森英恵、蝶とファッションデザインの軌跡:世界を魅了したデザイナーの生涯とは?森英恵:ファッション界のレジェンド、その華麗なる軌跡
日本を代表するデザイナー、森英恵。若き日にパリで受けた衝撃から、東洋と西洋の美を融合させた独自のスタイルを確立。「マダム・バタフライ」と呼ばれ、蝶をモチーフとした華麗なデザインで世界を魅了。日本人初のパリ・オートクチュール組合加盟を果たし、日本の美を世界に発信。美空ひばりのドレスや舞台衣装も手がけた、レジェンドデザイナーの軌跡を辿る。
💡 森英恵は、日本のファッションデザイン界を代表する人物であり、蝶をモチーフとしたエレガントなデザインで知られています。
💡 1951年にアトリエ「ひよしや」を開店し、映画衣装、制服デザイン、パリ・オートクチュール協会の正会員など、多岐にわたる分野で活躍しました。
💡 日本の伝統と西洋のファッションを融合させた独自のスタイルで世界的に評価され、「マダム・バタフライ」の愛称で親しまれました。
森英恵さんの素晴らしい功績を、本記事で詳しく見ていきましょう。
ファッションへの夢と挑戦
森英恵はパリで誰と出会い、どんな影響を受けた?
ココ・シャネル
森英恵さんのファッションへの情熱と、その挑戦の始まりについてご紹介いたします。

✅ 森英恵は、日本のファッションデザイン界のパイオニアとして、蝶モチーフのエレガントなデザインで知られるデザイナーです。彼女は1951年にアトリエ「ひよしや」を開店し、映画衣装デザイン、日本航空の制服デザイン、そしてパリ・オートクチュール協会の正会員となるなど、数々の功績を残しました。
✅ 森英恵は、日本の伝統と西洋のファッションを融合させた独自のスタイルで世界的に評価され、その象徴的なモチーフである蝶は、オペラ「蝶々夫人」への思い入れから生まれたものです。彼女は「マダム・バタフライ」の愛称で親しまれ、1985年にはミラノ・スカラ座で上演された同オペラの衣装デザインも手がけました。
✅ 森英恵は、数々の映画衣装を手がけ、晩年の小津安二郎監督の作品でも衣装を担当しました。1977年にはパリ・オートクチュール協会の正会員となり、東洋人として初の快挙を達成しました。彼女の成功には、1961年にガブリエル・シャネルとの出会いが大きな影響を与えました。
さらに読む ⇒アパレル業界の求人・転職なら出典/画像元: https://fashion-hr.com/hr-talks/working_in_fashion/27042/森英恵さんのファッションへの挑戦は、シャネルとの出会いによってさらに加速したのですね。
東洋人としてシャネルのサロンを訪れたエピソードは、非常に興味深いです。
森英恵は、1926年生まれ、東京・目黒のドレスメーカー女学院で服飾を学び、1951年に新宿にブティック「ひよしや」を開店しました。
若者の街で評判になり、映画の衣裳デザインも手がけるようになりました。
50年代の日本映画全盛期には、数百本にものぼる映画衣裳を制作し、多忙な日々を送ります。
しかし、次第に燃え尽きを感じ、1961年にパリへ渡ります。
そこで、ココ・シャネルのオートクチュールショーを見て衝撃を受け、自身のためにシャネル・スーツをオーダーしました。
森英恵は、シャネルサロンを訪れた初めての東洋人だったそうです。
ココ・シャネルは、森英恵の黒髪を見て「日本は日出づる太陽の国、だからオレンジがよいのではないかしら」とオレンジ色のスーツを勧めました。
森英恵は、オレンジのジャケットは派手すぎるため、ブラウスにオレンジを取り入れ、スーツは落ち着きのあるベージュのツイードをベースにオレンジのネップを散らした生地で制作しました。
シャネルとの出会いが、その後の森さんの活躍に繋がったんですね。素晴らしいです。
世界への挑戦
森英恵はどんな夢を叶えようと世界に挑戦したの?
日本の美を世界へ発信
森英恵氏の国際的な活躍と、そのファッションが世界に与えた影響を見ていきましょう。
公開日:2022/08/18

✅ 森英恵氏は、1970年代から1990年代にかけて、数々のコレクションを発表し、その活動は世界的に注目を集めていました。
✅ 特に1975年には、モナコ公妃グレース・ケリーとの親交があり、モナコでファッションショーを開催したことが話題となりました。
✅ また、1980年代後半には、オートクチュールコレクションだけでなく、プレタポルテコレクションも発表するようになり、より幅広い層に自身のファッションを展開していきました。
さらに読む ⇒゛出典/画像元: https://www.harpersbazaar.com/jp/fashion/fashion-column/g40928072/hanae-mori-collection-history-220818-hb/モナコ公妃グレース・ケリーとの親交や、プレタポルテコレクションの展開など、活動の幅を広げ、より多くの人々に自身のファッションを届けたのですね。
1965年にニューヨークでショーを開催し、世界への階段を昇りはじめる。
森は、日本の良質な素材や技術によって、日本と日本人女性に対する世界のイメージを変えたいという思いを持ち、オートクチュールに情熱を注いだ。
1977年に東洋人初のパリ・オートクチュール組合の会員となり、日本のスタッフや職人たちの手仕事によるオートクチュールで世界と勝負を挑んだ。
森は蝶をモチーフにした作品でも知られており、蝶のモチーフが用いられたオートクチュール作品を多数展示。
会場では森の幼い頃に暮らした蝶が舞う旧六日市町の自然の色彩を、メディアアーティストの齋藤達也による体験型の映像作品で表現している。
日本の素材と技術を世界に発信し、日本のイメージを変えたいという思い、素晴らしいですね。
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東洋と西洋を融合した美、森英恵。日本人初のパリコレデザイナー、「マダム・バタフライ」と呼ばれた彼女の革新的なデザインと、華麗なる軌跡をここに。