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テリー・ファンクのプロレス人生を振り返る〜ザ・ファンクス、伝説の試合、スピニング・トーホールド?(テリー・ファンク、プロレス、ザ・ファンクス、スピニング・トーホールド)テリー・ファンク、日本プロレス界での活躍と、伝説の試合

プロレス界のレジェンド、テリー・ファンク。兄ドリーとのタッグ「ザ・ファンクス」は日本で大人気を博し、中でも1977年の伝説の試合は、その熱さとドラマでプロレス史に名を刻んだ。得意技スピニング・トーホールドをテーマにした楽曲も大ヒット!不屈の闘志とエンターテイメント性でファンを魅了し続けたテリー・ファンクの軌跡を辿る。

テリー・ファンクのプロレス人生を振り返る〜ザ・ファンクス、伝説の試合、スピニング・トーホールド?(テリー・ファンク、プロレス、ザ・ファンクス、スピニング・トーホールド)テリー・ファンク、日本プロレス界での活躍と、伝説の試合

📘 この記事で分かる事!

💡 テリー・ファンクは、兄ドリー・ファンク・ジュニアとのタッグチーム「ザ・ファンクス」として、日本のプロレス界で大人気を博しました。

💡 1977年の「世界オープン・タッグ選手権」でのブッチャー&シークとの試合は、プロレス史に残る激闘として語り継がれています。

💡 テリー・ファンクの代名詞「スピニング・トーホールド」は、クリエイションによって楽曲化され、プロレスファンを魅了しました。

それではまず、テリー・ファンクの生い立ちから、日本での活躍について見ていきましょう。

テキサスの荒馬 テリー・ファンクの生涯

テリー・ファンクは何で有名?

プロレスラー

テリー・ファンクの日本での活躍について、詳しく見ていきましょう。

テキサスの荒馬゛テリー・ファンクの想い出–週刊ファイト
テキサスの荒馬゛テリー・ファンクの想い出–週刊ファイト

✅ テリー・ファンクは、兄のドリー・ファンク・ジュニアと共にタッグを組んだザ・ファンクスとして、日本のプロレス界で絶大な人気を得ました。

✅ ザ・ファンクスは、タッグマッチの面白さを再認識させ、外国人同士の対戦でも日本人ファンを熱狂させた功績があります。特に、1977年の世界オープン・タッグ選手権でのブッチャー&シークとの対戦は、当時のプロレスファンに衝撃を与えました。

✅ ザ・ファンクスは外国人ベビーフェイスとして人気を博し、特にテリー・ファンクは女性ファンの親衛隊までつくほどでした。外国人ヒールとの壮絶な試合は、テリーの献身的な姿や、兄ドリーとの兄弟愛が際立ち、多くのファンを魅了しました。

さらに読む ⇒テキサスの荒馬゛テリー・ファンクの想い出–週刊ファイト出典/画像元: https://miruhon.net/245480

テリー・ファンクの献身的な姿や兄ドリーとの兄弟愛が、多くのファンを魅了しましたね。

テリー・ファンクは、アメリカ出身のプロレスラーで、兄のドリー・ファンク・ジュニアと共に「ザ・ファンクス」として活躍しました

特に日本で人気を博し、1971年に全日本プロレスでインターナショナルタッグ王座を獲得しました。

1977年の「世界オープン・タッグ選手権」ではブッチャー&シークとの試合で、ファンクの不屈の闘志と兄弟愛が話題となり、多くのファンを獲得しました。

アイドル的な人気は、女子ファンを中心に゛テリー親衛隊゛なるものが誕生するほどでした。

得意技はローリング・クレイドルで、スピニング・トーホールドも使用していました。

晩年は認知症を患い、2023年8月25日に死去しました。

テリー・ファンクは、日米のプロレス界に多大な貢献をしたレジェンドであり、その功績は永遠に語り継がれるでしょう。

いやあ、テリー・ファンクは本当にすごいレスラーだった。あの試合、今でも鮮明に覚えてるよ。親衛隊なんてのもあったなあ…。

伝説の一戦 ザ・ファンクス vs ブッチャー&シーク

ザ・ファンクス兄弟vsブッチャー&シーク戦は何が伝説的?

凶器使用と流血の衝撃

1977年の伝説の一戦について、振り返りたいと思います。

ザ・ファンクスが全日本周年記念「ワールド・オープン・タッグ」優勝【週刊プロレス昔話】
ザ・ファンクスが全日本周年記念「ワールド・オープン・タッグ」優勝【週刊プロレス昔話】

✅ 1977年12月15日、全日本の東京・蔵前国技館で開催された「ワールド・オープン・タッグ選手権」最終戦で、ドリー・ファンクJr&テリー・ファンクがアブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シークを破り優勝しました。

✅ 試合は開始早々から乱打戦となり、血で血を洗う凄惨な展開となりました。

✅ 最後はテリーが反則勝ちを収め、優勝を飾りました。特にブッチャーがテリーの右腕にフォークを突き刺すシーンは大きなインパクトを与え、歴史的な試合として記憶されています。

さらに読む ⇒ベースボール・マガジン社出典/画像元: https://www.bbm-japan.com/article/detail/52827

ブッチャーのフォーク攻撃は衝撃的でしたね。

テリー・ファンクの不屈の闘志と兄弟愛が、観客を熱狂させました。

1977年12月15日、蔵前国技館で行われた全日本プロレスの世界オープンタッグ選手権最終戦。

ザ・ファンクス兄弟対ブッチャー&シークの試合は、ブッチャーがフォークを凶器として使用し、テリー・ファンクの腕をメッタ刺しにするという衝撃的な展開で、プロレス史に残る伝説の試合となりました。

この試合は、ブッチャーの凶器攻撃によるテリーの流血、レフェリーによる反則を見逃す描写など、当時のプロレスにおける荒々しさ、反則の許容範囲の広さ、そしてそれらを許容する観客の熱狂を鮮やかに描き出しています

さらに、テリーの負傷、ドリーの奮闘、そしてテリーの奇跡的な復活と勝利というストーリーは、観客の心を掴み、プロレスの持つドラマ性、エンターテイメント性を体現していました。

この試合は、勧善懲悪のプロレスの原点でありながらも、ガイジン同士の対決という新しい形を提示し、テリー・ファンクを人気アイドルレスラーへと押し上げました。

この試合は、単なるプロレスの試合ではなく、当時の時代背景、プロレス文化、そして観客の熱狂を凝縮した、まさにプロレスの金字塔と言えるでしょう。

あの試合は、プロレスのドラマ性、エンターテイメント性を凝縮したものでしたね。今見ても興奮しますよ。

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ザ・ファンクス、日本プロレスを席巻!兄弟タッグの熱い戦いと愛された入場テーマ曲「スピニング・トー・ホールド」。感動と興奮を呼んだ伝説を振り返る!