 巨人対広島戦の試合特定には至らなかったものの、巨人対大洋戦は1978年5月30日の試合と判明し、王貞治のホームランシーンが使用されていた。
✅ 映画はカルト映画から評価を高め、菅原文太も出演しており、オープニングとエンドクレジットでの沢田研二と菅原文太の順番に言及している。
さらに読む ⇒散髪は年1回。出典/画像元: https://baribon25.hatenablog.com/entry/2025/05/13/044445映画の斬新な映像表現や、沢田研二さんの怪演、当時の街並み描写など、見どころ満載ですね。
カルト映画から評価が高まったのも納得です。
時代は遡り、1979年に公開された映画『太陽を盗んだ男』は、原子爆弾を製造した理科教師・城戸(沢田研二)が繰り広げる、目的も思想も不明な犯行を描いています。
筆者は、この作品をPrime Videoで再視聴し、その魅力を改めて感じました。
劇中で城戸が要求するプロ野球の試合は、巨人対大洋戦(1978年5月30日)であることが判明し、王貞治のホームランシーンが使用されていることも確認されました。
映画の斬新な映像表現や当時の街並み描写は、今見ても新鮮で、多くの興味深い点があります。
当初カルト映画扱いでしたが、近年評価が高まり、2018年には「キネマ旬報」で1970年代日本映画のベスト1位に選ばれています。
菅原文太も出演しており、オープニングとエンドクレジットでの主演者の表記の違いも注目すべき点です。
『太陽を盗んだ男』、Prime Videoで見返してみようかな。沢田研二の狂気がたまらないんだよな。当時の雰囲気を味わえるのもいいね。
ロックンロールの聖地:後楽園球場
日本人初スタジアムコンサート、一体どこで開催?
後楽園球場でザ・タイガースが開催!
日本の音楽史において、後楽園球場は特別な場所です。
数々の伝説的なコンサートが行われた後楽園球場の歴史を紐解きます。

✅ 東京ドームは、音楽ライブ会場としても重要な存在であり、後楽園球場時代から球場コンサートの歴史を牽引してきた。
✅ 後楽園ではキャンディーズやピンク・レディー、アリスの解散コンサートなどが行われ、閉園前にはマドンナやマイケル・ジャクソンも公演を行った。
✅ 東京ドームはローリング・ストーンズの10公演を始め、様々なミュージシャンの公演が行われ、「日本最大級のコンサートホール」としての地位を確立した。
さらに読む ⇒Number Web - ナンバー出典/画像元: https://number.bunshun.jp/articles/-/852248?page=1ザ・タイガースが日本人アーティスト初の単独コンサートを行った場所なのですね。
後楽園球場が、日本のスタジアムコンサートの先駆けとなったのは、非常に興味深いです。
東京ドームは、数々のロックンロールの舞台として知られていますが、そのルーツは後楽園球場にあります。
1968年8月12日、沢田研二率いるザ・タイガースは、後楽園球場で日本人アーティスト初の単独コンサートを開催し、日本のスタジアムコンサートの先駆けとなりました。
このコンサートは、ビートルズがシェイ・スタジアムで行ったライブに影響を受けて企画され、二塁ベース付近にステージが設置されました。
しかし、当時のコンサートは、内野席のみを使用し、現在の球場コンサートのようにアリーナに観客を入れる形ではありませんでした。
後楽園球場の映像からは、内野にも天然芝が敷かれていたことなど、当時の球場の様子が確認できます。
後楽園球場は、思い出の場所じゃよ。ザ・タイガースのコンサートも見たかったなぁ。あの頃は、まだ内野席しかなかったんじゃな。
スタジアムコンサートの進化
球場コンサートの「単独公演」が重要な理由は?
現在の球場の形態に近かったから。
後楽園球場から東京ドームへ。
スタジアムコンサートはどのように進化してきたのでしょうか。
その軌跡を辿ります。

✅ 後楽園球場は、東京ドームの前身で、野球場としてだけでなく、1968年のザ・タイガースを皮切りに、数々の音楽コンサートの会場としても利用された。
✅ 1971年のグランド・ファンク・レイルロードのコンサートでは、大雨、雷鳴、稲妻という劇的な自然現象が重なり、伝説的なコンサートとなった。
✅ 1978年のキャンディーズ解散コンサートでは、5万5000人を動員し、アリーナ席を設けるなど大規模なコンサートが行われ、閉場間際にはマイケル・ジャクソンも公演を行った。
さらに読む ⇒ ECナビ出典/画像元: https://ecnavi.jp/mainichi_news/article/175099e8795e3085f21e8444a89abb65/1978年のキャンディーズのコンサートや、人工芝の導入など、興味深いエピソードが盛りだくさんですね。
球場コンサートの進化がよくわかります。
球場コンサート自体は、ザ・タイガースが西宮球場でも開催したり、1951年には美空ひばりが大阪難波スタジアムで出演していたりと、この時が初めてではありません。
しかし、単独公演という点が重要です。
現在の球場コンサートの形態に近いものは、1978年のキャンディーズのコンサートで、外野のフィールドにステージを設営し、アリーナに観客を入れる形で行われました。
これは、1976年にイベントに使い勝手の良い人工芝が敷かれたことと関係があると考えられます。
キャンディーズのコンサートは、すごい人だったんだろうな。人工芝が敷かれたのも、大きな転換点だったんだね。
本日は、沢田研二さん、吉川晃司さん、後楽園球場を中心とした日本の音楽史を振り返りました。
それぞれの時代を彩ったスターたちの活躍、そして、日本の音楽シーンの変遷を深く知ることができました。
💡 沢田研二と吉川晃司のマネジメント、デビュー秘話など、時代を彩ったスターたちの軌跡を辿りました。
💡 映画『太陽を盗んだ男』を通して、沢田研二の異質な魅力と、当時の社会背景を考察しました。
💡 後楽園球場のコンサート史を振り返り、日本のスタジアムコンサートの歴史と進化を紐解きました。