川口松太郎とは?昭和を彩った大衆小説家の生涯と家族の波乱(?)直木賞作家、川口松太郎の栄光と家族の葛藤
昭和を彩った大衆作家、川口松太郎。恋愛小説から時代劇まで幅広く手掛けた彼の栄光と、晩年を苦しめた家族の薬物事件。華やかな芸能一家の裏側で起きた悲劇とは?そして、筆者が過ごした「川口アパート」での野際陽子さんとの思い出。波乱万丈の人生と、時代を駆け抜けた人々の姿を描く、感動と衝撃のノンフィクション。

💡 川口松太郎は、大衆文学を牽引した作家で、『愛染かつら』などの恋愛小説や時代小説で人気を博しました。
💡 劇作家としても活躍し、演劇界にも貢献。代表作『新吾十番勝負』は今も愛されています。
💡 晩年には、子供たちの薬物事件や妻との死別など、波乱万丈な人生を送りました。
本日は、昭和を代表する小説家、川口松太郎の生い立ちから晩年、そして家族に起きた衝撃的な事件まで、様々な角度から彼の人生を紐解いていきます。
作家・川口松太郎の生い立ちと文筆活動の始まり
川口松太郎、文壇デビューのきっかけは?
1916年の文壇デビュー。
川口松太郎は、浅草で生まれ、様々な職業を経て文筆活動を開始しました。
久保田万太郎に師事し、直木三十五らと共に活動。
彼の作家としてのスタート地点と、その背景を見ていきましょう。

✅ 川口松太郎は、大衆文学の先駆者として、時代小説や恋愛小説、演劇脚本を多数執筆し、『新吾十番勝負』などが代表作。
✅ 1935年に第一回直木賞、1969年に吉川英治文学賞、1963年に菊池寛賞を受賞し、晩年には文化功労賞や勲二等瑞宝章を受章するなど、多岐にわたる功績を残した。
✅ 劇団新生新派の脚本家や大映映画の制作担当専務取締役も務め、妻は女優の三益愛子、長男は俳優の川口浩など、家族も芸能界で活躍した。
さらに読む ⇒人情小説家 川口松太郎オフィシャルサイト出典/画像元: https://matsutaro.com/career/川口松太郎は、様々な分野で活躍し、多才な人物だったことがわかります。
特に、直木賞受賞は、彼の作家としての地位を確立する大きな出来事だったでしょう。
昭和を代表する大衆小説家、川口松太郎(1899-1985)は浅草で生まれ、様々な職業を経て文筆活動を開始しました。
久保田万太郎に師事し、小山内薫の劇作研究会にも参加。
1916年に文壇デビューし、1923年には帝劇の脚本が当選しました。
直木三十五と共にプラトン社での編集や映画脚本、監督などを経て、筆名で小説や随筆を執筆しましたが、すぐに成功には至りませんでした。
いやあ、直木三十五さんとプラトン社で編集をしていたなんて、すごいですね。あの頃の文壇は活気にあふれていたんでしょうねえ。
作家としての成功と多岐にわたる活躍
菊池寛も認めた作家、川口松太郎は何で有名?
直木賞作家、『愛染かつら』など恋愛小説。
作家として成功を収めた川口松太郎。
彼の私生活は、女優の三益愛子との結婚、そして子供たちの問題など、決して平坦なものではありませんでした。
彼の人生の光と影を追います。

✅ 小説家・劇作家の川口松太郎は、小学校卒業後様々な職を経験し、久保田万太郎に師事した後、作家として活動し、第一回直木賞を受賞するなど活躍した。
✅ 私生活では、女優の三益愛子を妻とし、彼女との深い関係を築いたが、子供たちの問題で苦悩するなど、波乱万丈な人生を送った。
✅ 川口松太郎は、最愛の妻や長男らと共に眠る墓を建て、晩年は肺炎により死去し、その墓には「人情馬鹿」を自称した作家の姿が刻まれている。
さらに読む ⇒プロバイダ・インターネット接続は ASAHIネット出典/画像元: https://www.asahi-net.or.jp/~pb5h-ootk/pages/SAKKA/ka/kawaguchimatsutaro.html川口松太郎の人生は、華々しい活躍の裏で、様々な困難もあったんですね。
劇作家としても尽力し、数々の賞を受賞しているのは素晴らしいです。
1935年に『鶴八鶴次郎』が菊池寛に認められ、翌年には直木賞を受賞しました。
『愛染かつら』などの恋愛小説や時代劇、人情物など、幅広いジャンルの大衆小説を発表し、流行作家としての地位を確立。
劇団新生新派の主事として新派の育成にも尽力し、永田雅一に請われて大映の要職も務めました。
劇作家の生活向上を目指し、劇作家四人の会を結成し、数々の賞を受賞し日本芸術院会員にも選ばれました。
私生活では離婚と再婚を経て、俳優の川口浩ら4人の子供をもうけました。
恋愛小説で人気を博した作家が、劇団の育成にも力を入れていたなんて、多才な方だったんですね。人間関係も複雑だったようですが…。
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昭和の文豪一家を襲った薬物事件。著名な親を持つ子供たちの逮捕は世間を震撼させた。その裏側で、野際陽子さんの思い出が交錯する。