乙羽信子の軌跡:宝塚から映画、そして永遠の輝き(?マーク)乙羽信子:宝塚歌劇団出身の女優の生涯
宝塚歌劇団のトップ娘役から映画界へ、そして『おしん』で国民的俳優となった乙羽信子。新藤兼人監督との出会いが生み出した数々の名作、セリフを使わず表現した『裸の島』、社会派作品での熱演…彼女の波乱万丈な生涯を振り返る。咲妃みゆが演じる乙羽信子役も必見。昭和を彩った名女優の軌跡を、今、再び。
💡 宝塚歌劇団のスターとして活躍し、戦後の宝塚黄金期を支えた女優、乙羽信子。
💡 映画界に進出し、新藤兼人監督との出会いを通じて、数々の名作に出演し、演技派女優として地位を確立。
💡 晩年にはNHK朝の連続テレビ小説「おしん」に出演し、幅広い世代に感動を与えた乙羽信子の生涯。
それでは、乙羽信子さんの華麗なる軌跡を、宝塚時代から晩年の活躍まで、詳しく見ていきましょう。
宝塚から映画界へ
乙羽信子はどんな女優?
演技派女優
宝塚歌劇団から映画界へ転身、数々の名作に出演し、演技派女優として確固たる地位を築いた乙羽信子。
その鮮烈なキャリアを紐解きます。

✅ 乙羽信子は宝塚出身の女優で、戦後の宝塚歌劇団第一期黄金時代を支えた。
✅ その後、大映に入社し、新藤兼人監督の「愛妻物語」で映画界でもスターの地位を築いた。
✅ 1960年の「裸の島」では、それまでのイメージを覆す強烈なリアリズム演技を見せ、日本映画史に名を刻んだ。
さらに読む ⇒出典/画像元: https://www.wikiwand.com/ja/articles/%E4%B9%99%E7%BE%BD%E4%BF%A1%E5%AD%90乙羽信子さんの宝塚での華々しい活躍から映画界での成功、そして代表作「裸の島」での情熱的な演技は、まさに圧巻ですね。
乙羽信子は、1924年10月1日、鳥取県米子市生まれの女優です。
本名は加治信子。
宝塚音楽歌劇学校を卒業後、宝塚歌劇団で娘役スターとして活躍しました。
1950年、大映に移籍し、映画界に進出しました。
大映では、主にメロドラマに出演しますが、新藤兼人監督の『愛妻物語』で、夫を支える妻役を演じ、高い評価を得ます。
その後、新藤の作品に多数出演し、演技派女優としての地位を確立しました。
特に『縮図』『どぶ』『狼』などの作品では、社会の底辺で生きる女性をリアルに演じ、ブルーリボン主演女優賞を受賞しました。
乙羽信子さん、素晴らしい女優さんでしたね。宝塚時代から知っていましたが、映画での活躍は格別でした。
代表作と晩年の活躍
「おしん」の晩年期を演じた女優は誰?
乙羽信子
乙羽信子さんの代表作と晩年の活躍に焦点を当て、その魅力を再確認していきましょう。

✅ 「裸の島」は、新藤兼人監督の代表作で、セリフを一切使わず映像と音楽のみで瀬戸内海に浮かぶ小島の夫婦と子供たちの生活を描いています。
✅ 1960年製作の日本映画で、モスクワ映画祭グランプリ受賞、キネマ旬報ベストテン第6位に選ばれるなど高い評価を受けています。
✅ 天草市民シアターで上映され、料金は大人500円、中学生以下100円です。
さらに読む ⇒本渡第一映劇【公式】出典/画像元: https://daiichieigeki.com/2538/「裸の島」は、セリフなしで人間の本質を描き出した傑作ですね。
モスクワ映画祭グランプリ受賞も納得です。
1960年には、近代映画協会の制作した『裸の島』に出演。
セリフなしで労働に励む女性の姿を演じ、高い評価を得ます。
1971年の『肝っ玉かあさん』第3シリーズでは、白無垢姿を披露し、石井ふく子プロデュース作品の常連となりました。
1978年に新藤兼人と結婚しました。
1983年のNHK連続テレビ小説『おしん』では主人公・おしんの晩年期を演じ、国内外で新たなファンを獲得しました。
「裸の島」は、シンプルながらも深い作品でしたね。あの時代に、あのような映画を作ったことに驚きです。
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元宝塚トップ娘役・乙羽信子の波乱万丈な生涯。映画『裸の島』『おしん』…時代を彩った女優の軌跡を、咲妃みゆがドラマで熱演!