色川大吉氏の生涯と業績を振り返る〜民衆史研究のパイオニア、その足跡とは?歴史家・色川大吉氏の知られざる素顔と功績
民衆史研究の先駆者、色川大吉。自由民権運動や昭和史を独自の視点で掘り下げ、市民とともに地域史を紡いだ。ユーラシア大陸横断など行動的な一面も。晩年は上野千鶴子氏との結婚とその後の看病が話題に。歴史家としての功績と、その人生の晩年、様々な議論を呼んだ色川大吉の軌跡を辿る。
💡 色川大吉氏は、歴史家として民衆史研究を開拓し、多摩地域の自由民権運動を掘り起こすなど、市民参加型の地域史研究を推進しました。
💡 「ある昭和史」を執筆し自分史ブームを牽引。水俣病問題にも深く関わり、市民運動にも積極的に参加するなど、社会貢献にも尽力しました。
💡 晩年は上野千鶴子氏と結婚。その結婚生活や、晩年の姿についても触れ、多角的に色川大吉氏の生涯を振り返ります。
それでは、民衆史研究の第一人者、色川大吉氏の学問への道から紐解いていきましょう。
学問への道
色川大吉はどんな研究で知られていますか?
民衆史研究
色川大吉氏の学問的功績と、市民と共に歴史を紡いだその姿勢に迫ります。
歴史家としての彼の出発点、そしてその後の活動について見ていきましょう。

✅ 色川大吉氏は、明治期の自由民権運動の広がりを示す「五日市憲法草案」を発見した歴史学者であり、東京経済大学名誉教授でした。
✅ 氏は、市民と共に地域史研究を進め、民衆史のジャンルを確立し、権力におもねらない独自の視点で歴史観を貫きました。
✅ また、一市民の立場で執筆した「ある昭和史」は、その後の自分史ブームの先駆けとなり、水俣病の学術調査団や「日本はこれでいいのか市民連合」など、社会運動にも積極的に参加していました。
さらに読む ⇒東京新聞出典/画像元: https://www.tokyo-np.co.jp/article/129560色川大吉氏が、歴史学者としてだけでなく、社会活動にも積極的に参加していたことが印象的ですね。
その多才さと、社会への貢献に感銘を受けました。
色川大吉は1925年、千葉県佐原市に生まれました。
東京帝国大学に入学後、太平洋戦争中は海軍に所属しました。
戦後は中学校教師を経て、1967年に東京経済大学教授に就任しました。
多摩地区の自由民権運動を題材にした「明治精神史」や「五日市憲法草案」の発見など、権力に媚びない独自の視点で歴史研究を進めました。
市民とともに地域史研究を進めるスタイルは「民衆史」とも呼ばれ、彼の著書「ある昭和史」は、後の自分史ブームの先駆けとなりました。
いやあ、色川先生は本当にすごい方だったんですね。五日市憲法草案の発掘なんて、ロマンがありますなあ。こういう方がいたから、今の日本があるんですね。
世界を駆け巡る
色川大吉はどんな活動家だった?
学者、旅行家、活動家
自身の半生を赤裸々に描いた自伝を通して、色川大吉氏の人間性と、時代への向き合い方を明らかにしていきます。
波乱万丈な彼の人生を振り返ります。

✅ 本書は、歴史家である色川大吉氏が自身の半生を赤裸々に描いた自伝である。
✅ 戦前戦後の激動の時代を生き抜き、時代への抵抗、葛藤、問いを常に抱き続けた著者の青春時代が描かれている。
✅ 本書を通して、激動の昭和史の裏側にある時代の真実が浮かび上がってくる。
さらに読む ⇒河出書房新社出典/画像元: https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309921273/ユーラシア大陸走破など、歴史研究だけでなく、行動力も兼ね備えていたことに驚きました。
そのバイタリティはどこから来るのか知りたいですね。
色川大吉は、学問研究の枠にとどまらず、行動派としても知られていました。
1971年にはフォルクスワーゲン・タイプ2でユーラシア大陸を走破するなど、世界を旅した経験を基に『ユーラシア大陸思索行』『フーテン老人世界遊び歩記』などの著書も出版しました。
また、市民団体「日本はこれでいいのか市民連合」の共同代表を務め、東北大学西蔵学術登山隊の人文班長としてチベットの文明と奥地を踏査するなど、幅広い活動を行いました。
世界を旅し、多岐にわたる活動をされていたんですね!旅行記も出版されていたとは、ぜひ読んでみたいです。色川さんの視点で見た世界はどんなものだったんだろう。
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民衆史研究の巨星、色川大吉。上野千鶴子との結婚と死、そして批判。リベラル知識人の晩年と、隠された人間模様を読み解く。